第553話 受け止めるのが年上の度量……う?

「なんだ?」


 真っ直ぐな視線を受け止めて、俺はゆっくり問い返す。

 正面に座るゆきむらに視線を返せば、薄らとした青い照明が、彼女の白い肌を染めている。だがいつになく真剣で、明らかに緊張しているのが伝わる、そんなゆきむらの表情がそこにはあった。

 店内個室の外から聞こえる音は騒がしいはずなのに、今ここだけはそんな音たちから切り離されたように静かだ。真横にある水槽の中から聞こえる機械音がいやに耳に入るほどなのだから。


 いよいよ本題本命か。

 その緊張感が俺にも伝播し、変な緊張が走る。

 でも今日一日は、この時のための気紛らしだったわけだしな。

 それに応援してもらってたのに上手くいかなかった時って、応援されてた側は、応援してた側が思う以上に重く受け止めたりしちゃうもんだから。

 言葉にするのは楽ではないだろう。

 だから俺は、急かすことなくゆきむらの言葉を待った。


「今日は楽しかったですか?」

「ん? ああ」


 そしてまず伝えられたのは、恐らく会話のジャブだろう。

 改まっての切り出しだからな、流石のゆきむらもいきなり本命ドンとはいかないか。

 でもたしかに、話しながら自然に口にしていく方が伝えやすいのは明白だ。

 そう察して俺は軽く頷いて答えつつ——


「それはよかったです」

「でもそれ、さっきの質問のお返しか?」


 少しでもゆきむらが話しやすいように、きっと「よかった」と返ってくるだろうと予想して、冗談っぽい口調で逆にゆきむらに問い返した。

 だが——


「いえ、そういうわけではないのですけれど……」

「ん?」


 思いの外ゆきむらは軽い受け取り方を見せず、何だか歯切れの悪い反応を見せた。

 むしろそのまま、視線を落として何か考える仕草を見せてくる。


「最近、色々と思うところがありましたので……今日は来てくださって嬉しかったんです」


 そして少しの沈黙を待つと、また顔を上げてゆっくりと言葉を選ぶように、ゆきむらの言葉が続けられた。

 ゆきむらは本当に、誰かと話す時しっかりと相手の目を見て話す子なんだよな。

 だからこそ、この言葉が嘘じゃないとよく分かる。

 相変わらず俺と向き合う小さな顔には変わらぬ緊張感が残っているけれど、それでも真っ直ぐ相手を見るってのは、凄いことだよな。


 でも、色々と思うところがあった、か。

 それはつまり、やっぱり試験ダメだった、そういうことなんだろう。

 筆記の一次試験は2年連続で受かってるのに、面接や集団討論の二次試験で2年連続で落ちている。

 たしかにそれは「頭が良くてもあなたの人柄は教員には向いていない」、暗にそう言われているようにも思えてしまうだろう。

 【Teachers】のメンバーで実際に教員をやってるメンバーを思えば、たしかにみんなコミュ力が高い。それは現在現場に出ていることによって身に付いたスキルもあるだろうが、みんなの人柄を考えるに、元々対人関係は苦手じゃなかった奴が多いとも思う。

 ……え? だい?

 いや、だいだってほら、得意ではないだろうけどさ、真面目すぎるところはゆきむらと似てるけど、相手に合わせる空気の読み方とか、何となく気持ちを察したりとか、そういうとこはちゃんと出来るからな? 少なくとも俺に長年の間女だと気付かせないくらいには、相手に合わせて振る舞えてたわけじゃん?

 ……そう言われると、ゆきむらも男だって思わせてたわけなんだけどな!

