第580話 暴走列車は止まらない


「里見先生、大胆なんですね……!」


 恥ずかしさに顔が熱くてしょうがない。


「だ、大丈夫っすか……?」


 そんな状態の俺の耳に聞こえてきた声はたしかに二つ。だけど今はもう視界がいっぱいいっぱいな上、そもそも声の方に顔を向けることが許されていない。

 そう、今俺の目の前には瞳を閉じた美人の顔がゼロ距離にあって、口内にはぬるついた温かなものが侵入中。


 ……いや待て! 人前! 人前だぞおい!?


 俺は見開いた目でそれを訴えようとするけれど、あいにく目の前の顔は自分のしていることにご満悦ななのか、美しい眼を閉じておられて俺の訴えは届かない。

 というかそれどころか時折チュッチュッと柔らかな舌を俺の唇に這わせたり、その小さな唇で甘く優しく唇を食んだりして甘美な音を響かせて、完全に二人の時モードになっている。

 ロキロキと佐竹先生からすれば、まるで洋画でよくある恋人同士の濃厚なキスシーンを再現されている気持ちだろう。

 恥ずかしい。恥ずかしすぎる。

 だがだいは両腕をしっかりと俺の首に回して力強く抱きしめてき、俺に逃げる道などどこにもなし。

 そんな激しいだいのスキンシップからは、たしかにアルコールの気配が伝わった。

 この時間にアルコールが残っているということは、ここに来るまでに飲んできたか、ゆめの家で相当飲んだか。

 どちらかだとは思うが、今考えるべきはそこじゃない。

 マジでこいつ他の人がいること忘れてんのか!?

 いや、まずい。このままの流れはまずい。

 この流れのままだったら——


 だが俺の焦りをよそに室内には変わらずやたらと扇情的な音が響いていて——


「エ、エロいっすね……」


 うん、このキスめっちゃエロいよね……。

 じゃない! やめい! 見てんじゃないよ!

 と、言いたくても言えない状況の中、軽く引いてそうなロキロキの声が耳に入る。

 しかも何とかやめさせたいのに、変な焦りや緊張と、何より激しく接近的なだいの攻めの前に、自分の中で自分をコントロールし切れなくなってきて——


「うわっ、やっぱりおっきいっすね……」

「こんな状況でも北条先生をその気にさせるなんて、里見先生そんなアグレッシブなところも素敵です」


 うわーーーーー!!!


 穴があったら入りたい。

 ええ、文字通りに入りたい。

 いや、いっそ殺してくれ……!


 耳に入ってくる言葉たちから二人の視線がどこにいってるのかが伝わって、俺はもう羞恥心爆発したい気持ちでいっぱいだった。

 そんな感情とは裏腹に反応してしまっている自分の自分も恥ずかしくて、俺は何とかだいを引き離そうとだいの肩を押すけれど、上から体重をかけてきているだいもまた強い力で俺の頭を抱いてくるせいで引き離すことは叶わなかった。

 そんな羞恥心に耐えながら、俺とだいの密かな攻防が繰り広げられる中——


「あきさ」

「うん?」

「今やっぱりって言わなかった?」

「え……? あっ!」

「見たんだ。……あ、まさか、ヤった?」

「それはないよっ!!!」

「それは、ね」

「やよっ!?」


 二人の視線を考えないように努めていた俺の耳に聞き捨てならない会話が入ってきて、俺は一瞬自分の記憶をおさらいした。

 だが一番不安な言葉は流石にない。いかに酔っていたとはいえ、夜中にその展開になっていれば流石に気付くだろう。

 だが見られた方は……たしかに今朝方、全裸をお披露目してしまったが……。

 え、あの時ロキロキは笑ってた上、そんなしっかり見られてた感じはなかった。けど……え、そんなしっかり意識してた、だと……!?

 そんな戸惑いが押し寄せる。

 そしてそれは酔っ払っただいの耳とて聞き逃せる言葉ではなかったようで、聞こえてくる二人の会話によって俺の口内で暴れ回っていたものが大人しくなって——


「ねぇ」

「してないっす! 断じてそれはないっすよ!?」


 ゆっくり、スローモーションのように顔を上げただいが、激しめな口付けを交わしていた唇を動かし、その目に俺を捉えたまま呟いた。

 そしてその言葉が自分に向けられていると察したのだろう、ロキロキから全力の否定が飛んでくる。

 その声に俺も——


「だい、まず落ち着け。落ち着こ。な?」


 と可哀想なロキロキに加勢してみた。

 だが——


「でも見てはいるみたいですよ?」

「やよ!?」「ええいっ、ちょっと黙ってろ!」


 余計なことを言ってくる佐竹先生が火に油を注ごうとしてきて、俺とロキロキから同時に止めようとする声が飛ぶ。

 だが発せられた言葉を止められたわけではないわけで、この油にだいがどんな反応するのか、俺は緊張した面持ちで顔色を窺ったのだが——


「潔白かどうかもこれは審議ですね」

「おい!?」

「あきはキスはしてるわけですし」

「ちょ!?」

「それより先にいこうとしても……」

「だから余計なこと言うなっ!!」


 鬱陶しいことこの上なく佐竹先生の茶々入れが入って、俺はそれを止めようとしながらも、どんどん無になっていくだいの表情を見続けた。

 そしてだいの顔が少し上がったと思った、その矢先——


「ダメっ!!!」

ゴンっ!!

「だっっっ!!」


 一瞬視界の端に星が飛んだ。

 そう、だいが少し顔を……というか頭を少し上げた直後、それはもう物凄い速さでだいが頭を下げてきたせいで、だいの頭と俺の額がごっつんこ。いや、こんな可愛い表現で言ってみたけど実際はゴンっ! だからな。相当鈍い音が部屋中に広まった。

 その痛みに咄嗟に俺はだいの肩に当てていた手を離して自分の額が割れていないか確認したくなったほどである。

 だが俺にぶつかった当の本人は——


「お、おい?」


 身体にのしかかる重みが、明らかに増した。

 その状況に俺はじんじん痛む額を抑える手を離し、くたっと俺の身体の上でぐったりしだしただいの肩をとんとん叩いてみる。

 だが——


「だい? だいさーん?」


 反応が、全くない。

 え、嘘?

 え、まさか!?


「だいっ! だいっ!?」


 何度か大きな声で名を呼んで、肩も揺さぶってみたりしたが、相変わらず反応なし。

 近くからはだい以外の「え?」とか「大丈夫ですか?」なんて声が聞こえてくるが、やはり一向に返事はない。

 

 え、嘘、まさか……!?


 この状況でまさかの自爆をかましてきた疑惑の我が彼女に、俺はもう絶句するしかないのだった。

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