第513話 彼女の戦い

「あ、これお土産っ」

「お、おう……」


 上杉さんとの通話の記憶を引きずる中、笑顔を浮かべる亜衣菜から手渡された箱には何が入っているのか、ずっしりとした重さがあった。


「あ。菜月ちゃん、今日も来る?」

「え、あ、ああ。連絡してみるよ」


 渡された箱の重さが気になった、というよりも、亜衣菜があまりにもいつもの笑顔を浮かべていたのが気になったが、だいのことは俺も分からなかったので、ひとまず亜衣菜から渡された箱を部屋の中テーブルに置き、スマホでだいに連絡を送る。

 送った内容は、亜衣菜が上杉さんに話しに行ったこと、明日家に戻れそうってこと、今はうちに戻ってきていること、この3つ。


 そんなメッセージを送り終えて顔を上げ、亜衣菜に今日の成果というか、上杉さんとの話の内容を尋ねようと思った、のだが——


「あ、そういえばこの服どう?」

「え、あ……うん、似合ってる」

「だろー? 師匠へのお礼に、好きな服選んだんだぞー」


 話しかけようと思った矢先、先手を取った亜衣菜が話題の主導権を握り、俺はにこやかな笑顔を浮かべて尋ねて来る亜衣菜の笑顔と向き合うことになる。

 その笑顔はまるで憑き物が落ちたようなそんな笑顔で、俺の聞きたいことを聞ける雰囲気ではなかった。

 その笑顔を向けられて……ふと思う。


 ……いや、俺があれこれ心配し過ぎて、気にかけ過ぎてるだけだなこれ。

 帰ってきてからすぐ電話かけたり、今も亜衣菜が大丈夫かと気が気じゃなかったり、俺はどの立場でこんな気持ちなってんだって話だよな。

 亜衣菜が今笑っている。

 つまりそれが、答えなのだろう。


「しかしよく覚えてるな。俺の好きな色とか服とか」

「そりゃ覚えてるよー。覚えてたから菜月ちゃんにも教えてあげたわけだし」

「あー、そういやそんな話もあったっけ……」

「駅前でパッと選んだけど、けっこう可愛いのあってよかったよー」


 気を落ち着かせると、焦っていた自分が嘘のようにすんなり話も出来た。

 そんな気持ちで改めて亜衣菜を見れば、活発な印象を与える短髪とふんわりした青色のワンピースは一見ミスマッチに見えるのだが、元の顔が可愛いのもあって、それはそれで似合っているのだから流石である。


「可愛い?」

「え、あー……うん。可愛いと思うよ」

「……うん、やっぱり可愛いって言われると嬉しい」

「え?」


 そして服の話題から、さらっと可愛いかどうかを聞かれ、俺がそれに頷くと、亜衣菜の表情が変わった。

 無邪気な笑顔から、何かを確認したような、何かに納得したような、そんな表情が亜衣菜に浮かぶ。


「可愛いって言葉はさ、麻薬みたいなもんなんだよ」

「へ? 麻薬?」

 

