第581話 安住の地は何処かや

「ちょ、マジヘルプ!」


 さっきまで暴走に暴走を重ねていただいが、力無く俺の上でぐったりする。

 それは落ち着いて考えれば、先ほどまでの怒涛の展開に対してある意味安心出来る展開、だったかもしれない。

 だが今は彼氏として彼女を心配するという気持ちしか生じるわけなく、俺は慌ててベッドの近くにいるはずの二人に声をかけた。


「大丈夫っすか!?」


 そんな俺の声にすぐに応えてくれたのは、さっきまで怖がったり焦ったりとで落ち着かなかったはずのロキロキ。でも俺のヘルプに只事ではないと察してくれたのだろう。流石いい奴!


「今の頭突きで気絶したくさい!」

「え、マジすか!?」


 そんなロキロキに俺は簡潔に状況を説明し、完全に脱力した人間を持ち上げるためのヘルプを求める。

 しかしやはり彼女に倒れられるというのはかなりの焦りを生むようで——


「頭をぶつけたなら慎重に動かさないと」


 佐竹先生の心配する声に、俺はたしかにとハッとした。

 だいは頭をぶつけてこうなったのだ。となれば脳に衝撃がいってる可能性もなくはない。

 やはり焦りはよくないな。

 気付かせてくれた佐竹先生には心の中で一言礼を言っておこう。


「やよの言う通りっすね。俺がだいさんの頭揺れないように支えとくんで、ゼロさんはゆっくり起き上がってもらっていいっすか?」

「やってみる!」

「手伝います」


 そしていざ介抱するとなったら、さすが体育科、手際がいい。

 俺がロキロキの指示通りにゆっくりと上体を起こす傍ら、ロキロキと佐竹先生がだいの頭を揺らさないようにするのはもちろん、身体が急に倒れたりしないように支えてくれて、まず俺がだいの下から脱出した。そして3人がかりでゆっくりそーっとだいを180度回転させて、なんとか無事にだいを仰向けでベッドの上に寝かせることに成功。

 ああ、数分ぶりの自由の素晴らしさ。

 っていかんいかん、何はともあれだいの手当をしないとな。


「あざすっ!」


 そういうわけで俺はすぐに部屋を出て、冷凍庫から保冷剤を取り出し、それをタオルに巻いてだいの所へ舞い戻る。

 そしておそらく俺にぶつかってきたであろう額のあたりをそーっと触って確認し、軽くこぶになっている部位を冷やしてやる。

 しかしけっこう冷たいのを当てても反応なし。

 大丈夫……か?


 と、俺がだいの顔色を伺えば——


「呼吸も安定してますし、とりあえず大丈夫そうっすね!」


 ロキロキの言う通り心配そうな3人の視線を受けるだいは思ったより穏やかな顔で小さく呼吸していて、その姿に俺はホッと胸を撫で下ろす。


「改めてさんきゅ。助かった」

「いえ! 元を正せば俺のせいみたいなとこあるわけですし……」

「というか里見先生もですけど、北条先生は大丈夫なんですか?」

「え?」


 そしてとりあえずひと段落と思いつつ俺はだいの頭を冷やしながらベッドに腰掛け、ベッドの前でしゃがんでだいの様子を見守ってくれている二人に礼を言うと、ロキロキはいい返事をしたあとバツが悪そうな顔を見せ、佐竹先生は俺を見上げるように謎の質問を聞いてきた。

 その佐竹先生の問いに俺ははてなを浮かべて問い返したのだが。


「酔ってたのもあるとはいえ、里見先生が気絶するくらいの衝撃ですよね? 北条先生、もしやかなりの石頭……?」

「あ」


 そう言われてそこで改めてだいの頭突きを食らった場所に手を当てると——


「っつ! うわ、俺もこぶなってんじゃんこれ」


 左眉の少し上あたりにそっと触れて気付いた痛みに、俺は軽く涙目に。

 でもそりゃそうだよな! めっちゃ痛かったもんな! だい気絶してるわけだもんな!