 とはいえ、ゆきむらは面接官との相性もあったのかもしれないが、今年も試験に落ちてしまった。

 努力したことが報われない、それは人の自尊心に大きく影響する出来事だ。

 部活でレギュラーを取った奴や試合で結果を出せた奴と、レギュラーになれなかったり結果が出なかった奴とでは、それぞれ同じくらい努力を積み重ねていたとしても、「努力したから」と「努力したのに」という考えに分かれてしまうものだから。

 もちろんここで「まだ努力が足りなかった」と思って頑張れる奴もいるけれど、努力したと思っていた期間が長ければ長いほど、立ち直るのは容易ではない。

 ゆきむらにはまた頑張って欲しいんだけど、これはあくまで俺の願いでしかないからな。

 ゆきむら自身がどうするかは、ゆきむらの問題だ。

 こんな諸々の葛藤があったから、色々考えるところがあった、この話はそういうことなんだろう。


「そっか、やっぱり色々あったか」


 そして考えれば考えるほど、ゆきむらの心に寄り添おうと思えば思うほど、俺にかけられる言葉の少なさが自覚された。

 たぶん、安易な同調はゆきむらの望むところではないだろう。

 だから俺はそのままゆきむらの言葉を反芻して、彼女が自分の言葉を客観視出来るようにしてやった。


「やっぱり、ですか? ……もしや、お気づきだったんですか?」


 だが、俺の気遣った切り返しに、ゆきむらが驚いたように少し目を大きくする。


「え? あー……まぁ、なんとなく、かな」


 俺としてはゆきむらの言葉をそのまま返しただけだったのに、むしろゆきむらが俺の返事を意外に思ったことが意外で、俺は少しだけバツが悪そうに指先で頬を掻きながら、一度ゆきむらから目を逸らして言葉を返した。

 そしてここでまた、少し沈黙が続く。

 チラッと視線をゆきむらに戻せば、そこにはやや俯き加減のゆきむらが見えた。その姿に俺はバツが悪そうにしているのが失礼に思えて、俺はまた顔を上げてゆきむらを見守った。

 なんだか空気が、重い。

 でも俺は頼られたからここにいるのだ。

 その期待責任には応えたい。


「……すごいですねゼロさんは」


 そのまま少しの間俯くゆきむらを見つめていると、視線は落としたまま、ボソッと囁くような声が耳に入る。

 俺がすごい?

 ……俺が不合格に気づいたことか?

