第570話 事件ですか事故ですか

「ん……」


 チュンチュンチュン、なんて鳥の囀りが聞こえるような季節ではないけれど、ぼんやりと動き出した頭の命令で薄っすら目を開くと、昨夜閉め忘れたらしいカーテンからそこそこに明るい光が差し込んでいた。


 しかし眠いしだるい。

 ああそうか、昨日けっこう飲んで……あれ、そのあとどうしたんだっけ……。

 でも今日は……たしか土曜日だよな。

 ならまだ寝ててもいいか。


 半分以上寝ぼけている頭で昨日のことを思い出したところで、俺は仰向けの姿勢から約90度体を左に傾けた。

 そこでぼんやりとした視界に入ったのは、俺が身体の向きを変えたことで向き合う体勢になった、小顔なんだろうなって感じの人の頭頂部。

 ギリギリ密着しない距離だったけど、そもそもこうやって一緒に寝る相手といえば、俺にとっては一人だけ。

 その存在に気付いてようやく、右腕にささやかな重みを感じることにも気がついた。でもその重みを与えてくる頭の持ち主はまだ眠りの中にあるようで、耳をすませば心地良さそうな寝息が聞こえてくる。

 俺の腕枕でぐっすり寝てるなんて、ほんと可愛いなぁ。これぞ休日ってやつだよね。

 そんな風にぼんやり思うが、なかなかどうして隣で誰かが寝ていると、自然とこっちも眠くなる。

 そんな穏やかに眠る存在を、俺はもう一眠りするならと目を閉じながら左腕を回して引き寄せると、眠り姫は希望通りもぞもぞとくっついてきてくれて、温かな肌の温もりが伝わった。

 ……ん? あ、そっか。昨日の夜は服脱いで寝たんだっけ。

 俺は裸族じゃないから基本的にジャージとか着て寝るんだけど、昨日は疲れて着替える間もなく寝ちゃったんだったかな。

 ってか、ちょっと寒いな。

 それはきっと肌の温もりを感じたせいだろう。室内とはいえ11月下旬の朝は寒く、毛布からはみ出ていた肩がだいぶ冷えているのが感じられた。

 だから俺は左手で毛布を探してから肩までかかるように掛け直し、再度温もりを求めるようにまたすぐそばにいる存在を抱き締めて、おまけとばかりに身体に回した腕でそのさらさらした背中を優しく撫でた。

 そしていつもよくするように、腕の中の存在の額に優しくキスをする。

 身体はだるいけど、触れる感触が心地よい。そんな本能に導かれるまま、背中から腰、そしてさらに下へと触れる手を伸ばすと、やがて柔らかな丘陵が現れた。そこで気付く。どうやら俺の腕の中の子は一矢纏わぬ姿であるらしい。

 これは普段、あんまりない。

 色々致した夜のまま、って朝もないわけではないが、最近は寒くなってきたから基本的に服を着直してから寝ることが多かったから。

 とはいえ、その気づきに起き抜けならではの反応が身体に現れてきて……俺は欲望のままにその反応を向こうの両足の間のしかるべきところに当てようとしつつ、左手を呼び戻し、密着する身体の隙間にその手を差し込んであの幸せな柔らかさを味わおうとした。

 そして小刻みに腰を動かして、俺は自身のそれを隣に眠る存在の股下の辺りにこすりつけるように動くと、なぜだか少ししっとりしてくる感じがしてきて、それが俺の本能を興奮させた。

