第507話 彼女の変化
俺の質問に、あどけないきょとんとした表情が向けられる。
その瞳は吸い寄せられるように綺麗で、俺は思わず何秒か、呼吸を忘れて見入ってしまった。
……ほんとこいつはノーメイクですっぴんだと
そんなことを思う俺に、亜衣菜は——
「んー……」
俺の感情なんかまるで意に介せず、分かりやすく考え事をするように10秒ちょっと上を見ながら唇に手を当てて——
「どうしたらいいかな?」
にへっ、と何ともまぁ頼りない苦笑いの笑顔を浮かべて逆質問。
それは俺が聞きたいんだってーの、という言葉を返しそうになったが、何となく、察した。
きっとこれは、本心だ。
「お前の人生を、俺には決めらんねーよ」
でも、俺はその答えを持っていない。
困り顔の亜衣菜から心の内が伝わって、何かしらの助言を求めてるのは分かったが、俺の思うところは言えても、決めるのは亜衣菜なのだ。
亜衣菜でなくてはならないのだ。
だから先にこう言ったのは、俺の意見で決めんなよっていう牽制でもある。
もちろんそれに、亜衣菜が気付いたかは分からないけどさ。
「えー、けちー」
「いや正論だっつーの」
そんな俺に亜衣菜が唇を尖らせたが、拗ねた表情になる直前、一瞬表情がピンときたような顔になった気がしたから、とりあえず大丈夫と信じよう。
でもけちって、この状況でよく俺に言えたもんだなおい。
「お前の人生はお前のもん。俺に責任は取れません」
「あはは、うん。分かってる。あたしの人生だもんね」
だが、改めて俺が決められないと伝えるや、思いのほか素直な言葉がやってきた。
今までなら「責任取ってくれてもいいんだよ?」とか、そんなこと言ってきそうな気がしたのだが、やはりさっきの今でそこまで言うのは気まずいのかなと、そうも考えたのだけれど——
「菜月ちゃんのためにもだし、りんりんにそこまで甘えらんないよ」
そう言って、今度はちゃんと笑っていた。
その表情は何というか、うまく表現出来ないが、サッパリしたような、嘘偽りない笑顔に感じた。
それは思わず見惚れるような笑顔だったが、ここまでの話し合いを踏まえて、正直清々し過ぎるような、そんな違和感を覚えたのだが——
「あれ? 意外な反応って思ってる?」
そんな俺の気持ちがバレたのか、かがみ込むようにニヤついた顔で俺の顔を覗いてくる亜衣菜に、俺は少したじろぐと、亜衣菜はすぐに背筋を戻して、また笑った。
「菜月ちゃんには敵わないって、今日はっきり分かったよ。あたしはずっとりんりんに甘えてた。りんりんが優しいから、その優しさに甘える居心地の良さから抜け出せなかったんだって、分かった。ほんと、りんりんは人をダメにするクッションみたい」
「いや、誰がヨギ◯ーだ、おい」
「あははっ。でもね、気付いちゃった。きっとりんりんも気付いたんじゃない? 菜月ちゃん、りんりんに似てきたって」
「え……」
そして亜衣菜から、予想外の言葉が続く。
でもたしかに、こいつが感じ取ったものは俺も少し思ったもので……いわゆる恋のライバルだった亜衣菜に、自分にストレスを与えてくることがあった亜衣菜に、だいははっきりと「好き」だと言っていた。恥ずかしげもなく堂々と「親友」だと言っていた。
正直驚いたのは、否めない。
「あたしはりんりんがいればそれでいい。そんな付き合い方をしてたけどさ、菜月ちゃんはりんりんの隣に立って同じ景色が見たいって、そう思ってるんだろうね。ほんと、りんりんと話してるみたいだったもん」
「え」
「なんていうか、あたしはこうだったけど、菜月ちゃんはこうって感じ?」
だいの考えを予想して、まるで俺みたいだったと言われた言葉に俺は驚き固まった。
そんな隙をついて亜衣菜が俺の前に背中を向けて立ち、俺の両腕を掴んで引っ張り亜衣菜の身体の前でクロスさせ、さながらバックハグの姿勢を取らせようとした後、すぐに俺の腕を離して俺の横に並び立つ。
呆気に取られていた俺はされるがままだったのだが、つまり前者が亜衣菜で、後者がだい、そういうことなんだろう。
でもたしかに、亜衣菜の言わんとするところは伝わった。
「いい子だよね、ほんとに」
そして後ろ手に手を組んみながら、横に立ったままくるっとこっちを見て、亜衣菜がそう笑いかける。
それは強がりでもなんでもなく、彼女の本心の言葉。そんな気がした。
「大事にしなかったら、あたしがもらっちゃうからね?」
「は?」
そんなさっぱりした様子の亜衣菜が続けた言葉は、正直予想外過ぎた。
だが亜衣菜の表情は変わらない。
「あたしたち親友だし?」
「おいおい。俺とだいは7年の付き合いだぜ? そんな隙を見せると思うのか?」
「あははっ! ほんと、7年かー……すごいよね、菜月ちゃんはずっとりんりんといたんだね」
「そう、だな。文字通りずっと一緒にいてくれたと思うよ」
「男だと思ってたくせに?」
「うるせえ」
「でも、それだけいたらお互い影響受けるんだろうね」
「さぁな。俺もさっきのは、びっくりしたけど」
「でもさ、初対面の時は今みたいじゃなかったよ?」
「あー……リアルであんな風に色んな人と関わろうとするようになったのは最近だよ、たぶん」
「じゃあやっぱり、りんりんと付き合ったから変わったんだね」
「……それを俺に聞くのはむずくないか?」
「いいじゃん、あたしとりんりんの間柄だし?」
「いや、なんだよそれ」
「師匠と弟子、でしょ?」
「は?」
「えー、昨日LAでそういう流れになったじゃん? きっとあの場にいた色んな人が、もうそうやって認識してるよ?」
「いや、俺はそんなつもりな——」
「——いいの。あたしがそう自認するの」
「……はぁ。分かった分かった。好きにしろって」
「ん、あざます師匠っ」
「なんかうざっ」
「あははっ」
そしてなぜか上手く言いくるめられる形で、気づけば会話が俺が師匠で亜衣菜が弟子という、ものすごく不思議な形に変化する。
でも、俺に師匠と言ってくる亜衣菜は、楽しそうだった。
こんなやりとりをしている内に、気づけば時刻は7時半。
流石にそろそろ出勤したい、そんな時間になっていた。
「さっきの質問だけどさ」
そして、俺が時間を確認したのに気付いたのか、楽しそうに笑っていた亜衣菜の表情が真剣なものに変化して、声のトーンも落ち着いた。
だがその表情も声も、決してこの家に来た時のような様子はなく——
「やまちゃんと話したら答える、でいいかな?」
強い意志を込めて、亜衣菜はそう言ってきた。
その言葉は、何故かスッと飲み込めて——
「別にいいよ、答えなくても」
たぶん俺は、今の亜衣菜に安心したんだと思う。
今の亜衣菜なら、自分でちゃんと歩けるだろうって。
もう俺が助けたりしなくても大丈夫だろうって。
……ああ、そうか。
結局俺も、同じだったんだ。
亜衣菜は俺に甘えてた。
俺は亜衣菜に、甘かった。
でも、だいも亜衣菜を見てくれる。支えてくれる。
それに気付けたから、俺は今こんなにも落ち着いているんだろう。
そんな事実に、気付いたのだ。
「ううん。これはけじめだから?ちゃんと答える、答えに来るよ。やまちゃんとちゃんと話して、りんりんと菜月ちゃんに答えに来るから」
「……そうか。分かった。ならその時はちゃんと聞いてやるよ」
そして、けじめをつけると言った亜衣菜の言葉に、俺はしっかりと頷いた。
たぶんもう、亜衣菜の中に考えはあるのだろう。尋ねた時には見えなかった答えも、今はもう見えている、そんな感じが伝わった。
「あ、間違えた。りんりんじゃなくて師匠だったっ」
「いや、今いい感じに締まりそうだったのに!?」
つまりまぁ、俺も亜衣菜も、前に進む。
そういうことで決着だ。
何ともまぁ最後の最後に締まらない会話になってしまったが、亜衣菜の深夜来訪劇はこれにて一先ず終幕で。
俺は亜衣菜に諭吉さん1枚とだいから預かった我が家の鍵を渡し、スーツに着替えてから、亜衣菜共々家を出るのだった。
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