第509話 寝溜めは出来ないのに寝不足は出来るのは理不尽だと思う

「ただいま。遅くなってごめんなさい」


 そんな言葉と共にだいがうちに来たのは、すっかり暗くなった午後8時を過ぎた頃。

 玄関先で出迎えただいはフォーマルなパンツスーツスタイルで、それはまぁ凛々しい姿だった。

 

「おかえりっ。仕事帰りの菜月ちゃんカッコいいっ」


 そして俺と一緒に出迎えた亜衣菜が、そんな凛々しいだいに抱きついた。

 その様子は正直飼い主が帰ってきて喜ぶわんこみたいで、俺の中で亜衣菜の犬度が上昇する。

 いや、〈Cecil〉ったら圧倒的猫耳獣人で、亜衣菜本人もそれは見事な猫目なんだけど……見た目と中身のギャップだな。


「おかえり、お疲れさん」

「うん。お外までいい匂いしてたよ。ご飯ありがと」


 そんな亜衣菜に抱きつかれただいは自分も亜衣菜を抱きしめ返しながら、労う俺に向かってこの一言。

 仕事疲れしていても、食べ物絡みへの反応は流石です。


「あたしも作るの手伝ったよっ」

「亜衣菜さんもありがとね。それと、今日は色々お疲れ様」

「ま、積もる話もとりあえず飯食いながらにしようぜ」

「じゃああたしよそってくるねっ」

「うん、ありがとね」


 そして何というか、甲斐甲斐しく動く亜衣菜を二人で温かく見守って、俺たちは3人揃っての夕飯を迎えるのだった。







「ふむ」


 夕飯と食後のアイスまで食べ終えた20時41分。食べながら今日のことを話していた亜衣菜の話がひと段落し、だいはいつものクールさを遺憾無く発揮しつつ、神妙な顔つきで頷いていた。

 ちなみにテーブルを囲む俺たちは、家主の俺を誕生日席にするような形で、ベッドを背にする左にだい、PCデスクを背にする右に亜衣菜が座っている。

 しかしまぁ、左に美人、右に美人、何とも華やかな食卓だなぁ。


「じゃあ次の作戦ね。私は洗い物してくるから、亜衣菜さんたちはログインしてて」

「了解っ」


 亜衣菜の話から作戦は次のフェーズに移行する必要があることを把握しただいの言葉で、両サイドの華たちが頷き合って立ち上がる。

 それに合わせて俺も立ち、PCデスクに移動してLAへのログイン作業を開始する。

 この間に言葉通りだいは食器やらを片付けてくれていた。


「いやぁ、スーツの菜月ちゃん素敵すぎるねー」

「……おっさんみたいな顔してんぞ?」

「いやいや、あんなに可愛くて綺麗とか、あれはズルいって」

「はぁ」

「あ、もちろんりんりんのスーツも好きだったよ? 拗ねないでね?」

「いや、お前何目線だよ……」


 で、部屋には亜衣菜と俺の二人になったわけだが、俺が椅子に座ってPC操作を行う横で、亜衣菜は何とも不思議なことを言い出してきた。

 いや、昨夜……というか今朝というか、あの一件以来だいに対する目線がかなり変わった気がする。

 自分でも言うのもなんだけど、「俺>だい」だったはずの感情が、「だい>俺」に変わっているような感じがする。

 もちろん俺としてはそれに対して何か困るわけではないんだけど。


 ……まぁいいか。


 そんなことを思いつつ、俺のログインが完了すると。


「こうやって〈Zero〉くんを見ると、りんりんもちゃんと年取ってるんだなーって思うねー」

「そらこいつは見た目変わんねーからな。……ちなみにその発言は、ブーメランだからな?」

「なにおう。〈Cecil〉をキープするためにちゃんとケアしてる亜衣菜ちゃんの努力を舐めんなよ?」

「お、おう……」

「時間とお金はかけてますから」


 モニター上に現れた〈Zero〉の姿を見た亜衣菜が、少しだけ懐かしそうに話しかけてきて、リアル〈Zero〉バーチャルが比べられる。

 それに俺はちょっと呆れたように返事をしたが、どうやらそれは迂闊な返事だったようで、俺は結局返された言葉に閉口した。

 お金ってとこは置いといても、努力と時間という言葉が嘘ではないのは伝わった。

 昨日の夜に見てしまった亜衣菜の身体、あれはたしかにちゃんとトレーニングしている結果が現れていたわけだし。

 ……そう考えると、それだけ本気でやってたわけだから、今の仕事簡単には手放せないだろうな。


「って、やまちゃんインしてないか」

「そうみたいだな。とりあえずジャックはいるから聞いてみるか」

「だね。声かけたら、その後のチャット代わってもらっていい?」

「はいよ」


 頭に浮かびかけた昨日の光景を出てこないように押し込んで、俺は手元では〈Yamachan〉の名前をサーチした。

 だが平日21時前というゴールデンタイムながら残念なことにその名前はヒットせず、現在目的の人物がログインしていないことが明らかになる。

 正直【Vinchitore】の幹部ったら四六時中インしてんのかと思ったけど、意外とそういうわけじゃないのかね。

 まぁこのイメージは、完全にジャックのおかげせいなんだけど。


〈Zero〉>〈Jack〉『うぃーす』


 そして予定通りにログインしていたジャックを見つけ、俺はメッセージを送信する。

 しかしジャックに個別メッセ送るとか、たぶん初めてな気がするな。


〈Jack〉>〈Zero〉『やほーーーーw個別とかどしたのーーーー?』


 やはりそれはジャックとしても同じ考えだったようで、予想通りの反応が返ってきた。

 だがここで一々細かく説明するよりも、直接の亜衣菜に話させた方が早いだろう、そう思った俺は。


〈Zero〉>〈Jack〉『詳細はこの後交代する奴から聞いてくれ!中身チェンジ!』

「じゃ、よろしく」

「あいあいさー」


 と、かなり強引に亜衣菜と役割を交代する。

 まぁジャックは対応力高いからな、何とかやるだろ。


 さて。

 椅子を亜衣菜に譲った俺は、背後で亜衣菜とジャックの会話を見守る、なんてことはせず、キッチンで洗い物をしているであろうだいの方へ向かう。

 そこではあらかたの洗い物を終えて、夕飯作りで定位置が変わった調味料やら調理器具やらを動かすだいの姿があった。


「洗い物ありがとな」

「ううん。ご飯とアイスありがとう」

「それくらい朝飯前だって」

「たしかに順番的に考えれば朝飯前ね」

「いや、そういう意味じゃねーよ?」


 そんなだいに声をかけると、こちらを向いてはくれたものの、特に表情も変えずにだいから淡々としたトーンのせいで、ボケなのか天然なのか分からん返事が返ってきた。

 そんな返事に俺は軽く苦笑いを浮かべてツッコむが、それに対する反応も特になし……というか、むしろ軽く首を傾げられたから、どうやら天然だったようで、俺はもうこの話には触れないでおくことにした。

 

「でも亜衣菜さんもゼロやんも元気ね。正直私は今すごく眠いのに」

「あー……たしかに、今日はしんどかったよな。俺も仕事中はかなり眠かったよ」

「さすがに今日は早く寝たい」


 で、どうやら反応の薄さは眠気が原因だったようで、少しふらつく足取りのだいが俺の方にやってきて——


「亜衣菜さん、上手くいくといいね……」

「っと」


 ぽすっと軽い音を立て、俺の腕が軽やかな重みを受け止めた。

 

 そりゃまぁ、普段より動き出しのリズムが早くなったら眠くもなるってもんだよな。

 でも、ちゃんと食べてからこうなったのは、さすがというかなんというか。


 今こうして俺の身体に身を預け、腕の中でうとうとしているのに、しっかり夕飯(デザート付)は食べていた姿を思い出して苦笑い。


 でも、こいつがこのあとすっきり寝られるように、それを願って俺は優しくだいの身体を支えながら、その髪を撫でてやった。


「今のあいつなら、たぶん上手くやれるさ」


 その言葉が、だいの耳に聞こえたかどうか。

 俺は隣室で頑張っているであろう人物を胸の内で応援しながら、しばし腕の中で眠る大切な人を抱き止めるのだった。

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