 思い出す。完全に酔っ払いによるリミッターなしの、フルパワーヘッドバット。

 うん、マジで痛かった。

 むしろ額が割れなかっただけよしとしよう、うん、そうしよう。


 なんて自己完結してみたのだが——


「痛いなら冷やした方がいいですよ」

「え」

「俺冷やすの取ってくるっす!」


 だいが暴走する前とは裏腹に、予想以上に佐竹先生が心配してくれて、俺は正直戸惑った。だが俺が反応に窮しているうちにロキロキが立ち上がってまた部屋を出る。

 ロキロキのフットワークの軽さは流石だが、しかしなんだろうか、俺のことを堂々と恋敵とか言ってのけたくせに、佐竹先生のこの態度。

 少なくともさっきは明らかに俺のことを好意的に見てなかったのは明白だが……。

 わ、分からん……。

 しかし今は別に俺に対して嫌そうな表情は見せず、いつもの真面目そうな顔つきでだいを心配する佐竹先生になっている。

 そんな事実に、俺は戸惑った。


 そんな俺の混乱が顔に出たのだろうか——


「何ですか?」


 ふっとこちらを見上げ続ける佐竹先生からの質問がやってくる。

 その瞳は真っ直ぐで、見上げる姿は上目遣いのようで、ちょっと可愛い。

 そんな気恥ずかしさを覚えて俺が「いや」と言葉を濁したら——


「別に痛そうだなって思っただけですよ。それに、私よりあきのほうが北条先生のことは心配してると思いますよ」

「え? あ、いや、でも——」


 それ以上にどう対処していいか難しい話題を切り出され、俺はさらに返事に困った。

 だが——


「あの子ホントガチで好きになってるんですね。可愛いなぁ」

「え?」

「もうちょっと飄々としてるイメージだったんですけど、これが恋の力なんですかね?」

「いやいや……」

「いや、恋の力ってすごいですよ。だって里見先生もどんだけ北条先生のこと好きなんだって感じだったじゃないですか? 酔ってた姿を見られたのも幸せでしたし、あのデレデレな里見先生の姿を見られただけでありがとうございますって感じでもありますから」

「……は?」

「うわ、思い出してきちゃった……でもちょっと本当にあの可愛さは反則じゃないですか? いえ、そもそも初めて会った時から「うわなんだこの天使」って思いましたけど、その天使様があんな小さな子どもみたいにわがままにくっついて甘えるとか、ああ、あれが動く幸せってやつだったんですね。もし私にくっついてきたと思ったら死ねますね。うん、ほんっっっとに可愛かったですね……!」

「いや、ちょ——」

「というかそもそもですよ? あんな可愛さの概念そのものみたいな人と付き合えるとか、北条先生これまでどんだけ徳を積んできたんですか? いえ、きっともう徳を積むだけの前世を何世にも渡って繰り返したに決まってます。ああ、ほんと羨ましいし里見先生愛おしい」

「いやだから——」

「——あ、やっぱりあきに乗り換えて私に譲ってくれません? あきいい子ですから、一緒にいたらきっと好きになりますよ。そうやって北条先生にフられた里見先生を私が慰めて一気に好きになってもらう作戦とかどうですか? Win-Winじゃないですか? うん、そうましょ——」

「いや待て待て待て待てっ」


 やっぱりヤバい奴だった!!

 

 急に自分の世界に没入したかのように一気呵成に告げられた怒涛の言葉ラッシュに、俺は完全に唖然茫然してしまったが、ちょっとでも可愛いとか思った己を恥じたいね!

 そんなガチめにヤバいことを言い出してきたこの人に、俺はドン引きしながら制止をかける。

 いや、マジでこの人なんだ? なんなんだ? だいのことが好きなのは分かった。分かったが流石に色々ヤバすぎんだろ……!

 最早恐怖。

 そう、俺が感じたのは恐怖だった。


 少なくともこいつには絶対だいは渡せない……!


「ゼロさんこれで冷やしてくださいっす!」


 完全に俺の中で佐竹先生がヤバい奴認定された直後、俺の恐怖を和らげる声がやってきて、その姿に俺は少し安堵する。

 なんだろう、たしかに色々今回の原因なのかもしれないけど、やっぱりロキロキはいい奴だからな!

 と、思った矢先——


「っとわっ!?」


 玄関側と部屋側を隔てる境目、そこにはわずかな段差があるのだが、急いで駆けつけようとしてくれたロキロキがそこに引っかかって躓いた。

 そしてその手に持っていた保冷剤がその手から離れたのを俺の目が捉える。

 それは駆けつけてきたロキロキの勢いのまま手放され、けっこうなスピードで直線軌道を描き出す。


 ああ、あれ当たったら痛いだろうなぁ。


 そんな思考をしたのは、たぶん刹那のものだったろう。

 だがそれでも、その思考は俺に反射的な動きを命じさせて——


「危ないっ!!」


 俺は咄嗟に庇うように、この身を動かしたのだった。

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