第603話 エリアの狭さはマップ作成の手抜きですか?

「ゼロやん何か食べたいものある?」

「え、あー……お任せするよ」


 安定の食欲に忠実な自然体のだいが丸テーブルを囲むように左側に座る俺にフードメニューを見せてくる。

 それは極々普通の様子で、まるで家でくつろいでいる時のような、そんな感じを与えてくる。

 だけどその姿も俺には理解し難くて……なんでこんなにリラックスしてるんだ?

 だってここラブホテルだぞ?

 そこに男1、女2でいるんだぞ?

 正直俺はまだ変な緊張が抜けないのだが……そんな感覚が拭えない状況の中、俺の返事を聞いただいは「じゃあどうしようかな」とじっとメニューを眺めている。

 たしかにこの姿を見てるとラブホテルに来てるって感じが薄れるけど——


「おいおい自分がねーなー。ちなみにアタシはラーメン食う」


 何ともいえない警戒心を消さない俺に、右隣からは何とも潔い発言が飛んできた。その声を耳にして俺が声の主に視線を送ると、そこにはだい同様けっこう真剣にメニューを眺めている姿があって、その光景に俺は思わず苦笑い。

 でもまぁ活発そうなレッピーの感じとラーメンは似合うったら似合うけど。


「レッピーさんもラーメン好きなんだ。ゼロやんと一緒だね」

「あー、まぁ、うん。そうだな」

「ラーメン嫌いな奴ってそうそういねーだろ」


 そんなレッピーに対してだいが少し意外そうな顔を見せたが、昔LA内で「ラーメン食いたい」って言い出したことを発端に、時折こいつとラーメントークをしてたから俺には別段違和感というものはなかった、のだが——


「でもあれだ。ここのラーメンはアタシランクで中の上くらいだから、悪くないぞ?」


 深淵を覗くとき自分もまた深淵に覗かれているように、レッピーにとっても俺とラーメンの組み合わせに違和感はないようで、ドヤ顔で俺にここのラーメンについて批評してきたと思ったら——


「ちなみにうちの近くにある柏っつーラーメン屋はマジ美味い。アタシの中のナンバーワン」

「え」


 流れるようにレッピー推奨のリアルな店名が告げられて……その固有名詞に、俺の心臓が小さく跳ねかける。

 だって——


「ゼロやん知ってるの?」


 俺が声を漏らしたからだろうけど、だいに問いかけられたのは分かっていた。

 でも、俺は「まさか」という考えに支配され、謎の緊張感を抱いたままレッピーから視線を外せなかった。


「徒歩5分以内に美味いラーメン屋あるアタシは勝ち組」


 でもそんな俺のことを気にしないまま、何故かレッピーはさらにドヤ顔を深めていく。


「それ……東中野の?」


 そして俺が正直「まさか」って感覚を吐き出すようにレッピーに問い返すと、彼女の目が「お」とでも言うように、僅かに見開く。

 その反応が意味するところ——それはつまり、そうなのだろう。


「流石ラーメン好きじゃん。行ったことあんの?」

「まぁ、うん」


 そしてこの答え合わせによって俺の記憶とレッピーの好きだという店が一致して、俺はマジかよと思いながらも再度苦笑いして、軽く頷いてみせる。

 このやりとりに驚いたのはむしろだいのようで——


「え、そこがお家から近いってことは……レッピーさん東中野に住んでるの?」

「ん? まぁなー。でも中央線沿線の駅のラーメン屋なら、それなりに詳しいつもりだぜ」


 やっぱりそこ気になったよねってところをだいが尋ね、レッピーがはっきりと頷いた。

 中央線沿線のラーメン屋情報、それもたしかに聞きたかったけど、しかしそうか、東中野住みかー……。

 その地名を耳に、俺は少し考え込む。


「東中野なら、もしかしたら知らずにどこかで会ってたのかもだね」

「ん?」


 そして割と住んでるとこ近いなーとか、俺の職場と最寄り一緒じゃーんとか、徒歩5分圏内ってなるとあの辺りか? なんてことを俺があーだこーだ思ってるうちにだいが先手を取って話し出し——


「私とゼロやんは杉並区民なの。私の最寄りは阿佐ヶ谷、ゼロやんが高円寺」

「は? マジ?」

「うん。ちなみにゼロやんの職場の学校は最寄りが東中野だよ」

「え……私立? 都立?」

「都立」

「マジかよ。星見台か」

「わ、すごいね。学校名も知ってるんだ」

「そらあの辺の都立高校ったら、星見台しかねーからなー……」


 だいが提供した情報に流石のレッピーも開いた口が塞がらず、軽く呆然とするような、明らかな驚きの表情を見せていた。

 いや、まぁそうよな。

 今日たまたま会ったのも奇跡的な話なのに、普段の生活圏が被ってるって今日会ったことと同等かそれ以上の奇跡だもんな。というか言ってしまえば8年前に知り合って、そこからお互いがずっとLA辞めずに繋がり続けてきたのも奇跡的な話だし。

 人生は奇跡の連続だって言うけれど、俺とレッピーのこれは統計学に考えても明らかに0%に近い起こり得ないレベルだろう。


「でもすごいね。これは奇跡だね」


 そんなこの末恐ろしい確率で発生したレッピーとの出会いを前に、レッピーの表情が段々苦笑いへと変わっていく。

 そんな彼女にだいが「奇跡」って言葉を使うけど、これはもはや奇跡なんて言葉で片付けていいのだろうか?

 なんかもう奇跡という言葉すらおこがましいような、そんな気持ちになってきた。


「奇跡的ってのは否定しねーけど、でもさ、奇跡なんだったら、お前らが出会ってそう言う関係なってるのもたぶんそうだろ? 元々の知り合いじゃなかったんだろ?」

「それは、うん」

「じゃあそろそろアタシにも二人の馴れ初めっての聞かせてくれよ? アタシとだいで、奇跡具合を勝負しようぜ」


 そしてひとしきり苦笑いした後、レッピーが何か悟ったようにカラカラ笑いながら奇跡具合の勝負なんて謎の言葉を吐きながら、だいに向かって俺との出会いを話す様に促し出す。

 その言葉にだいがちらっとこちらに顔を向けたから、俺はため息をついてから頷いた。


「えっとね——」


 そして俺の頷きを受けて、だいが目線を上に向けて思案しながら話し出す。


 はてさて奇跡具合の勝負とやらにはどんな判断が下されるのか、俺はここで初めて開けた缶チューハイを一口飲んで、だいの説明に耳を傾けるのだった。

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