第558話 早く行けとは言わないで

「次は〜阿佐ヶ谷、阿佐ヶ谷〜……」


 電車に乗る前に一箇所寄り、その後乗り込んだ電車でいざ西へ。

 ……目的地は東だろって? いや、そんなのは分かってる。

 ならばなぜ俺が学校の最寄駅から3つほど西側の駅に向かったのかというと、目的は明白。そこに俺の待ち人がやってくるからだ。

 現在時刻は18時39分。

 俺の読みだとそろそろだいが自宅に着く、そう予想すると——


里見菜月>北条倫『いてくれると嬉しいけど、いいの?』18:39


 どうよ! これぞ以心伝心!

 駅のホームで思わずドヤ顔になりかけるほど超ドンピシャのタイミングで、待ち人だいからの返事が返ってきたではありませんか。

 あ。あれだぞ? もちろん「いてくれると嬉しい」ってのは俺が送った「ボディーガードは必要ないか?」の答えだぞ。

 そんなだいの連絡に、俺は——


北条倫>里見菜月『既に阿佐ヶ谷まで警備に来てるから一緒に行こうぜ』18:40

北条倫>里見菜月『ゆっくりだいんち方面歩くから、急いですれ違ったりしないようにしよう』18:40


 圧倒的だいファーストな返事を送り、軽い足取りで駅のホームから改札階へと移動を開始した。


 今の俺ははたから見たら周りと同じく、一週間の仕事を終えた、休前日のウキウキサラリーマンに見えるだろう。

 いや、実際この後は遊びの予定で、しかもこれから彼女に会えるわけですし。

 そんなことを思いながら歩く19時前の阿佐ヶ谷駅は、俺と同じようにコートをまとったスーツ姿が多かった。

 なんたってあと数日で12月、完全なる冬の月を迎えるからな。

 気持ちは楽しくても外気温に暖かさなど微塵もなくて、日の落ちた今の寒さは意識し出すと「寒い」が止まらなくなる、そんなレベルまで下がっている。

 そんなわけで、今日の俺は青みがかかった紺色のストライプスーツの上に、防寒用の紺無地のステンカラーコートを着ている。そして大して中身の入ってないビジネスバックと紙袋を持つという、買い物帰りの量産型社会人の様相が現在だ。

 本当はもっとラフな格好の方が楽なのは分かってるし、教師ったらスーツにスニーカーにリュックという、コテコテなスタイルの方が一般的と思われがちかもしれないが、スーツは俺の拘りポイント。

 仕事するならしっかりスーツってのが、俺の譲れない信念だったりするわけである。

 ちなみにこの点は大和も同意してくれるところで、あいつも基本的に平日はスーツを着ているぞ。もちろん長期休暇とか土日の部活はその限りじゃないけどさ。

 ま、式典とかは別として、ドレスコードがないのはこの職業の特徴なんだけどね。

 今日の笹戸保健室の先生なんか白衣の下がフリルのついたパーカーにスキニーデニムと、一瞬大学生かと錯覚するくらいラフだったし。

 つまりまぁ、教員なんてそんなもんなのだ。

 ちなみにだいも仕事の時は俺と同じくフォーマル目な感じで行くんだぞ。ゆめとぴょんはカジュアルらしいけど。

 ロキロキは体育科だから、ほぼ100%ラフで確定だろう。……あ、これ偏見か?


 と、そんなことを考えながら、俺は改札を抜け、電車内とは対照的にひんやりした空気が支配する杉並区の街並みに足を踏み出していく。

 歩くたび夜風が当たって無意識に背中が丸まる。そんな寒さがそこにはあった。

 そろそろマフラー付けてもいいな。

 ……だいとお揃いとかにしてみたり?

