第559話 合流と異変
「しかし、補習の代理とは大変だな」
揺れる電車の中、片手で吊り革を掴みながら、俺は隣に立つだいに話しかける。
「うん。普段は高2相手に数Ⅱと数Bしかやってないからさ、久々に数Ⅲの内容だったから、間違えたらどうしようってちょっとドキドキしちゃった」
「おお、俺には絶対できねーなー」
「受験も近いし、頑張ってる子たちは応援してあげたいからね」
「ん、えらいえらい」
「うんっ、えらいでしょ」
俺の切り出しに最初こそ真面目な返答のだいだったが、俺がそれを褒めた途端にハッとして、上目遣いで子どもみたいなドヤ顔を見せてくる甘えたモードに変化してしまい、俺は反射的に吊り革を持つ手を離しだいの頭をなでなでした。
そんな俺にだいは目を線にしてニコニコとご満悦な笑顔を見せるが、しかしほんと、最近は公共の場でも甘えるようになったなぁ。
可愛いんだけど、近くに生徒いたらどうしようってちょっとドキドキもしちゃうよね。
中央線はだいも俺も職場から遠くないし、だいはほら、学校だとたぶんクール系って思われてるだろ? こんなとこ見られたら学校でイジられちゃうんじゃないかな……?
……いや、待て。もし俺が月見ヶ丘の男子生徒だったら……普段クールで美人な先生のデレてる姿とか、そのギャップに余計やられるか……!?
そうか、つまりだいは無敵……!?
なんて、だいが俺に褒められた後、今日教えた数学の問題がどんなもんだったかについての話を始めてくれたけど、当然俺にはそんなん分かるわけもなく、話半分に聞きながら目の前のだいの可愛さに訳の分からぬ妄想を展開していると——
「ん? どうかした?」
「え、あ。いや、何でもないっ」
急に疑問を投げかけられ、俺は慌てて首を横に振りまくった。
もしかしたら変な顔をしていたのかもしれないが、気づけばまただいが上目遣いで不思議そうに俺を見つめている。しかも小首を傾げるおまけつき。
くそ、いちいち可愛いなおい。
ほんと、この一つ一つの可愛さを感じる動きも、だいの場合は極めて自然体なのだから、全くもってタチが悪い。あ、いい意味でね?
可愛いと思ってるからそう振る舞うのではない。これは俺の前以外では解放しない本来のだいが甘えん坊のわがままプリンセスだからこそ見せてくる本能的な仕草なのだ。
……そんなのもうさ、愛おしくてしょうがないじゃん?
そんな思考を表には出さないまま——
「好きだなぁと思っただけだよ」
穏やかに、落ち着いて、俺が小さくそう告げると、だいはきょとんとした顔になって——
「数学の話?」
「ちげぇよっ」
このど天然が!
文系の俺が数学好きなわけあるかい!
まさかまさかな切り返しに、俺はツッコミの大部分は胸の内にしまいながら、ボケボケなことを言ってきただいの頭をペシっと叩いてから、堪え切れず笑ってしまった。
そんな俺をだいは不思議そうに見ていたが……うん、ゆきむらも大概だがこいつも相当なんだよな。
ほんと
☆
19時24分、新宿駅。
「けっこう遅くなっちゃったね」
「だな。でも連絡はしてるし、むしろゆきむらに教員の仕事は時間が読めない部分もあるってことを教えられるんじゃねぇか?」
「ポジティブね」
「物事は多面的・多角的に見るものだからな」
「そこで社会科出してくるのね」
「お、よく知ってんなぁ」
「社会科の先生たちそのフレーズよく使うから、覚えちゃった」
「そんなよく使うことあるか……?」
電車を降りて、人だらけの駅のホームではぐれないようだいの手を握り、俺たちはこんな会話をしながらゆっくりしたペースでまずは南口に向けての移動を開始した。
さすが金曜日、既に駅構内は明日からの休みに向けて何だかウキウキしている雰囲気の人があちこちに見受けられたし、これからデートや飲み会なのだろう、待ち合わせをしている人たちも多かった。
休前日の多幸感たるや、だな。
もちろん俺もその雰囲気を醸し出す存在の一員なわけだけど。
「はぐれんなよ?」
「じゃあしっかり握ってね?」
まもなく改札を抜ける辺りは人が多かったので振り返って一言告げたら返ってきたこの返事。
ほんともうね、週末の楽しい雰囲気をより盛り上げてくれる存在の、何と愛おしいことか。
俺は握った手に力をいれると、向こうもギュッと握り返してくる温もりに愛を感じながら、だいと仲睦まじく約束の店を目指すのだった。
☆
19時32分。
「わりっ! 遅くなったっ」
「遅れてごめんね。ゆっきー合格おめでとう」
到着した居酒屋の店員さんに案内され入ったのは、オレンジがかった温もりある光に照らされた個室ブースで、外の寒さを忘れるくらいの暖かさに包まれていた。
その部屋に、俺もだいも遅れたことの謝罪をしながら入ったのだが——
「分かるかゆっきー。これが大人だ。社会人だ。自分に非がなくても予定が狂うことはある。それでも時間を守れなければまず謝る。これがマナーだぞ」
「なるほど、勉強になります。あ、お二人ともこんばんは。来てくださってありがとうございます」
「……もう酔ってんのか?」
「そこそこかなっ。ま、とりあえず倫とだいが来てこれで全員揃ったな!」
