第591話 エネルギーチャージの後は
「ご飯美味しかったねっ」
「だな。だいの料理に匹敵するレベルだったぜ」
「それは作ってくれたプロの人たちに失礼でしょ」
14時29分、名残惜しくも下船した俺たちは、2時間ぶりくらいに降り立った陸地からさっきまで乗っていた船を見上げながら、幸せな時間を振り返っていた。
フレンチとか食べ慣れてないけど、出てきた料理は本当にどれも美味しくて、だいも目を輝かせながら「どうやって作るんだろう?」なんて食べていた。何なら「レパートリーにないけど、フレンチも挑戦してみようかな」なんて言ってたほどである。
とはいえ俺からするとだいの料理だって負けてないぞ、そんな気持ちを抱いたのも事実。だってほら、だいの料理は繊細かつしっかりした旨味が感じられるような料理で、本当に美味しいのだから。
でもどうやらそこはだいと同じ気持ちではなかったようで、だいを褒めた俺は彼女に軽く呆れられながら注意されてしまった。
でもその呆れ顔には優しさが込められているような、そんな感じがして、俺も自然と笑っていた。
海風は少し肌寒さを与えてくるが、真っ青な空から照りつける陽射しがそれを打ち消す。
本当にいい日だ。
そう思いながら、俺は次なるデートコースへとだいをエスコートするのだった。
☆
「若い子が多いと、ちょっとそわそわしちゃうね」
「普段もっと若いのに囲まれてるのに? つーかはたから見たらだいだってまだまだ全然大学生で通用するぞ?」
「その言葉、そっくりそのまま返そうか?」
「いやいや、俺はもうアラサーだし——」
「それは私も一緒だよ?」
同日、15時12分。
俺たちは若い子たちが多い、ガヤつくところにやってきていた。
おそらく年齢はほとんどが大学生くらいで、普段相手にしている連中よりは少し大人に見えるような、そんな感じ。
そしてそこは周りが何を言ってるか判別出来ないくらい、いろんな声で溢れていた。
ああ俺も学生の頃こんな感じだったっけな、なんて懐かしさを感じさせる光景だ。
何気ない日々が、仲間たちとの何でもない会話が、当たり前だと思ってた日々。
それはいつか終わりを告げるものだけど、今この場にある声たちは、そのどれもが楽しそう。
そんな青春を感じさせる空間の中——
「お、ここだここ」
他の色んなものに目もくれず俺たちがやってきた場所からは、キンッ、キンッという甲高い音を響かせる場所だった。
もちろん他に色々だいとやりたいことはあったが、何はともあれ俺が来たかったのはここなのだ。
そして音を響かせる発生源の内の一箇所に目をやって——
「けっこう遅いな」
率直に抱いたのはこんな感想だった。
遅い、かなり遅い。正直これくらいなら俺でも出せるんじゃないかと錯覚するスピードが、そこにはあった。
そんな俺の言葉に——
「誰でも遊びやすくしてるだけでしょ?」
至って真面目に、だいからの返事が返ってくる。
「たしかに。このくらいなら小学生でも当てれるか」
「うん。じゃあ、どっちが多くライナーで打ち返せるか勝負ね」
そして俺たちの目的の場所を確認したからこそ、伝えられた勝負の提案。
それを告げてきただいの表情は、挑戦的だった。
「お。よし、望むところだ」
そんなだいの表情に触発され、俺は彼女の提案を二つ返事で了承する。
ん? あ、そうか。俺たちがどこにやってきたのか言ってなかったっけ?
でもほら、もうさすがに分かっただろ?
「負けた方の罰ゲームは何にしようか?」
「おいおい? そんなこと言っていいのか? 後で泣くことになるぜ?」
「それはどうかしら?」
俺たちの会話や聞こえる音からお分かりいただけただろう。
そう、俺たちは再度ゆりかもめに乗りお台場に移動して、現在様々なスポーツやら何やらで遊べる複合型アミューズメント施設にやってきたわけである。
そして聞こえている音はもちろん、バッティングマシーンが投げてきたボールが打たれている音。バットとボールが奏でる打球音だ。
さらにここにはソフトボールのバッティングマシーンもあるようで、現役ソフトボール部顧問としてこれを避けることが出来なかった。
もちろん野球のバッティングゾーンもあるし、俺はそっちでもいいんだけど、だいはほら、ソフトボールしかやったことがないわけじゃん?
ならば対等なのはこっちってわけですよ。
まぁ球速がたぶん60km/hくらいだから、その1.5倍以上のスピードボールを投げられるだいはもちろん、だいの球速と同じかそれ以上のボールを投げれる市原のボールを普段から見たり捕ったり打ったりしてる俺からすれば、かなり遅く感じるんだけどね。
とはいえ、だ——
「じゃあ、負けた方が勝った方の言うことをなんでも聞くでどう?」
「ほほう。なんでも、か。いいのか? 後悔しないな?」
「もちろん。そもそも負けるのはゼロやんだし」
「いやいや、大学通算3割5分くらいの俺だぜ? 流石にここは俺が勝つって」
「どうかしらね?」
それはそれ。これはこれ。罰ゲームを設定した戦いとなれば負けられない。
俺とだいはバッティングゲージの前で
そして先にやっていた人がゲージから出てきたのと入れ替わるように、今度は先攻のだいがゲージ内に入っていき、設置されたバットを取って左のバッターボックスに立ち、2,3度素振りをしてみせた。それはいつぞやの合同練習の時に見たフォームと変わらない、綺麗なフォームで、俺は思わず見惚れてしまう。
ソフトボールだからこその大きめのテイクバックと大きめの
キンッ、といい音を響かせただいが打った初球は、何とも見事なピッチャー返しのライナーだった。ほんと、かなり遅い球なのに、何とも見事なタイミング。
その打球を放った後、だいが口元に笑みを浮かべ、チラっと俺を見た。
そして続いた2球目、3球目も、見事にボールを放ってきたマシーンへ当て返すような打球が放たれる。
打球速度もスイングスピードも俺が上だろうが、そこには正確無比な軌道を描くバットがあった。
そして——
「はい。交代ね、3割5分さん」
「……マジ?」
10球の挑戦が終わり、だいが笑顔でゲージからカムバック。
それはもう晴れやかな笑顔で、何とも俺の言った3割5分が大したことのないように思えてくるものだった。
いや、だってさ、アレよ?
だいのヒット性のライナーの打球、9割よ?
たしかに球は遅かったけど、すごすぎん?
「負けたらなんでもいうこと聞く、だからね?」
「わ、分かってるよっ」
そしてまるで勝ちを確信しているかのような晴れやかな口調で、だいが俺の背中に手を当て、俺をゲージへと押しやってくる。
俺の勝利の条件は全球ライナー。3割5分どころじゃない、10割だ。
いや、ハードル高すぎんだろおい。
そう弱気が俺の心を支配するが——
「カッコいいとこ見せてね?」
挑発的なだいの笑顔が、俺の闘志を駆り立てる。
よかろう、ならばやってやろうじゃないか。
勝算は低い。でも0じゃない。
今こそ俺の真の実力を見せる時!
そんな決意を持って、俺はバットを手に取り、マシーンと対峙するのだった。
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