 ……いや、今の話題を考えれば俺が採用試験に1回で合格したことだろう。

 たしかに国語より社会の方が倍率高いのに、俺は大学4年の時に受けた1回目の試験で合格した。

 たしかにあの時は相当勉強した。

 その自負はある。

 でも今それをひけらかしたり、自慢したりするのは違うだろう。


「そんな大したもんじゃないって。そりゃ努力もしたけど、巡り合わせもあったことだしさ」


 筆記はゆきむらだって受かっている。

 でも面接は人が見るものだから、どうしても主観の要素も入ってくるだろう。

 だから運も良かった、それは間違いなくあることなのだ。

 そんな謙遜を俺が見せると——


「いえ、私はそういうの、やっぱり不慣れですので」


 やっぱり面接だったか。

 一緒に練習はしてあげたけど、自分の手応えとしてダメだったって感じてたんだろうな。

 でもそんな経験だって、いつか必ず武器になる。

 人生は考え方だ。

 無駄なんてない。前を向こうと思えばいつだって自分が向いている方向が前になる。

 だから、やっぱりここでゆきむらに落ち切って欲しくなかった。


「最初はみんなそんなもんだって。色々経験してけばさ、必ず大丈夫になるからさ」


 だから俺はこの言葉が適切か自信はなかったけど、何とかゆきむらに顔を上げてもらうべく声をかける。

 なるべく優しく、なるべく寄り添うように。


「そう、ですよね」


 そんな俺の言葉を聞いて、俯いた顔が少しだけ上がり、上目遣いにゆきむらが俺に視線を送ってくる。

 それはまるで傷ついてるから慰めて欲しいと、甘えてくるようなそんな様子にも見える行動だったから——


「そうそう。だからさ、気にすんなって」


 今ばかりはいいよな? と心の中でだいに話しかけて、テーブルの上に身を乗り出して、ぽんとゆきむらの頭を撫でてやる。

 そんな俺の振る舞いにゆきむらは一瞬驚いた様子を見せた後、何も言わずに頭の上にある俺の手にその両手を重ねてきて——


「……やっぱり優しいですね」


 そう呟いた。

 ゆきむらの手のひらは、ひんやりしていた。

 でも俺がひんやり感じるってことは、今俺の手から温もりが移っていっているはずだから。

 これでちょっとでもゆきむらが元気になればいい、そう思って。


「そんなことないさ」


 ゆきむらの手を払うことなく、俺はそう言ってニッと笑いかけた。

 そんな俺の笑顔に顔こそ上がりきらなかったが、ゆきむらの緊張や強張りが、少しずつ溶け出すのが伝わった。

 それはほんと、付き合いが長くなったから分かる小さな変化。

 でも、俺の目にはハッキリ伝わる変化だった。


 落ち込んでる人がいたら慰める。

 それは人として当たり前のこと。

 これが俺の生き方だ。


「優しさついでに、もう一つ甘えてもいいですか?」


 そして上目遣いのまま、ゆきむらがじっと俺を見る。

 頬は、青白い光の中でも僅かに紅潮しているように見えて、その頬と上目遣いのコンボは、正直ドキッとするくらい、可愛かった。


「甘える……? 何だ?」


 でもそんな俺の思ったことは、当然表に出さないまま、俺はゆきむらに尋ね返す。


「ちゃんと、言葉に出してお伝えしたいことがあります」


 その返事として返ってきたのは、なるほどなって思うことだった。

 たしかにまだちゃんと、口には出来てないもんな。

 口にするってのは、受け止めるってことだから。

 前を向くために、必要なことなのだ。


「分かった。聞くよ」


 吐き出す言葉をしっかり受け止めよう。

 そんな気持ちを胸に、俺はゆきむらの頭の上に置いていた手を離して、自分の両手を自分の膝の上に置き、背筋を伸ばしてゆきむらの言葉を待った。

 俺の手がいなくなったからか、ゆきむらは一瞬「あ」と少し寂しそうな声を出したけど、そこは早めに切り替えて、ゆきむらもまた、姿勢を正す。

 しかし二人して姿勢を正すって、なんか変な状況だな。


「ありがとうございます。えっと、その……」


 そんなこの個室内が不思議な空間と化した中、おずおずとゆきむらが胸につかえた思いを、苦しみを、何とか吐き出そうと頑張り出す。

 正直俺に対して「ありがとう」なんて、そんなこと言う必要ないんだけど、やっぱり緊張はしているのだろう。

 だって、ゆきむらが言葉を言い淀む姿は、正直これまで記憶にないから。

 だからこそ、これを言葉にするのは意味がある。

 そんな思いで俺は——


「ん、ゆっくりでいいよ」


 頑張れゆきむらと心の中でエールを送る。

 そして一度ゆきむらが大きく深呼吸してから、ゆきむらの綺麗な瞳が、真っ直ぐに俺に向けられた。

 その様子に、俺の中でも変な緊張感が募り——


「もう私が言いたいことはお分かりのようですけれど、ちゃんと言葉にさせていただきます」

「うん」


 改めての宣言に、俺はしっかりと頷く。

 そして俺もまたゆきむらの目をしっかり見返す。

 ゆきむらの薄い唇が、ゆっくり開き出す。


「ゼロさんにはだいさんがいらっしゃることは分かっていますけど」

「……ん?」


 その唇が紡いだ言葉が何の枕詞だったのか、全く分からなかったけれど、つっかえの取れたゆきむらの言葉は止まらず——


「私は、ゼロさんのことが好きです」


 無垢なる瞳爆弾が、俺に向けられてい投下されたのだった。


 

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