 それに合わせて、さらに柔らかさを味わおうと優しく何度も左手を動かし、その膨らみの先端を指で挟んでみたりする。

 そんなことをしてみたら——


「あっ……ん……」


 隣にいる存在の身体が両膝を上げてキュッと縮こまるように反応し、股下にこすりつけていたそれが追い出された。

 だが、その声により一層俺の興奮が湧き上がる——ことはなかった。

 それよりもその反応に、いやその反応を伝えた声に、俺の脳が引っ掛かる。

 その引っ掛かりを覚えたまま、恐る恐るもう一度左手で柔らかな膨らみに触れてみて——


「……?」


 気づいた。

 その瞬間、まるで血の気が引くように全身が寒くなり、眠気とかそんな陳腐な感覚が無限の闇へ吸い込まれる。

 いや、たしかに他の何ものに例え難き、この世界で最も至高と言える柔らかな感触はあった。

 だが、違う。

 それは違ったのだ。

 柔らかいかどうかで言えば柔らかいのは間違いない。

 だが、その質が違う。

 手に覚えていた感覚と、冷静になれば全く違うのだ。

 そもそも俺が触れたいと思ったそれは、俺の片手では収まりきらないはずの魅惑の果実のはずなのに——


「……んっ」


 もう一度指先を動かして感触をたしかめたそれは、やはり小さかった。

 俺が指を動かすと時折声を漏らすこの存在の二つの果実は、何度指を動かしてその感触を確かめても、それは俺の記憶する大きさではないのだ。

 もちろん全くないわけではない。

 だがそれは、俺の左手の中に収まる形でしかなくて、その違和感に俺は怪訝な気持ちでようやく目を開けて——


「っ!?!?!?」


 完全に気づいた。

 いや、思い出した。

 理解してしまったのだ。


 鼓動がもう爆発するんじゃないかというくらい速いのが自分でも分かる。

 それでも、もし、もしかしたらと蜘蛛の糸どころじゃない可能性に縋って、俺はそっと顔を上げて恐る恐る眼前の眠り姫の顔を確認する。


 俺にあれこれ触れられたことに小さな反応は見せたものの起きる様子のない存在は、まだ俺の腕の中で穏やかに眠っていて、長いまつ毛を備えた瞳を閉じ、薄い唇を小さく動かして寝息を立てながら、何とも可愛らしい顔を浮かべている。

 だがもう分かっていたけれど、それは俺の思い浮かべていた相手ではないわけである!!


「んなっ!? だっ!?」


 これはもう寝ているどころではない。

 いや、寝ていてなどいられない。

 まずい、マズすぎる。

 事件ですか事故ですか?

 動転してそんな言葉も思い浮かべつつバッと枕にさせていた右腕を引き抜きながら飛び起きようとして、俺は見事なまでに左隣にあった壁へと頭を打ちつける羽目となった。


「ってぇ……」


 それでも何とか姿勢を戻して、ベッドに尻をつけたまま目の前の存在に視線を向けると、どうやらそちらも今のドタバタで目覚めたようで——


「んー……?」


 瞼をこすりながら、白い地肌を露わにした身体がベッドに手をつきゆっくりとその上体を起こしてくる。

 いつもの活気を感じる瞳は眠そうな様相で可愛らしいとも言えるのだが、日焼けした顔や腕や膝下のせいか、やたらと肌が白く見え、それが何とも扇情的で——


「か、隠せってっ」


 こいつの寝起きの声を聞くのは2度目だななんて思い出す余裕はなく、俺はとにかく俺と目線の高さを近づけたその存在に全て曝け出されている身体を隠すよう、さっきまで自分もかけていた毛布を投げつけようとした。

 だが俺自身が踏んでいたこともあり、それは虚しい抵抗に過ぎなかった。

 そんな俺に、目の前の存在はしばらくぼーっとした顔を見せていたが、謎の沈黙10秒ほどを挟むと——


「どんな格好でどんな状態なってんすかー」


 と、心臓を吐きそうな俺をよそに一度目線を下げた後、いつも通りの屈託ない笑顔を見せて笑い出す。

 その笑顔に、俺は最早何も言葉を発せず最上位の硬直デバフを受けたように固まってしまったのだが——


「あ、ってかすみませんっ。俺、途中で寝ちゃったみたいっすねっ」


 急にハッとした様子で自分の身体を確認したあと、目の前の存在が恥ずかしそうにしながら不穏な言葉を口にする。


 と、途中……だと!?

 え、待て待て待て待て待て!

 それは何の途中だ!?

 え、まさか!?!?!?


 そんな止まらない焦りに脳を支配されながら、俺は何も身に纏っていないせい身体のラインが露わとなっている、完全にと見つめ合うのだった。

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