第608話 認識の変化

「あー……腹いてぇ……しっかしお前ほんとゼロやんだよなー」

「は? そりゃそうだろ……てかどういうことだよ?」


 二人でしばらく笑うこと数十秒、笑い疲れた様子でテーブルに突っ伏しながら、顔だけをこちらに向けるレッピーは、口元にまだ笑みを残しつつ、目の端に僅かに涙を溜めていた。その涙は、いかに彼女が心から笑っていたのか、ということだろう。

 そしてそんな彼女が持ち前の可愛い声で伝えてきた言葉は、俺という人間の独自性や固有性を問うような言葉だった、が……当然レッピーにそんな哲学的意図はないはずだ。

 そう判断して、俺は笑い疲れてまだ呼吸が乱れているレッピーの顔を見下ろしながら、彼女の言葉の意味を問い直したのだが——


「バーカ。そのまんま以外の意味なんかねーよ」

「——っ」


 まだ少し肩を上下させる彼女が、ニッと白い歯を見せて言い返してきて、その表情に俺は言葉を詰まらせた。

 だって……そう。

 屈託がない。

 この言葉は今のレッピーのためにあるような、そんな気さえしてくる自然体が、そこにはあったのだから。

 普段は人もディスるし口も悪いのに。今彼女が見せたこの笑顔は、まるで子どものような純粋さが感じられる、可愛らしく素敵な笑顔だった。


「ん?」


 だが俺が言葉を詰まらせた理由など分かるはずがないレッピーが、あどけなく小さく首を動かして不思議そうな様子を見せてくる。

 その様子もまるでハムスターとかの小動物のようで可愛いらしい。

 そしてそんな彼女の様子に俺はじわじわと顔の熱さを覚えるも、「お前が可愛いと思ったせいで思わず言葉を失っちゃったよ、HAHHAHHA!」なんて口が裂けても言えるわけがなく——


「いや何の答えにも——」

「でも笑ったら腹減ったなー。なんかもうちょっと飯頼もうぜ」

「急だなおいっ」


 誤魔化そうと思ったのに、レッピーはバッと身を起こしながら話してる途中の俺を遮って、テーブルの上にあった料理のメニュー表に手を伸ばす。そしてそれを俺と自分の間に置いて、楽しそうに掲載された料理たちを眺め出す。

 その自由奔放な振る舞いに俺は思わずツッコんだが……レッピーの視線が自分から外れた。このことに正直内心安堵だった。

 だってほら、こいつ相手に可愛いと思ったとか、流石にそれはバレたくないし。もしバレようものなら、下手したら一生いじり倒してくるかもしれないし。

 俺にとってレッピーは〈Reppy〉フレンドで、友達だ。それでいい。……それでいいのに、なぜ人はちょっとでも女の子として可愛いとか思ってしまうと、急にやたらとその姿に目を奪われてしまうのだろう?

 チラッと横目でメニューを眺める彼女に視線を向ければ、そこにはミラーボールの明かりに照らされる、さっきの爆笑以降どことなく常に楽しそうな可愛い顔があるわけだ。

 一番目を引くのはパッチリした二重の、口調や性格とのギャップが凄まじい可愛らしいくりっとした大きなブラウン瞳だろう。顔のパーツを置ける面積が狭いからこそ、その瞳の存在感が際立っていて、見た目だけなら実はかなり童顔だなって感じを強調してくる。他にも形のいい小さな鼻に可愛らしい薄い唇に、スポーティさを伝えてくる後ろで束ねられた茶髪と額にかかるサラサラとした直毛の前髪に、白すぎない健康的で綺麗な素肌。

 そう、いつの間にか俺が一緒にいるのは、いわゆる元気っ子タイプの美人になっていたわけである。

 ちょっと前までは腐れ縁の友達としか思ってなかったレッピーが、今はそんな風に見える。

 しかも一緒にメニューを見ようとしてくるせいで、軽く肩が触れるくらいに今はやたらと距離も近い。

 その距離と、改めて意識してしまった今俺たちがいる場所が合わさって、俺の胸に変な鼓動が起こり出す。

 だから正直離れたい。そう思うけれど、ここで離れたら離れたらで何か変に意識してるように思われるかもしれないし……ええい! 消え去れ俺の煩悩よ……! ニ◯ラム! ニフ◯ム!!

 とまぁ、そんな予想だにしなかった緊張感に俺が包まれている内に。


「アタシ油淋鶏と半チャーハン食べよっと。ゼロやん決まったか?」

「え、あ、んー……」


 さっきみんなでピザを食べたというのに割とガッツリを選んだな、なんてツッコミなど出せるわけもなく、急に話を振られた俺は内心を抑え込みながら考えているフリに全力を尽くして沈黙する。

 そんな俺に——


「ちなみにこれ前食ったけど美味かった」


 そう言って見開きのメニューの内、俺側のページに掲載された商品を指さすように、レッピーがぐいっと身を乗り出した。

 ただでさえ近い距離にいたのに、そこでそんな動きを取られれば、身体が接触するのは当然で——


「じゃ、じゃあ俺それにするわっ」


 メニューを選んでいる限りまた身体と身体がぶつかりかねないからの、俺はメニューをよく確認もせずにレッピーの指差しに同意する。


「あ、そう? じゃあ来たら一口くれな」


 そしてほんの一瞬俺の表情を確認してから、何事もなかったかのように俺の決定を受け取って、パタンとメニューを閉じたレッピーが内線を使ってフロントへメニューの注文をしに立ち上がる。

 ……ふぅ。

 そんなオーダーに向かうレッピーを見ながら、俺はほぼ0距離だった緊張感から解放され、一度大きく息をついた。

 しかし、肩とか腕とかが身体に触れたから緊張するって、いつから俺はそんな童貞みたいになったんだ?

 ボディタッチくらい、ここ最近色んな女性からされてきただろうが。

 そんなことを自嘲気味に考えながら、俺は己を落ち着けるべく、一度ベッドに眠るだいに目を見やる。

 ……うん、可愛い。

 小さくすーすーと寝息を立てるその存在は、俺の愛おしさを駆り立てる。

 そう、俺にとって可愛いはだいなのだ。

 たしかにレッピーも可愛いかもしれないが、その可愛さにドキドキするとかは違うのだ。

 つーかこんな近くに彼女がいんのに、友達に女を感じて緊張するとかアウトだろ。

 さっきあんなに友達として心から笑い合った感じだったのに、それをいきなりこんななんて、なぁ?

 レッピーは友達、レッピーは友達……。

 レッピー以上でも以下でもない。

 そう、レッピーはどこまでいってもレッピーなだけなのだ。

 

 そんな自己正当化を脳内で高速展開させながら、俺は注文を終えて椅子に戻ってくるレッピーにぎこちない表情を向けるのだった。


 ……てか、俺の分のメニューって何が頼まれたんだろう……!?


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