 そして亜衣菜の切り出した言葉の意味が分からなくて、俺はその言葉を繰り返す。

 だが、それが冗談とかそういう類の言葉ではないのは、亜衣菜の表情から見てとれた。


「言われると嬉しいし、もっと言って欲しいって思っちゃう。もっと可愛くなりたいって思っちゃうの」


 聞き返した俺に、真面目な顔つきの亜衣菜が話す。その言葉は強い意志が込められているように感じられた。


「今の仕事続けるのかって、師匠あたしに聞いたじゃん? 今日上杉さんと話して思ったの。やっぱりあたしもっと、可愛いって言われたいって」

「そう、なんだ」

「うん。上杉さんからはさ、出来ればあたしが傷付く前に退いて欲しいって言われたんたけどさ」

「……ん?」

「友達の妹が傷ついていくのは見たくない、だって」

「は?」


 語り出した亜衣菜の話の中に、俺の聞きたかった話が混ざり出す。

 その今日あった話はおそらく亜衣菜にとって楽しい話ではないはずだが、亜衣菜の表情に変化はない。


「この前上杉さんが言ってきたやまちゃんと同じこと出来るのか、ってのはあたしを脅すつもりだけだったんだって、思いっきり謝られちゃった」

「いや、謝ったって許されることじゃねーだろそれ」

「うん、あたしもそれはそう思う。まぁたぶん、そこはやまちゃんに怒られたからの発言だと思うけど」

「山下さんは、やっぱり上杉さんと一緒にいたのか」

「あ、うん。それは予想通りそうだった。そっか、今日あったこと順に話した方が分かりやすいよね」

「それは、そうだな」

「でも、菜月ちゃん待った方がいい?」

「あ、ちょっと待ってな」


 そしてそのまま、亜衣菜に話してもらうのを待ってもらい、俺は手元のスマホを確認する。

 しかしあれだな、なんつーか上杉さん、嫌いだな。

 そんなことを思いながら、通知の来ていたスマホを見れば——


里見菜月>北条倫『ひと段落したのかな?もし大丈夫そうなら、今日はゼロやんに任せてもいい?』18:27

里見菜月>北条倫『ちょっと疲れてるみたいで、明日からに備えて休みたい。ごめんね』18:27


 む。だいがお疲れモードじゃん。

 その連絡に俺はすぐに返信を打つ。

 明日からのことを思えば、今日のだいに無理はさせたくない。


北条倫>里見菜月『明日から長丁場なんだし、無理すんな。こっちは俺が対応するから、後で連絡するよ』18:32


 これでよし、と。と思った直後——


里見菜月>北条倫『ありがと。亜衣菜さんによろしくね』18:32


 秒速で返事がきて、俺はそれに『任せろ』と返事を出す。

 そして。


「だいはお疲れみたいだから、明日に備えて今日は俺に任せるって」


 亜衣菜にだいが来ないことを伝えるや、亜衣菜の表情が一気に不安げなものへと変化した。

 ほんと、こいつだいのことめっちゃ好きなんだなぁ。


「菜月ちゃん大丈夫?」

「だいはほら、明日初めての修学旅行引率だからな。緊張してるのもあると思うよ」

「ふむむ。ほんと、変なタイミングで来ちゃってごめんね」

「今更気にすんなって。それで、今日の話は?」

「あ、うん。じゃあせっかくだから、あたしの買ってきたお土産食べながら話すね」

「あ、そういやさっきの箱って……」

「菜月ちゃんいっぱい食べると思って、たい焼き10個買ってきたっ」

「多っ!?」

「しょうがない。頑張って食べよっ」

「まぁ、そうよな……もう今日の夕飯だなそれ。とりあえず合わせるお茶でも淹れてくるか」

「ん、じゃああたしはあっため直すから、トースター借りるね」

「おう」

 

 で、亜衣菜からのお土産の内容も明かされ、それを消費する必要性が分かり、亜衣菜の話のお供も含め、俺と亜衣菜で一旦その準備へ移る。

 しかしまぁ、だいがいたとしても10個は多いだろ……とは思いつつも、たしかにだいなら食べそうだという気もしなくはない。

 そんなことを思いつつ、亜衣菜との準備を終えた18時40分頃、改めて俺と亜衣菜は向かい合って座り直し、話を聞く用意を整えた。


「それでね、今日は昼過ぎに洋服買いに行って、そのまま15時頃にサタデー出版行ったんだけどさ」

「うん」

「いやー、一応あたしもそれなりにあそこで顔は知られてるからさ? 受付で帽子取ったら受付のお姉さんにすっごいびっくりされちゃった」

「いや、それはそうだろ」

「ほんと、え? 誰? みたいな? その後取り次いでもらった上杉さんも、完全にびっくりしてたからね。あの時は笑いそうなっちゃった」

「それは想像つくわ」


 そしてお互いたい焼きを頬張りつつ、亜衣菜の話が始まった。

 しかし髪型はな、あまりにもばっさりなんだもん。誰だってびっくりするだろう。


 そしてそのまま、亜衣菜は今日の会話を思い出すように話してくれた。



『急に来るなんて、亜衣菜ちゃんどうしたんだい?』

『あたしが来た理由分かりますよね?』

『えっと、なんだろう?』

『やまちゃんに会いたいんですけど、知ってますよね?』

『え、あー、えっと、会社には来てないけど……』

『とぼけるのはいいですから。あなたとやまちゃんの関係は、やまちゃんから聞きましたから』

『え、あ……そう、なんだ』

『はい。それで、やまちゃんからあたしの話も聞いたんじゃないんですか? あたしが家出したって』

『いや、うん、それは聞いたけど……たしかに山下さんはうちにいるけど、あれだよ? これは不適切な関係なんかじゃないよ? ほら、うちの妻とはもうだいぶ前から別居状態だし……』

『そんなこと今聞いてないですから。それで、やまちゃんはどこにいますか? 家出したあたしが悪いんですけど、やまちゃんも帰って来ないから、あたし家に戻れなくて困ってるんです』

『う、うん。そう、だよね。彼女は今、うちにいる。でも亜衣菜ちゃんには、会いたくないとも……』

『じゃあ上杉さんが鍵預かってきてくださいよ。あたしここで待ってますから』

『え、いや、今日はちょっと仕事でだいぶ遅くなるからさ……明日、うん。山下さんにはちゃんと明日帰るように言っておくよ!』

『は? なんで明日何ですか? 連絡着くなら、今家に帰れって言ってください』

『いや、それはほら、彼女にも都合があるし……明日、明日の昼までには絶対に家に戻るように伝えるから!』

『……やまちゃんとは、本気なんですか?』

『え?』

『奥さんと冷え切ってるのはさっき聞きましたけど、やまちゃんとの関係は、本気なんですか?』

『あ、当たり前だろ! 彼女は戦友であり、僕の大切な人だよ。それは嘘じゃない』

『この前あたしにあんなこと言ってきたくせに?』

『そ、それはアレだよ! 言葉の綾というか、亜衣菜ちゃんが人気が落ちて傷ついていくのを避けるための方便というか——』

『は?』

『ああ言えば、君がビビってこの仕事やめるって言うと思ったんだよ!』

『じゃああの時あたしがホテルで泣いたりしないで、あなたの言葉を真に受けてたらどうしたんですか?』

『そ、それはこっちからダメだよって言ったに決まってるだろ!』

『本当に?』

『本当だって! 本当に亜衣菜ちゃんを傷つけるつもりなんかなかったんだよ! いや、結局傷つけたのには違いないけど……ごめん』

『そうですか。まぁその話はもういいです。それで、やまちゃんとは本気の関係だから、今日はやまちゃんのご機嫌取りをしたい、そういう理解でいいですか?』

『え』

『むしろそれ以外の理由で今日あたしを家に帰れるように手配してくれない理由が浮かばないんですけど』

『え、あ……いや、うん。その通り、だよ』

『やまちゃんも気難しいとこありますもんね。そこは分かります。きっとあたしの名前出すと、不機嫌なるんでしょ?』

『……うん』

『分かりました。あなたのことを話したあたしにも責任がないわけじゃないですし。じゃあ明日のお昼、13時に家に戻るでいいですか?』

『分かった。そう伝えよう。……ちなみに、亜衣菜ちゃんの家出先は大丈夫なところかい? 必要ならホテル手配するけど……』

『結構です。そこにあなたが来ても困りますから』

『そ、そんなことしないよ! でも……ごめんね、本当に』

『いいえ。それじゃあ明日、約束の時間に——』

『あ! え、えっと、僕からも一つ聞いていいかい?』

『何ですか?』

『山下さんが言っていた。最近の亜衣菜ちゃんには迷いがあるって。前も話したけど、人気が落ちているのは事実なんだ。このままいけば落ちていく人気を目の当たりにしていくことになるかもしれないけど、本当に辞めたりはしないかい?』

『あたしに需要がない。お金にならないから辞めろ、そういうことですか?』

『い、いや、まだそこまでの話じゃないけれど……。華のある内に去る美学ってのもあるじゃないか? もっと見たかった、そう惜しまれるのもありじゃないかなって』

『……それは、自分で決めるから美しいんでしょ?』

『う……』

『安心してください。あなたに言われたことをお兄ちゃんに言ったりしませんから。ただ、あなたの提案も受け付けません。だってそれ、その言葉を受けて辞めたら人気が落ちていくのを目の当たりにして辞めざるを得なくなるのと同じですし』

『そ、そうか……ごめんね』

『いいえ。あなたはあなたのお仕事をちゃんとやってください。むしろあなたの言葉で踏ん切りがつきました。それで傷つくことになるなら、それもまたあたしの覚悟が引き受けます』

『そう、かい』

『もしやまちゃんがあたしともう仕事したくないのなら、新しいカメラマンを探します。あたしはまだ、〈Cecil〉であり続けます』

『……分かった』

『それじゃあ、やまちゃんのことはあなたにお願いします。それでは明日のこと、よろしくお願いします』



「って感じ」


 長々と語ってくれた亜衣菜の話を、俺は相槌を打ちながら聞いていた。

 話し終えた亜衣菜は一気に話して疲れたのか、お茶を飲んでたい焼きを食べてひと段落。

 だがむしろ、俺は亜衣菜の話にある種の衝撃を受けていた。


「なるほど……すげぇな亜衣菜」

「え?」

 

 正直なんとなく嫌な予感がしてたのに、亜衣菜は怯むことなく上杉さんと話をつけ、状況を前に進めていた。

 頼りなく、メンタルの弱い子。

 そんな風に思っていた俺の印象は、今の話に全て打ち砕かれたのだ。

 

「いや、ほんと、すげぇよ亜衣菜」

「そ、そんな褒めなくても……」


 そんな俺の言葉に、真剣な顔つきで淡々と話してくれていた亜衣菜の顔に照れが浮かぶ。

 つまり帰ってきた時の笑顔は、亜衣菜自身もやり切ったという満足の笑顔だった、そういうことなのだろう。

 亜衣菜の話を聞いて、はっきりと俺の中で亜衣菜の印象が変わったのを、俺は自分でも自覚したのだった。

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