第555話 大事なことはすぐに言うべし
午後8時37分。
人のまばらな公園の中を、俺たちは沈黙デバフを食らったかのように無言で、ただただゆっくり歩いていた。
アスファルトは既に乾き、朝から昼にかけて降っていた雨は地面の湿った落ち葉くらいにしかその残り香を感じさせず、暗い夜の空には少しの雲とはっきり見える半月が浮かんでいる。明日はきっと晴れだろう。
そんなことを思いつつ、空を見上げるフリをしてチラッと隣に目を配れば、隣にいる少女……というには大人だと思うが、隣を歩く女の子は、まだ少し目を赤くしていた。街灯に照らされた白い肌があまりに印象的だから、その目の薄赤さも際立っている。
でも、それに「どうしたの?」なんて俺には聞けない。聞けるわけもない。
だから、言葉は何もない。
街に響き渡る音たちと、コツコツと二人の歩く音が柔らかく響くだけ。
そんな空間が、俺たちの周りには生まれていた。
ちなみに今何でこんなことになっているのかと言うと、先ほどまで食事をしていた店を出る前、彼女からもう少し歩いてもいいかと言ってきたからだ。
彼女の気持ちを考えると何が正解だったか分からないが、状況とか立場とか、諸々の条件を考えて俺はそれにOKをした。
だから今ここにいる。
でも——沈黙したまま、彼女は何も話さない。
その整った綺麗な横顔は、いつもと大して変わらない。
出会ってから、こうやってよく俺に横に来てくれる子だったけど、ほんといつも変わらず、相変わらず綺麗な子だと改めて思わされる。
赤くなった目だけが、いつもと違うだけだった。
そんな横顔が、自分の真横から不意に消えた。
「ごめんなさい。今日は本当にありがとうございました」
「謝られるようなことはされてないし、お礼を言われるようなこともしてないぞ?」
横顔が消えたのは、彼女が立ち止まったから。
それに気づき俺も立ち止まり、振り返って静かな声音の謝罪とお礼に首を振る。
そんな俺を彼女は、ゆきむらはいつも通りぽーっとした眼差しでじっと見つめていた。
「雨、上がってよかったな」
「え、あ、はい。……でも雨なら夕方には止んでましたよ?」
俺の返事を聞いてまた無言になった彼女に、俺は空を見上げながら当たり障りないことを言ってみたのだが、そんな俺の言葉にゆきむらは笑うこともなく返事をする。
「そうだったっけ?」
その返事に俺はまた顔をゆきむらの方に向けて、軽く笑いかける。
それを見たからだと思いたいが、ゆきむらの口元がゆっくりと、分からない者には分からないレベルで、微笑みに変わっていく。
そんな彼女が——
「今日は私頑張ったんです」
急にちょっとドヤる感じで、褒めろと言わんばかりに胸を張る。
でも「頑張った」、そう言う彼女の言葉は間違っていないだろう。
初めて会った時は、なんだこの子は思った。
空気とか表情とか感情とか、そのくらい読めるだろってことすら読めない奴だったから。
でも、そんな子が——
「そうだな。告白するって緊張するよな」
好きって気持ちを明確に自覚して、その想いを伝えてきたのだ。
しかも報われないと分かってなお、真っ直ぐに。
これを成長と呼ばずして何と呼ぶというのだ。
大人だって自分の気持ちを真っ直ぐに伝えるのはしんどいのに、ゆきむらはそれを堂々とやり遂げた。
それに加えて、直後の苦しさには涙していたけど、それも今は落ち着かせて、俺に「ごめんなさい」と「ありがとう」が言えるのだ。
これを頑張ってないなんて、誰が言えるというのだろう。
想いを伝えた相手が俺じゃない誰かだったら、気持ちに応えてあげて欲しいと思っただろうし、フラれたとしたら全力で慰めてあげていただろう。
……そう考えると、俺とゆきむらなら、むしろ謝るべきは俺なんだよな。
でも、謝らない。
それはだいに対して失礼だから。
ゆきむらの「頑張った」に対してこんなことを考えていると——
「それもですけど、今日のデートもです」
「え?」
「私なりに、どうすれば楽しんでもらえるのか、デートプランを考えたんです」
「あー……なるほど」
あ、やっぱりこれ、デートだったのか。
そうか、デート。
うん、デートとしてなら——
「よかったですか?」
「ああ、いいプランだったよ」
間違いなく悪くないプランだった。
映画→展望台→ショッピング→ご飯となれば、博打性のない、万人相手に外さない安定性のあるプランだろう。
だから「よかったか?」の質問に、俺は首を縦に振る。
「なら、今後も使えますね」
そんな俺に、ゆきむらがまたささやかやドヤ顔を見せる。
「かもな」
その様子がおかしくて、俺は思わず答えつつ笑ってしまった。
でも——
「でも、私も楽しかったです」
「そっか、それならよかったよ」
楽しかったと言う割には、ゆきむらはまた少し表情を寂しくさせていた。
でもその変化に、俺は気づきつつも気づかないフリをする。
「楽しかったのはゼロさんだから、ゼロさんとデートしたからだと思います。でもいつかは別な好きになった人と、また同じ気持ちになれたらいいなとも思います 」
「……そうだな。頑張れよ」
「はい、頑張ります」
そしてその寂しさに気づかないフリをしたまま、俺は優しく笑ってエールを送る。
フッた側の立場だが、彼女を応援したい気持ちは嘘ではない。そんな「頑張れ」を、俺はゆきむらに送った。