 って、これじゃ生徒たち高校生の思考と同じじゃんな。

 むしろ自転車で通勤してるだいは、早朝の寒さ対策でもうマフラーとかしてるだろうし。

 朝はなー、マジでさみーからなー……。


 コツコツコツとゆっくり歩きながら、俺は正面からやってくる人のチェックも怠らない。

 とはいえ、まだ帰宅して5分くらいだから、当然だいが向かってくるには早いだろう。

 着替えて、たぶん軽く化粧も直してったら、そこそこかかるだろうから。

 むしろたぶん、俺がだいの家に着くのが先じゃないかな。


 なんてことを思ってるうちに。


「ま、だよな」


 18時51分、だいから連絡が来る前に、予想通りに俺はだいの家に到着した。

 ここでだいから聞いてる暗証番号を押して中に入ることも出来る、けど。


「入ったらたぶん、出発遅れる気がしてならない、よな」


 俺が家の中に入ったら、だいの甘えたモードが発動してしまう可能性が否めない。この前のゆきむらとのデートの話をしたら、納得はしてたけど軽くヤキモチ妬いてたくらいだし。水曜日も仕事の都合で一緒に外食しただけで、家でのんびりする時間はなかったし、たぶん甘えた分が不足している病態なのだ。

 そうなったらただでさえ遅刻しているのに、さらに遅れることになるだろう。

 いや、もちろん俺だって入ってあったまりたいんだけど、急いで準備してるだろうだいのペースを落とさせるわけにもいかないし、何より今日の主賓のゆきむらのために、少しでも早くだいを連れていくのが正解だろうから。

 ならば、少しくらい、な。


 そう結論を出して俺は壁に背を預けて、だいを待つことを決定する。

 時折通り過ぎる人がチラッと俺の方を見たりもするが、大して気には止められない。

 ここで変な格好してたら不審者に思われるかもしれないけど、スーツ姿様様だなこれは。

 

 そしてさらに待つこと5分くらいの、18時57分。


里見菜月>北条倫『準備できた!今どこ?』18:57

北条倫>里見菜月『おつかれさん。外で待ってるよ』18:57


 だいから連絡が入ったので、俺はそれにすぐさま返事を出す。

 その返事を出した直後——


「ずっと待ってたのっ!?」

「え、お、おう」


 少し慌てた様子で現れた美人の剣幕に、俺は思わず言葉を詰まらせた。


「つめたっ。もうっ、外寒いんだから中に入ってくればいいでしょ!」


 そしてさらに俺の頬に手を当てて冷えた体温を確認したあと、美しい顔が俺を叱責する。

 そんな彼女に、俺は引きつった愛想笑いを浮かべて「ごめんごめん」しか言えなかったが、俺の頬に手を当てたまま「もうっ」と頬を膨らませて怒るだいは、正直かなり可愛かった。そのせいで、怒られてるのに何だか悪い気がしないというっていうね。

 正面に立つ美人さんは、温かそうなベージュのボアブルゾンを羽織って、中には白のハイネックニット、下には黒のフレアスカートを着た、大人可愛い装いで、そんな子が俺の頬に手を当ててちょっと、俺が好きだからこその怒り顔を浮かべてる。

 ほらな、可愛いだろ?


「準備の邪魔しちゃうかなと思ってさ」

「鍵開けるくらいすぐできるわよっ」

「あはは、ごめんごめん」


 そう言って俺はまた誤魔化し笑いを浮かべるけど、「俺が中に入ったらちゃんと準備出来たかい?」っていう本音は口にはしたりしない。

 素直なだいのことだから、それを言ったらたぶんまた可愛い姿を見せてくれるだろうけどさ。


「じゃあほら、みんな待たせてるし、行こうぜ」


 そして俺は俺の頬に当てているだいの右手をそっと掴んで、話を変えて出発を促した。

 ここでの立ち話はさ、だいにとっても寒いだろうし。

 そう思った瞬間——


「待って」

「ん?」


 掴んだはずの手が、逆に引っ張られ——


「補充」

「……おうよ」


 ギュッと、前後から幸せな締め付けがやってきて、俺は幸せに包まれた。

 お返しとばかりに俺も片手を回して、もう片方でだいの頭を優しく撫でる。

 寒い屋外で、バイバイの前じゃなくこれから一緒に歩くのに、こうやって甘えてくるとはね。ほら、やっぱり甘えた分が足りてなかったってわけだよね。

 みんなに会ったら、しばらくは二人になれないし、これは俺にとっても補充です。


 そんな寒さも和らぐ幸せな時間を少しだけ過ごし、俺たちは手を繋いで、みんなの待つ新宿を目指すのだった。

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