「仕事おつかれ〜。高3の補習とか難しそ〜、すごいよ〜」
「お疲れ様っす! ほんと、5教科の先生たちリスペクトっすよっ」
改めて室内を見渡せば個室内の最奥のお誕生日席に主賓のゆきむらが鎮座し、その右手にぴょん、左手に大和が座っていて、ぴょんの隣にはゆめ、大和の隣にはロキロキがそれぞれ座っていた。
そのフォーメーションから俺はロキロキの隣に行き、だいがゆめの隣に着席する。
これでゆきむらの右手には女子チーム、左手には男子チームの完成だ。
まぁ、そうでなくてもゆきむらから一番遠い、俺とだいが座った席にはここまで注文したであろう料理の一部が取り分けられていたのだが、俺が座った方よりもだいの座った方が明らかによそわれた料理の量が多かった。これはつまりそっちがだいで、反対が俺というのを暗に示していたということだろう。
……普通男側の方を多くするだろって? いやいや、こういうときに取り分ける料理のボリュームは普通全部均等にするもんだろ。それが意図的に片方多くなっている。これは明らかに仲間たちからの配慮なのだ。理由はもう、言わずもがなだな。
「何飲まれますっ?」
「ビール」
「私は梅酒にしようかな」
「了解っすっ」
そしてそんな配置の席に座って早々、ロキロキが俺とだいに飲み物を聞いてきて、俺らの答えを聞くと軽やかにタッチパネルを操作して注文してくれた。
ほんとこのキビキビした感じは後輩感あるなぁ、なんて思うけど少年のような爽やかな笑顔を浮かべるロキロキは今日のメンバーの中ではちょうど真ん中の年齢なんだよな。俺と大和、ぴょんの1個下で、だいの1個上、ゆめの2個上、ゆきむらの4個上……なんだけど、うん。全然見えない。
そもそもロキロキが敬語でだいはタメ口ってのもおかしいんだけど、まぁそれを感じさせない雰囲気を醸し出すのもロキロキってことなんだろな。
仕事終わりの体育の先生よろしく、ロキロキは上は少しダボっとしたグレーのパーカーで、下はカーキのコーデュロイパンツと、全体的に格好が緩く、何というか可愛い系の少年のように思わせる要因となっていた。
ちなみに大和は暗めの紺色無地のスーツ姿で、学校にいた時から変わっていない。
ゆめもぴょんも今日は仕事からの直行っぽいからか、ゆめは赤ベースのチェックスカートの上に白のスウェットを合わせるカジュアルな格好で、ちょっと幼い印象を与える服装だった。個人的にはけっこう好き。で、ぴょんは黒のパンツスタイルにゆめ同様グレーのスウェットを着ていて、こちらは完全に機動性重視というのが伝わった。
そしてゆきむらは、この前のスカートモードから通常時のデニムスタイルに白のロンTといういつものスタイルに戻っていた。それだけだと外は寒そうだが、壁には暖かそうな黒色のダウンがかけられているから、それで寒さは大丈夫だろう。
しかしこれ、だいがスーツだったら浮いてたな。うん、さすが着替えただいの正解だ。
そんな風に俺がみんなの姿を眺めていると、俺とだいの飲み物が届いたので——
「じゃあ主賓! 揃ったから一言よろ!」
「むむ、またですか?」
「これまでのは練習だ!」
「ちなみに4回目で〜す」
「多っ!?」
俺とだいが飲み物を受け取ってすぐ乾杯、とならないのはご愛嬌。ゆめ曰く4回目という乾杯の合図をゆきむらに出させようとするぴょんに、俺は当然ツッコんだ。
でも——
「今日は私のためにありがとうございます。4月からは皆さんと同じく教師として頑張りたいと思います」
ゆきむらは淡々としながらもちゃんと挨拶をし……そのまま謎の空白の時間が流れ出す。
当然そこはゆきむらが最後に「乾杯」と続けるだろうと思った俺は、あれ? っとなったのだが——
「おい! そこは乾杯まで言えって教えたろ!」
「あ、そうでした。乾杯お願いします」
そこはおそらくだいぶ出来上がってそうなぴょんから指摘が入り、ゆきむらから何とも締まらない「乾杯」が告げられた。
それを受け俺たちも苦笑いしながらグラスを合わせたが、しかしまぁさすがゆきむら。マイペースだなぁ。
なんて思ったのだが——
「ちなみにゆっきーはこれも4回目だよ〜」
「これも!?」
前言撤回! 天然過ぎる!
ゆめの発言に俺は驚きを隠さなかった。
でもそんなゆきむらにみんな笑っている。
それは何というか、ものすごく和やかな雰囲気だった。
まぁみんな年上だしな。年下のゆきむらなら、この程度笑い飛ばしてなんぼだな。
そんなまったりした気持ちになりながら、だいに合わせて取り置いてもらってた料理に手を付けようとした時——
「よし、じゃあゆっきーゴー!」
「はい」
突然のぴょんの指示を受け、主賓のゆきむらが立ち上がる。
そしてゆきむらの右手方向、女子チームの方を回ってだいの隣にやってくると、そこでゆきむらが膝をつき、だいの前で正座してから、じっとだいの顔を見つめ出した。
その様子を俺もだいも不思議な気持ちで見ていたのだが——
「だいさん、ごめんなさいにゃあ」
唐突なゆきむらの猫化に、俺は唖然茫然、目を丸くするのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます