第510話 人の都合はままならない

 キッチンでうとうとし始めただいは、なんとそのまま寝てしまった。

 正直腕の中で眠るだいはものすごい可愛かったけど、さすがに今は二人きりではないので、寝てしまっただいをそっと抱き抱えた俺は部屋に戻ってベッドにだいを寝かせた。


「首尾はどうだ?」

「んー……芳しくなーい」

「む」


 そんな俺の行動に亜衣菜が気づいた様子はなく、真剣にモニターに向かってキーボードをカタカタと叩き続けていたので、俺の方から声をかけたのだが、そんな俺の方に視線も向けず、亜衣菜からは何とも言えない返事がきた。

 しかしジャックを頼ってなお首尾が芳しくないというのは、正直意外。


「ジャックはなんて?」

「今日は来てないって」

「え」

「やまちゃん朝からインしてないって。くもちん情報」

「ふむ」


 そして聞かされた話はまた意外。


「山下さんって、そういうこともあるのか?」

「んー、あたしと家にいる時は基本ログインはしてたから、全く来ないってのは珍しいと思う」

「ふむ。ってことは、夕方なっても家に戻ってきてないってことか」

「だね」

「あれじゃね? 亜衣菜のこと探してるんじゃね?」

「いやー、だとしたらたぶんお兄ちゃんに話いくだろうし、あたしがくもちんのお家行った話はお兄ちゃんにもしてるから、お兄ちゃんに話がいったらリアルを知ってるくもちんにも連絡すると思うんだよね」

「となると、探されてもいない、ってことか」

「だねー。まぁ喧嘩別れみたいなってるから、しょうがないったらしょうがないんだけど」

「……むしろあれか? あっちはあっちで修羅場ってるか?」

「あー……。その可能性もなしではないかも? ……でもそうなってたら、申し訳ないなー……」

 

 一つ一つ可能性を探す中で見えてきた予想に、亜衣菜はバツの悪そうな顔をしながらこちらを振り返る。

 でも正直、山下さんVS上杉さんの修羅場になってても、俺はそこには何の同情も覚えない。

 ……いや、一応教え子ではあるし、年齢差を考えても悪いのは上杉さんだから、そちらに対しては因果応報、そんな風には思うけど。


「ってか、菜月ちゃん大丈夫?」

「ん? ああ。だいは健康優良児だからな、睡眠不足でおねむなだけだよ。それにほら、明後日からだいは修学旅行の引率だから、直前で色々バタつくこともあって疲れたんだろ」

「えっ!? 修学旅行なの!?」


 振り返った亜衣菜は、そこでようやくだいが眠り姫になっているのに気づいたみたいだが、俺の説明を聞くや、その表情が軽く青ざめた。


「うん、そうだけど……どうかしたか?」


 その表情に俺が疑問を示すと——


「んやー……LAログインさせてもらえれば、ジャックとかくもちんと連絡取れるし、もしこの後とか明日もやまちゃんと連絡取れなくても、状況は把握できるかなーって思ってたからさー……」


 歯切れの悪い説明が亜衣菜から返ってきて、俺はこいつが考えていたであろうことを察した。

 つまり要約すれば、家に帰れなかったらだいの家に泊めてもらおうとしていた、そういうことだろう。

 たしかに現在亜衣菜が持つ連絡ツールになり得るのはLAくらいだが、それならネカフェでもなんでも……と思ったところで、こいつ身分証もないから会員証作れないんだったと思い出す。

 

 ……あれ、そういえば……。


 ネット環境という言葉で一つ浮かんだことがある。


「そういや、何も考えずに〈Zero〉のアカウントでチャットさせたけど、〈Cecil〉のログインIDとパスワード覚えてねーの?」


 その浮かんだ問いかけに、目の前の美人はフッと口元で笑って——


「LAのログイン情報って、基本自動記録じゃん?」

「え、覚えてないの?」

「スマホのメモ帳には書いてるよ?」

「つまり覚えてないんかい」

「うむ」


 何ということか。

 まさか何年も使ってるものを覚えてないとは、俺からすれば驚きだ。

 さらに——


「あれは? コスプレイヤー〈Cecil〉のSNS」

「そういうのって、普段のデバイスで起動すれば入力いらないじゃん?」

「覚えてないんか」

「そもそもやまちゃん管理だったからねっ」

「自慢すんなっ」


 ってことらしい。

 つまり仮にネカフェに入れてもLAには入れないし、SNSも起動出来ない、と。

 そうなると、誰かと連絡を取ることは何をどうやっても無理、そういうことか。

 ため息だなほんとこいつ。


「つまりあれか、山下さんと連絡取れて家に帰れるまで、自力じゃ人との連絡出来ないってことか」

「うむ。残念ながらそのようじゃ」

「で、だいの家に置かせてもらって何とかしようとしたけれど、それも難しい、と」

「うむ」

「……ジャックんちに居候頼むか?」

「いやー……新婚さんちに迷惑かけるのは、さすがの亜衣菜ちゃんも気が引けるんだけど……」

「まぁ、そうよな。……となると、うちか」


 そしてこのどうしようもない状況の中、俺は半ば諦め気味に亜衣菜の寝床候補を伝えると——


「ううむ。それもすごく申し訳ないんだよね……でも、この後も連絡つかなかったら、今日だけお願いしてもいい? 今日連絡つかなかったら、明日上杉さんの会社行ってくるから」

