第514話 新しい僕たちへ

 自分の想像を超えた亜衣菜に、俺の胸にある思いが膨れ上がり出す。

 その思いが抑えられなくなり、俺は亜衣菜の顔をじっと見て——


「その場の勢いだったとはいえ、この前はお前のことメンヘラとか、酷いこと言ってごめん」


 俺はこの前の夜、亜衣菜と話した時の自身の思い違いを謝罪した。


「え、やっ、あの日はあたしが悪かったんだよっ?」


 だが、そんな俺の言葉が予想外だったのか、亜衣菜は首をぶんぶん振り、戸惑いの表情を見せる。

 でも、そんなことはない。そんなことはないのだ。


「いや、お前本当すげえよ! 上杉さんてルチアーノさんと同い年だろ? そんな年上の人相手に、完勝じゃんっ」

「ま、まぁ、ちょっと自分でも頑張ったかなってのは、思うけど」

「いや、正直昨日の夜、だいと心配してたんだ。亜衣菜が抱え込み過ぎてんじゃないかって」

「え、あたしそんな風に見えてたの?」

「ああ。でも過保護だったよ。ごめんっ」

「過保護って……もうっ。それじゃ師匠じゃなくてりんりんだよー」


 その謝罪の中で使った言葉がよほどおかしかったのか、亜衣菜は鈴を鳴らしたように笑っていたが、俺は先日言ってしまった言葉を恥じてその笑い声に合わせて一緒に笑うことは出来なかった。

 そしてひとしきり笑った後、亜衣菜が立ち上がり、俺の横にやってきて——


「そんな本気でしょげないでよ。あたしが頑張れたのは、りんりんたちがいてくれたからなんだからさー?」


 柔らかく微笑えみながら、つんっと俺の頬をつつく亜衣菜の告げた言葉は、優しかった。


「あたしは一人じゃ頑張れない弱い子だもん。背中を押してくれる人がいないとダメダメだよ?」

「立ち上がったのは、亜衣菜自身だよ」

「むぅ……じゃああたしも頑張ったし、りんりんもあたしのために話を聞いてくれて、励ましてくれるのを頑張った。それでおあいこじゃん?」

「それは——」

「自分の価値は自分で決めろ、でしょ? まっ、本当はネガティブメンヘラかもしれないけどね?」

「亜衣菜……」


 これもある意味ブーメラン、か。

 突き出した言葉を差し返されて、俺はにこにこと頬をつついてくる亜衣菜の顔をじっと見つめるしか出来なかった。

 

「それにあたしはまだやまちゃんとの話を終えてないし、そこでこの後また倒れちゃうかもしれないから、その時はまた助けてもらうかもよ?」


 だが、そう言って首をかしげながら笑いかける亜衣菜に、俺はようやく辛気臭くなっていた自分を自覚して——


「そうなったら、また助けるさ」

「んっ、よろしくっ」


 にこっと笑って俺の背中を叩いてきた亜衣菜に合わせ、俺もようやく笑えた。

 困ったら友達とした助け合う。

 これがきっと、俺たちの新しい関係。

 お互い笑い合いながら、俺はそんな風に亜衣菜に思った。


「あー、なんかいっぱい話したらお腹空いちゃったっ」

「え、お前たい焼き食ったじゃ——」

「——2個しか食べてないし、もう甘いの飽きたもんっ」

「……はいはい。じゃあせっかくだし、外になんか食いに行きますか」


 そしたひとしきり笑いあった後の亜衣菜の発言は、カッコいいと思えた亜衣菜をいつもの亜衣菜に戻してしまうような言葉で、俺はあれこれ考えるのが馬鹿らしくなった。

 でも、甘いものは、別腹か。

 その無邪気な笑顔には敵わない。


 短くなった髪と引き換えか、すっかり自分を取り戻した亜衣菜を連れだって、俺たちは外へ向かうのだった。







 よくいく町中華の店で夕飯を食べ終えて、帰宅した後。


「うん、そう。ほんとありがとねっ」


「ううん、大丈夫っ。頑張れるよっ」


「うんっ。菜月ちゃんも頑張ってねっ」


「あははっ。気をつけるよー」


「うん、うん。じゃあ今度3人でだねっ」


「うん。じゃあ、おやすみっ」


 21時になる前、俺の後方ではベッドに寝転んで誰かと通話する女がいた。

 会話の内容は、少し前に俺が聞いた話と同じものだったが、曰く「直接伝えたいから」とのことで俺は彼女に自身のスマホを貸したわけである。

 そんな後方から聞こえる会話を聞きながら、俺はパソコンに対して前を向き、この場にいない人たちと話をしていた。


「電話ありがとね」

「おう」


 そんな誰かたちとカタカタキーボードを叩きながら話す俺のそばに、さっきまで少し離れた後方で話していた声が近づいた。

 とはいえ、別に俺は振り返ることなくその声に応えた。


「菜月ちゃんにも褒められちゃった」

「ほんと、どっちが年上かわかんねーな」

「あははー。ほんとだよねー、あたしもそう思う」


 そしてそのまま振り返らずに話をしたが、続けられた声が、今度は少し下から聞こえた。たぶん床に置いてある座椅子に座ったのだろう。

 楽しそうな声から、電話の内容も想像がついた。


「ほんと、菜月ちゃんも優しいね」

「お前がだいと仲良くしてた賜物だろ」


 そのまま顔を向き合わせずに、俺たちの会話は続く。


「それは……菜月ちゃんが仲良くしてくれたからだよ。普通は……普通は恋のライバルとは仲良く出来ないじゃん?」

「最初は俺も驚いたよ。お前らが仲良くなったのにはさ。でもあいつ、元々友達少なかったからな。亜衣菜とこんなこと話したよとか、たまに言われた時は反応に困ったもんだよ」

「でも喧嘩というか……嫌なこともしちゃったのに」

「そこについてはもう話がついてんだろ。気にすんな」

「うん。……うん、そうだよね」


 だが、話す中で少しずつ、亜衣菜の声のトーンが変わっていく。

 それは無邪気に楽しそうにしてた声から、少し落ち着いた、甘えたそうな、弱気になってそうな、そんな声だった。


「ほんと、りんりんそっくりだね」

「その話もこの前しただろって」

「うん、だね」


 亜衣菜の声が変わっても、俺はあえて振り返らない。

 顔を向き合わせればおそらく、今こいつが言いたいことが言えなくなるような、そんな気がした。


「あたしが家に戻って、菜月ちゃんも帰ってきたら、うちでお祝いパーティ開こうね」

「お祝いパーティって、何のお祝いだよ?」

「あー、じゃあお疲れ様会?」

「それならたしかにしっくりくるな」

「じゃあ約束ね、お疲れ様会っ」

「お前らが飲み過ぎない約束してくれるならな」


 この話の時は、また声の様子が回復した。

 でもたぶん、言いたいことはこれではないだろう。


「ねぇりんりん」

「ん?」


 そしてまた、亜衣菜の声が戻る。

 だがその声は弱気な声というよりは、何かはっきりとした意思を感じさせる声で、俺は少し様子が気になって、そこでようやく振り返る。


「一個お願いがあるんだけど、いいかな?」


 振り返った亜衣菜は、恥ずかしそうに緊張した顔を浮かべていた。

 その瞳はどこか潤んでいるようにも見え、不覚にもその瞳に見つめられた俺の胸は、鼓動を早める。


「お、お願いって?」 


 何とか声を捻り出した俺の中に、明らかな緊張が走る。

 果たして何を言われるのか、俺はその言葉を身構えて待つのだった。

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