第590話 いつかその日を夢に見る
「わっ、すごいねっ」
「あれ? 海は見慣れてないんだっけ?」
「そんなことないよ。海は近い方だったと思うし」
「じゃあなんで——」
「別にいいじゃない。というか見慣れてるから感動しちゃいけないって無粋よ」
「な、なんかごめん」
窓から見える青、青、青。
そんな景色を見ながら、俺とだいは白いクロスのひかれたテーブルで向かい合っていた。
ここは屋内だから風はないが、きっと外に出たら心地良い秋風を浴びることが出来るだろう。
俺たちを取り囲む調度品や周囲の雰囲気も全てが穏やかで品があり、それが気分を昂揚させる一端を担っているような、そんな気がした。
え? どこに来たんだって?
会話から考えるに海が眺望出来るレストラン?
うむ、それは間違ってない。
でも、ただのレストランではないのだよ。
「でも思ったより揺れないんだね」
「いい天気だし、凪ってやつなんだろな」
「だね。本当に素敵なデート日和ね」
「おうよ。……これも俺の積んできた徳の成せる技かな?」
「こら。調子には乗らない」
軽口を言う俺にだいが「ふふっ」と小さく笑いながら優しい注意を伝えてくる、こんな素敵なワンシーンも、きっとヒントになったかな?
凪って言葉、どこで使う?
そう、今の会話からもお分かり頂けたと思うが、普通のレストランが揺れるわけがないわけで。
つまりそう、今俺たちは揺れるレストラン、いわゆるランチクルージングへと洒落込んでいるわけである。
朝の待ち合わせ後に行き先として告げた時からだいはワクワクが止まらないのか終始楽しそうだし、ゆりかもめで最寄駅に着いて船を見た時なんか、子どもみたいにはしゃぐだいの姿も見られたからね。
このクルージングは俺が以前からずっと気になってたデートプランなのだが、昨日デートの約束を決めた後、ラスト1席分の予約が運良く取れたのがラッキーだった。そして今日のこの天気。我ながらこのデートはなかなかいい出だしだと思うし、このよき日は俺の徳、とは言わないけどさ、ここまで最近色々頑張ってきた苦労への見返り、くらいには言いたいよね。
「でもすごいね。こんなおっきな船乗るの初めてだし、ここでご飯食べれるのもちょっと今だに信じられないかも」
「はは、喜んでくれてて嬉しいよ」
「うん。嬉しいし楽しい。……こうやっておっきい船乗ると、船旅とかも楽しいのかなって思うね」
「世界一周とか?」
「うーん、それは流石にお休み取る規模が難しいんじゃない?」
「いや真面目か」
でも、俺の徳でも見返りでも何でもいい。
とにかくやっぱりだいが楽しんでくれてるのが嬉しいのだ。
俺の冗談の「世界一周」発言にも真顔でちょっと考え込むくらいだし。
愛い奴よ。
「でも船旅かー。船中泊ってなると俺も経験ないし、いつか行ってみたいな」
とはいえ船旅ってのは確かに楽しそう。
どこ行こう? バリ? セブ? グアムやハワイも? ……そうか、それを新婚旅行に……!?
ってそれはまだ気が早いだろ俺!
なんて脳内一人会話を展開したりした俺だったのだが——
「じゃあいつか行こうね。でも、泊まったことないだけでゼロやんはこの船乗ったことあったの?」
しっかりと俺との船旅の約束を結んだ後、だいがテーブルに身を乗り出して、ちょっと探るような表情で質問してきた。
その顔に俺はピンときて、妄想の世界から引き戻される。
そう、この表情はね、たぶん俺の過去のデート歴を探ろうとする表情なのだ。
でも今回それは不正解。
「2年前くらいに高校の友達がこんな感じのクルーズ船で結婚式挙げたんだよな」
「船上で、ってこと?」
「そうそう。東京湾周遊しながら披露宴やって、港戻って参加者増やして二次会も船で、って感じだったよ」
「え、すごいねそれっ」
ってことでした。
そんな俺の答えに、だいはたぶん探ろうとしていたことを忘れ、純粋に俺の話を想像して盛り上がっている様子を見せていた。
軽く上を見上げるように想像してる姿が可愛らしい。
でも結婚式、結婚式かー……。
俺が参列した中だと、途中で式場の屋根がフルオープンして、みんなで風船飛ばした奴とかすごかったな。
でも俺とだいなら……うーん、やっぱりなんだかんだ王道がいいなぁ。スタンダードなチャペルで、みんなに祝福されながらヴァージンロードを歩きたい。いや、そもそもまずだいのウェディングドレスとか、それを考えただけで最高だし。
……え? 出会った場所であるLAの中でやらないのかって?
いやいや流石にそれはない。たしかに〈Daikon〉はだいの姿になれたけど、さりとて次元の壁は超えられんのよ。むしろまだ縁もゆかりもないけれど、ロサンゼルスの方があるくらいだわ。
……まぁ付き合うきっかけの告白はさ、LA上だったけど。
と、俺がだいの質問に答える流れのまま、俺が一人妄想に耽ってしまったら——
「ねぇ?」
「へ?」
いつの間にかテーブルの向こう側に、やや呆れ気味の表情を浮かべる美人がいて——
「今考えてたこと当ててあげよっか?」
鳩が豆鉄砲食らったみたいに虚を衝かれた俺に向けて、髪をかきあげながらその呆れ顔がニヤッと笑った。
え、まさか心読まれた!?
だいの表情に俺はさらにテンパるが——
「やっぱりやーめた」
「え?」
そう言ってだいが今度は何故か楽しそうに笑ってみせて、俺はぽかんとさせられる。
ぽかんとしたまま、俺は口元に手を当てて笑うだいを見る。
でも——
「私も楽しみにしてるからね?」
ひとしきり笑った後、こう言ってきた時の表情が、それはもうあまりにも美しすぎて——
ああくそ、ホント大好きだなおい!
具体的な言葉はなくとも、手に取るように俺の心を読んできた恋人に、俺はしばらく何も言えないまま、顔の熱さに耐えるしかないのだった。
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