「……話せるのか?」

「話すしかないじゃん、こうなったらさ」


 すごくバツの悪そうな顔で返ってきた返事には、亜衣菜の覚悟が感じられた。

 でもこれ以上迷惑かけられない、今までのこいつから考えたらまるで別人のような、そんな雰囲気も伝わってくる。

 それはきっと、頑張ろうとしてるってことの裏返し、なんだと思う。


「了解。ま、とりあえず山下さん来るの待つか」

「うん、そだね」


 ちょっと不安な気もしたけれど、そう思っても今出来ることは何もない。

 そんなわけで、ベッドで自分の彼女を寝かせながら、という不思議な状況の中、特に話すネタのなくなった俺たちは、亜衣菜とお互いのギルドメンバーについて話したりして時間を潰し、山下さんが来るのとだいが起きるのを待つのだった。







「ごめんね菜月ちゃん、りんりんに迷惑かけちゃって」

「ううん、むしろ私も力になれなくてごめんね。私もこういう時のために合鍵作っておくね」

「いや、こんなこと滅多にあるもんじゃねーだろ……」

 

 だいが起きたのはもうすぐ23時となる、22時45分頃だった。

 つまりだいが寝ていた1時間強、俺と亜衣菜で山下さんを待ったのだが現れず、先にだいが起きたということになる。

 で、山下さんを待つ亜衣菜を残し、俺は寝起きのだいを送る運びとなった。

 しかしほんと、我が家に元カノを残して今カノを送るとか、こんな経験したことある奴俺以外にいるのだろうか?


「困ったことがあったら何でも言ってね。ゼロやんに手伝わせるからね」

「あはは、ありがとね。でも大丈夫、あたしちゃんと頑張るから。菜月ちゃんも、お仕事頑張ってねっ」


 何とも不思議な体験をしているなぁと感じながら、俺は両手を繋いでバイバイし合う二人を見守る。

 しかしほんと、仲良いなこの二人。


「明日もまだ帰れないようだったら会いに来るからね」

「そうならないといいけど、ありがとね」


 そんな仲良しなやり取りを見届けてから、俺は名残惜しそうに亜衣菜にバイバイしただいを連れて、歩き慣れた道を歩き出す。夜空にはぼんやりと雲がかり、月の姿も雲に隠れて見えなかった。

 しかしまぁ、せっかく二人になれたんだから手でも繋いで歩きたいところだけど、だいの自転車を押してるのでそれは出来ないのが残念だ。


 そんなだいとの、帰り道。


「私が寝てる間、二人で変なことしてなかった?」

「……は?」


 前を見ながら歩くだいから聞かれた質問は、全く予想してないものだった。


「え、俺ってそんなことする奴だと思われてんの?」


 そんな質問をしてきただいの横顔に不満を訴えながら、俺はだいに問い返す。

 だが——


「思ってないよ?」


 前を見ていただいがあまりにも素直な顔をこちらに向けてきて、俺の出しかけた牙はいともたやすく折られて消えた。


「じゃあなんでそんなこと聞——」

「——亜衣菜さん、前みたいに怖くなくなったもの」

「え?」

「なんて言うのかな、ゼロやんのこと好きなのは好きだと思うけど、自分だけのものにしたいって感じじゃなくなった、って感じ?」

「いや、感じって言われても……」


 そして、素直な顔を浮かべただいが淡々と話してきたけれど、それはあまりにも感覚的過ぎて俺には理解が出来なかった。

 そんなはてなを浮かべる俺に——


「よく言うじゃない? 追いかけられてると逃げたくなるけど、離れられると追いかけたくなるって」

「え?」


 意味ありげな表情を浮かべただいの言葉が届く。

 そんなだいに俺は変わらずはてなを浮かべていたのだが——


「ゼロやんって亜衣菜さんに甘いし」

「え、あ、いや、それは……」


 ズバッと痛いところを突かれて、俺は返事に戸惑った。


「だからこれからどんどん寂しく思うんじゃないかなって。そうなっても、私がいない間に変なことしたらダメだよ?」

「……なんもねーから安心しろって」

「ん、信じてあげよう」


 でも、結局そう言ってだいが笑いかけてくれて、俺の気持ちが楽になったのを自覚する。

 しかしまぁ、だいの言葉と表情で、こうも自分の気持ちを簡単に転がされるとは、やっぱり俺の1番はこいつなんだなぁ。

 そんなことを思っていると。


「むしろ怖いのは亜衣菜さんよね」


 俺がだいの手のひらで転がされる気持ちになってることなんか露知らず、今度は少し不安げな表情を浮かべて、だいがポツリと呟いた。


 だがそれは、正直俺も思ったところで——


「無茶させないようには見守るよ」

「うん、お願いね」


 きっと思うところは、同じだったんだと思う。

 仕事柄、今日の亜衣菜みたいな表情を浮かべる生徒はたくさん見てきた。

 経験則が、告げてくる。

 そうあの表情は……抱えた問題を自分だけで何とかしようと思い悩む、そんな生徒と同じなのだった。

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