そしてまた少し、静寂が続いたから。
「いや、でも勘違いしてたよ」
「むむ?」
「様子、おかしかったからさ。だから最近辛いことあったのかなって」
俺がどうしてこのデートを受けたのか、明言をもらってない話に繋げるために話題を一気に変えてみる。
そんな俺の話題展開に。
「それは今さっきありましたけど?」
「いや、それは……いや反応しづれーなっ」
「ふふ。冗談です」
見事なまでに一本取られ、俺は普段の感じでツッコミをいれさせられた。
そんな俺にゆきむらが「冗談」と言って笑う。
その笑顔は、明らかにいつものゆきむらで、密かに俺は安堵した。
これはたぶんもう、大丈夫なやつだろう。
「ったく……でもさ、俺てっきりさ……」
「はい? てっきりなんでしょうか?」
大丈夫だろう、そう決め込んであの質問をしようと思ったのに、もしこれがまだゆきむらを落ち込ませたらと思うと、なかなか質問が喉を通らない。
そんな、何かを言いづらそうにしている俺に、ゆきむらはあどけない顔を見せてくる。
だから俺は勇気を出して、一度大きく息を吸ってから——
「採用試験、ダメだったのかと思ってさ」
言った。
言ってやった。
みんなが知りたい質問を、投げかけてやったのだ。
そんな俺の顔を、ゆきむらはいつもの感じで真っ直ぐ見る。
その視線の意味が、表情の意味が分からない。
ゆきむら検定高めの俺でも、全く読めない。
そんな顔が、沈黙をしばらく続けたと思うと——
きょとんとした顔に変わって、30度ほど首が横に傾いたら。
そして——
「むむ? それは受かりましたよ?」
「え?」
「あれ? お伝えしてませんでしたっけ?」
「……はい!?」
「え、受かってたの!?」
「はい。受かりましたし、書類も届きましたよ」
「言えよ!?」
「むむ……。大学のお友達を呼んでお家でお祝いパーティをやりました」
「いや、えっ!?」
「嬉しくてゼロさんたちになんて感謝と喜び伝えようと、文章もノートにたくさん書きました」
「いや、書いただけじゃ意味ねぇよ!?」
「すみません……1週間以上書いていたら、いつの間にか伝えた気になっていたのかもしれません」
「どんな天然だそれ!?」
「すみません」
「あー……ったく。いいか? そういうのはちゃんと言え。すぐ言え。そしてだいにも、みんなにも、自分からちゃんと言え」
「はい。わかりました」
「じゃあ今グループTalkでいいから、送れっ」
「はい、分かりました」
……いや、マジで何てやつだおい。
衝撃に衝撃を重ねられた言葉を聞き、俺は額に手を当てながら、目の前でスマホを操作し出したゆきむらに呆れ顔を向けた。
でも、こんな話さえゆきむらなら、と思ってしまう。
特に1週間どう伝えようかと迷った辺りはガチだろう。
マジで俺の心配は何だったんだ、そう思い出すと、急に疲れもやってくる。
……もっと早く聞けばよかったんだけどな!
はぁ。
ったく。
「春からは仲間だな」
「え?」
そしてゆきむらのスマホ操作が終わったのだろう、ポケットの中に小さな振動を感じてから、俺は色々ため息つきたい思いを抑え込んで、ゆきむらに一言かけた。
そんな俺の言葉に、ゆきむらがポカンとした顔をする。
「当たり前だろ? 春からはゆきむらも、俺たちと同じく東京の学校の先生なんだから」
「あ、はい……。そう、ですね」
「ん、おめでとう。頑張ろうな」
「はい」
でも、ようやく納得したのかゆきむらがまた普通の顔に戻った。
それを見て、じわじわとまた小言を言いたい気持ちが湧き上がり。
「つーかさ、もっと早く言ってくれてたら、お祝いしてたのにさ」
もっとちゃんと祝いたかった、そんな俺の本音を伝えれば——
「今日のデートがお祝い代わりですよ」
真顔でこんな言葉が返ってくる。
それに俺はため息をついてから。
「いや……失恋させたのがお祝いは、流石に俺の寝覚めがわりーよ」
「むむ……」
お祝い代わりにならない旨を伝えてやった。
何だろうな、万年筆……とかは流石にもう使わないだろうから、ネーム入りのいい文房具とか、そういうの送ろうかなと、そんなことを考えていると——
「じゃあ、頭を撫でて褒めてくれてもいいですよ?」
「おいおい、フラれた相手にか?」
いつものストレートなゆきむらが現れて、俺は思わず肩を竦めて笑ってしまった。
でも——
「好きだった人ですから」
これまたストレートに言われて、今度は俺が返事に困る結末に。
まぁ、今日くらいいいよな。
「よくできました」
そう諦めて、俺は3回くらいぽんぽんとゆきむらの頭を撫でてやる。
すると。
「やっぱり嬉しいです」
「はいはい」
思わず目を逸らしてしまうほど、そこには可愛い笑顔が咲いた。
今度は誰が見ても明らかな笑顔の花が咲いたのだ。
それはやはりというか、可愛かった。
そんな可愛さに食らった自分を、俺は全力で押し殺す。
「やっぱりまだ好きな人かもです」
「なんだそりゃ」
そしてまたいつものゆきむらが現れたけれど、まぁ、こうやって人は成長するんだろう。
俺は図々しくも「もっと撫でてください」と言ってくるゆきむらに「厚かましい」とチョップを食らわせながら、夜の新宿の公園で今しばし二人で笑い合うのだった。
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