第574話 今までになかったこと
「そんな格好じゃ風邪引いちゃうじゃない。待ってね、今着るもの渡すから」
「えっ、あっ——」
「たしかこの辺にパーカーが……うん、あった。はい、これ」
「あ……ありがとうございますっす……」
冷たい室温の中、勝手知ったる我が家の暖房を起動した後、優しい声でロキロキを気遣っただいが俺の横を通り過ぎ、クローゼットから俺の私物パーカーとスウェットを取り出してロキロキに渡す。
それを受け取ったロキロキはそれをすぐ着るか迷った後、とりあえず着るしかないと思ったのだろう、変な格好ではあるが、ワイシャツの上からパーカーを着て、もぞもぞと毛布に下半身を隠しながらスウェットズボンを履いていた。だが服を着たにも関わらず、何故かロキロキは所在なさげに視線を彷徨わせていた。
でも、こうしてようやくこの部屋の裸族が居なくなったところで。
「落ち着かないんでしょ? テーブルの上の、つけておいで」
だいが視線を一度テーブルの上に移して何のことかを示した後、また優しい声でロキロキに指示を出す。
その言葉を聞いてロキロキが驚いたように目を見開いた後、サッと立ち上がり——
「すみませんっ」
テーブルの上にあっただいの視線の先、ロキロキが着る途中だったと言っていた補正下着を取って部屋を出ていった。たぶん着替えのためにトイレかなんかに行ったんだと予想された。
そうか。ロキロキの落ち着きのなさはあれを着てない状態で、女性と同じ部屋にいたから、ってことか。
そう考えると、やっぱり男、なんだよな。
とか何とか思っていると——
「やよ!?」
部屋を出て行ってすぐ、ロキロキの驚く声が聞こえた。だが誰かの返事もないままにすぐバタンッと音がしたので、ロキロキはやはり予想通り着替えのためにトイレに入ったようだ。そしてもう一つ、だいが連れてきた人物はロキロキの知ってる奴っぽいことが明らかになった。
でも、やよって誰だ?
そこに俺はピンとこなかった。
というか、それよりも何よりも——
だいと二人という状況に、今の俺は完全に震えていた。
言葉が出ない。
だいがこの部屋にやって来てからここまでの間、だいが俺の方に目を向けた時間は一瞬たりともなかった。
そして今もまた、俺の方に目を向けることはない。
それが俺には怖かった。
当然だいからの声かけに期待する方が間違っているのは分かっている。
というかここで待つなんて選択肢を取るのは最悪だ。
この局面は俺が作ったのだから。
そしてこの状況を簡単に改善させる言葉なんて、存在しないんだから。
だから最初は怒られて冷たくされても、言い訳に聞こえてしまっても、正直にあったことを話すしか無い。
分かっている、分かっているのに——
怖いものは怖いんだよな……!!
ロキロキが部屋を出た後、だいはベッドの上の毛布やら部屋の中を整えていたのだが、その表情に色はなかった。
それはさっきまでのロキロキに見せていた優しい表情とは真逆の、冷たい冷たい顔で、今どんな心境なのかは、想像するに難くない。
でも今の俺には、その顔すら向けられない。
その恐怖感が、俺の胸中を支配していた。
勇気……! 勇気と誠意を見せろ俺……!
「あ、あのさ……っ」
そんな強い覚悟を持って、俺は震える声を出す。
きっとだいからは冷たく「何?」と返ってくる。
だから最初に言うべきことは「ごめん」だろう。そして言うのだ。軽率なことをしてごめん、と。いくらロキロキが心が男とはいえ、さっきの状況はだいを嫌な気持ちにさせてしまっただろうって。
そんな流れを脳内に浮かべながら、俺はだいが冷たい視線を向けることを待ったのだが……。
視線が、来ない。
まるで何も聞こえていないような、そんな様子でだいは部屋の中を片付けていく。
俺の声が震えていて聞き取りづらかったのか?
そう思って俺はもう一度。
「あのさっ」
と、声を出してみたが——
冷たい視線が俺に向けられることはなかった。
この狭い室内で、聞こえないなんてことはあるわけがない、そんな声量を出したのに、だいにはまるで何も届いていないような、そんな様子が帰されるのみ。
つまりこれは……。
相当な状態だ……!!
そんな危機感を抱くのは当たり前に容易だった。
冷たくされる方が絶対にいい。
だってそれは俺を認識した上での振る舞いなのだなら。
でも今のだいは、そもそも俺がそこに存在しないかのように振る舞っている。
完全スルー状態だ。
これは今までに経験のないだいで、その感情がどのようなものなのか、俺には全く分からなかった。
いや、分かることはある。
それはとにかくだいがマイナスの感情になっているということだ。
でもここで俺が引くわけにはいかないだろ……!
「ごめん!」
三度目の正直とばかりに、俺は大きな声を出しながら両腕を足に沿うようピンと伸ばし、腰を90度折り曲げて頭を下げた。
誠心誠意、それを伝えるような、そんな動作だったのだが——
「っ……!」
やはりだいの視線は、俺の方にやって来ない。
そしてテーブルの上に何か箱を置いた後、一切俺を見ることなく、一旦部屋を出て行って——
「お待たせしました、どうぞ」
優しい声音が、出て行った先から聞こえてくる。
俺のことは無視したまま、お客人を招く……だと?
え、ここ俺んちだよ?
え?
そのだいの行動は、あまりにも恐ろしくて——
ど、どうする!?
どうする俺!?!?
俺はただただ戦慄し、狼狽えるしかできないのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます