第512話 見守る方が難しい
「連絡あったか?」
「あったと思うか?」
「ま、ないからもう帰る準備してるんだよな」
「うむ」
「しっかしまぁ、この前はゆめで今度はセシルかー。モテる男はつらいねぇ」
「いや、今回のは俺がモテるとか関係ねーだろっ」
「今回のは、ってことは、ゆめの一件はモテる男のせいって認めてくれるのか!」
「ええいっ、やかましいっ」
10月27日火曜日の、17時23分。
俺に用事があるからとソフト部の練習を17時で切り上げさせ、退勤するべく鞄を置いている社会科準備室にやってくると、そこには大和の姿があった。
ちなみに大和には、あまりにもプライバシーに関わりすぎる不倫とか大人の関係とか、そういう部分は適当に濁しながら、昼休みに一緒に飯を食いながら今回の件についてを聞いてもらった。
俺の話を聞いた反応としては色々驚かれたり苦笑いしたりだったけど、最終的には「無理すんなよ」って感じの反応だった。でも、俺としては誰かに話を聞いてもらえただけありがたかったので、改めて持つべき友に感謝した次第である。
で、話を戻せば今まさに俺は帰宅しようとしているところなわけだが、そこで大和に話しかけられたのが現在だ。
モテる男がつらいとか言われてるけど、正直モテるとかモテないとかどうでもいいから、代われるなら代わって欲しいことこの上ない状況なのが本心である。
なのでそんな願望も一まとめにした気分で、俺は笑って茶化す大和を恨みがましくひと睨み。
「ま、俺として倫には頑張ってもらって、今後もセシルのグラビア写真見られるようにして欲しいってのが願いかな!」
「……お前そんなあいつのファンだったの?」
「おいおい? おっぱいは命の養分だろ?」
「いや、何で俺に同意を求める? というか、君にはその言葉をぴょんの目を見て言って欲しいね」
「それはそれ、これはこれ。まぁでも、そうだな。恵まれてると人は気付きにくい生き物になるからな。倫には分かんなくてもしょうがあるまいて」
「はいはい。……とりあえず、今の状況把握するためには帰んなきゃいけねーからな、俺は帰る」
「おう。気をつけてな。……でもさ、倫」
「ん?」
「お前の努力や優しさが、相手にはしんどい時もあるかもしんないからな?」
「え、どういう——」
「——あとは自分で考えろ」
「いや、ちょ——」
「——じゃ、俺はもうちょっと残業してから帰りまーす。またLAでな!」
「え、あ、おう……って」
何だったんだ、大和の奴。
とはいえ、先に大和が準備室を出ていってしまったので、それ以上は何も聞けず。そんな何とも気になる言葉を残されつつ、今日の活動日に俺は普通に参加できるのだろうかと思いながら、足早に帰路に着くのだった。
☆
「……む」
18時10分頃、既に暗くなった街並みを歩く俺は、我が家のいつも通りの様子に思わず声を出し、予想外の光景に眉をひそめた。それと同時にスマホを取り出し、通知を確認するも……予想通り何もなし。
そんな状況に首を傾げながら俺はそのまま進み、我が家に帰宅するが——
「まぁ、誰もいねーよな……」
家の中に入って電気をつけ、玄関に自分以外の靴がないことから、いつも通り俺が帰って来るまで我が家が無人だったことが伝わった。
そして改めて部屋の中を確認すれば、そこには日曜日の深夜というか、月曜日の明け方前にやってきた奴が着ていた服が置いてあり、亜衣菜が家に戻ったのではなく、帰ってきていないことが確認出来た。
いや、そもそも家に帰れてたら連絡はしてもらう約束なのだから、亜衣菜が家に戻ってないのは明白なのだ。
そうなると、つまり——
「サタデー出版に居座ってんのか?」
浮かんだ想像はこう。出版社に行って上杉さんに会い、会社で山下さんが来るのを亜衣菜が待っている、という構図である。
このパターンなら、会いたくない人と話し合いたい人と両方に挟まれ、多勢に無勢な状況にはなってしまうが家に戻ることは出来るだろう。
心配はあるが、亜衣菜も大人だ。傷つくことはあっても、それ以上のことはないだろう。
だがもし、サタデー出版にいなければ?
何かしらがあって、まだどこかをふらついていたとすれば?
……有り得なくは、ない。
朝の強い決意を持った亜衣菜の顔を思い出す。
あの様子なら、話し合いが上手くいかなかった時に思い詰めて、ふらつき続けてても、おかしくない。
そんな想像が出来た段階で、俺は気付けばスマホで検索をかけ——
「遅い時間に申し訳ありません。北条と申しますが、『月間MMO』編集者の上杉様はいらっしゃいますか?」
既に定時は超えてるだろうけど、幸いにも電話は繋がってくれて、受付の人が対応してくれた。
そして待つこと少々——
『お電話代わりました上杉です』
電話口から聞き馴染みのない声が返って来る。
初めて会った時は理知的で落ち着いた、イメージするような大人な人だと思ったのに、色々話を聞いたせいで、正直今この人の印象は最悪だ。
だが今は、それを表に出すことは出来ない。
「すみません、急にお電話してしまい……先日武田亜衣菜さんのお宅でお会いしました、北条と申します。本日はお尋ねしたいことがありましてご連絡させていただきました」
『ああ、亜衣菜ちゃんの……。北条さん、お久しぶりですね。どうしましたか?』
感情を表に出さないように尋ねた俺に返ってきたのは、さも普段通りという雰囲気の声だった。
それは8月の終わり頃に亜衣菜の家で聞いた声と同じような雰囲気を感じさせた。
今日という日に、俺から連絡が来たにも関わらず。
「今日そちらに亜衣菜が伺ったと思うのですが、あいつはもう帰りましたか?」
変な緊張感を抱きながら、俺は上杉さんに問いかけた。
電話越しには色んな人の声が聞こえ、まだ多くの人が働いているのが伝わった。
『ああ。そういうことですか。まずお尋ねのことについてなら、亜衣菜さんはもうお帰りですよ』
「そう、ですか。ありがとうございます。でもそういうことって……?」
そして端的に俺の質問への回答があったが、それ以上に不思議なワードが告げられる。
さすがにそれをスルーはできず、俺は聞き返したわけだが——
『いえ。ここ二日ほどの彼女を助けていたのが誰なのか分かった、ということですよ。ありがとうございます、彼女を助けていただいて』
返ってきた言葉は、正直意外。
非常に誠実で丁寧な、そんな言葉がやってきた。予想外の反応に、俺は完全に戸惑った。
「え、いや、そんな別に——」
『彼女は僕の友達の大切な妹ですから。申し訳ないけど、明日にはお家に帰れるようになると思うので、今日まで彼女を助けて頂いてもいいですか?』
「は、はい……。あ、いや、でも、当の本人がいまどこにいるのか分からないんですけどっ」
『亜衣菜ちゃんの? ああ。お世話になってる人に、お土産買ってから帰るって17時前に出て行ったから、もうすぐ着くんじゃないですかね?』
「え」
そして一気に話を進められ、俺が口を挟む余地がなくなっていく。
しかも驚くべきことにそれと同時に——
ピンポーン
『これは帰ってきた、かな? それじゃあ、亜衣菜ちゃんのことよろしくお願いしますね』
「え、あ、ちょ——」
ツーツーツー……。
ガチャ
「む、やっぱり師匠帰ってるじゃんっ! 開けてくれてもよかったのにー。お邪魔しまーす」
切られた電話と、帰ってきた声。
声が去り、声が現れる。
だが俺は、今話していた相手が何を言っていたのか、振り返ってみてもその考えが全く分からなかった。
上杉さんは、ただただ落ち着いていた。
自分のペースで話していた。
今日というタイミングで俺から連絡があれば、俺が亜衣菜から色々聞いていると分かるはずなのに。
上杉さんはそれを全く感じさせず話していたのだ。
むしろ堂々と「友達の大切な妹」、そうまで言っていた。
あの人は、いったい何を考えているんだ……?
漠然とした不透明さが、不安に変わる。
「ししょー? ……どしたの?」
「え、あ、いや、何でもない」
だが、我が家にやってきた人物の表情に、深刻な様子は見当たらない。
きょとんとした顔で、電話を耳につけたままの俺の顔を覗き込んでいる。
……とりあえず、亜衣菜から今日の話を聞いてみよう。
上杉さんという人物に奇妙さを覚えながら、俺はふわっとした青いワンピースを見に纏った亜衣菜を、部屋の中へと招くのだった。
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