第505話 明けない夜はないはずなのに
亜衣菜のプライドったら、きっと——
「さっすがに悔しくてさ、もう負け惜しみでもいいから直接なんか言ってやろうって、ずっと関わらないようにしてたのに、昨日は話しかけに行っちゃったよね」
苦笑いを浮かべて話す亜衣菜の様子に、俺の想像した答えが確信に変わる。
やはり、か。
……でもそうだよな、こいつが一番本気で、全てをかけてやってきたことって、それに他ならないもんな。
「みんなのいるとこで話しかけたら無視も出来ないだろうし、悪目立ちしたがらない性格なのも知ってるからさ、あたしからの精一杯の嫌がらせだったんだけど」
「いや、でも別にお前俺のことディスったりなんか……」
「そうなんだよねー。だって、りんりんが本気でガンナーやってるの、あたしはよく知ってるもん。だから本人を目の前にしたら、結局ディスったりなんか出来なかった。ううん、むしろ嫌なこと言われてるの見て、悔しくなった。そもそもさ、りんりんの否定って、あたし自身の積み上げてきたものも否定することになっちゃうじゃん? あたし気付けって話だよねー」
「亜衣菜……」
続いた会話で、俺と亜衣菜の認識が一致していることと、こいつの優しさが伝わってくる。
しかしやはり、亜衣菜のプライドや取り柄と言えば、当然LAの話に他ならない。
そしてその中でも、ガンナーの技量は誰にも負けないと自負してきたはずなのを、俺は知っている。
もちろん俺とて負けたくないと思ってはいたが、現実としてはプレイ時間は言うに及ばず、しょっちゅう目にしてたLACの参考動画に上がる〈Cecil〉の動きに、正直いつも差を感じていた。
いや、それは今も変わらない。
俺が新ギミックを発見しようが、たまたま新コンテンツで新たな戦法を見つけようが、根本的な技量は亜衣菜の方が上なのだ。
でも、亜衣菜の中ではそうではなかったようで——
「りんりんと菜月ちゃんがリチャードと出したタイム、ぜっんぜん更新出来なくてさ。リチャードにくもちんは同等。あたしの位置取りが及ばないって言われちゃったし、いやー、マジで悔しかったのっ」
これは間違いなく本気の言葉だ。
軽くふざけるように表情こそ笑っているし、軽くフランクな言い方をしているが、俺には亜衣菜の本気が伝わった。
いや、言葉を聞かなくても正直昨日から何となく感じるところはあったのだ。
そうじゃなかったら、こいつが公開された場所で俺に質問になんか来ないだろうから。
恥も外聞も捨てるくらい、本気で俺に勝ちたかったから、こいつは昨日話しかけてきたのだ。
「それでね?」
亜衣菜が何を思って俺に話しかけにきたのか、それが十分に伝わったところで亜衣菜のトーンがまた変わる。
それは悪戯っぽいような、無邪気なような、元々幼い声の亜衣菜が、より幼く聞こえる言い方で——
「昨日りんりんと久々に話して、りんりんに教えてもらうってすごい久々だなって思ってさ、優しいな、懐かしいな……やっぱり……」
若干舌足らずな物言いが、言い淀む。
その様子に俺は首を傾げたが——
「やっぱり好きだなって思っちゃったから、ダメダメ! ってなって、でもでもってなって、とにかくうだうだし始めちゃって」
「え?」
「最近よくないことが多過ぎるっ! これは解呪の儀式をせねば! ってなって」
「へ? か、解呪……?」
「あたしはスパッと呪い落としの儀を行ったのであるっ」
何か急に不思議なことを言い始めた亜衣菜が、自分の髪を指二本で挟み、その二本指を開いたら閉じたりするジェスチャーを見せてくる。
それはつまり、当然……そういうことだろう。
「え、髪切った理由それ!?」
「なんだよー、失恋きっかけで髪切るとか定番なんだからいいじゃんっ」
「いやお前それは大胆すぎだろっ」
「でも短いのも似合ってると思うけどな」
「ほんと? 菜月ちゃんありがとっ」
そして髪の毛のくだりに、だいが亜衣菜をフォローして、亜衣菜がそれに嬉しそうにする。
少し前までの身体がどうのとかって話よりは何倍もマシって話だが、何というか急な雰囲気の変化に、俺は正直戸惑った。
むしろ、ここからの展開へ警戒心を増したというか、そんな気持ちを強くした。
だって——
「ま、それでやまちゃんにはめちゃくちゃ怒られちゃったけどねー」
やはり、予想通り。
そう、亜衣菜の話にはまだ今日家を出てきた理由がないのだ。
積み重ねてきたストレスやフラストレーションの話はいくつもあった。
でも突発的に、現代人にとって最低限必要なアイテムすら持たずに家を出た理由がない。
「ううん、怒られたってよりあれは呆れられただったかな? あたしがどれだけ亜衣菜さんのために頑張ってきたと思うんですか? 最近頭おかしいですよだってさっ」
そして笑って話す亜衣菜の声に、少しずつ震えが混ざり出すのを、俺ははっきりと感じ取った。
表情では分からない、些細な変化。
でも俺にはそれがわかった。
なんたって、数ヶ月前に再会して以来亜衣菜と久々に話したりして実感したが、こいつの中身は昔と大して変わってないのだ。
こいつは誰かを悪く言うことを好まない。もちろん自分の大切な人や物に対して悪く言ってくる相手には相応の気持ちを抱きはするが、そうじゃない場合は、決して相手を悪くは言わない。
だからそんな相手の話をする時は、決して重たい雰囲気にならないように、笑って話すくせがある。
そして今回の流れで言えば、山下さんがまさにその相手に当たるだろう。
でも、我慢して我慢して、今回の件を一人で抱えられるほど、その心は強くない。
だから——
「あ。あたしだって一応年上だし、言われっぱなしじゃいられないからさ? あたしも言ったの。全部聞いたよ、たくさんごめんねって。それと、上杉さんに色々言われて、こんなことあったんだって」
微かに震えた声で気丈に話す亜衣菜を、俺はまっすぐ見ていられなかった。
「そしたらこれも地雷でさ? やまちゃんは上杉さんのこと、ホントに好きみたいでさ? いやー……私にないもの全部持って生まれたくせに、なんなんですかって言われちゃった」
俺もだいも、何も言葉を返せない。
最早気丈に振る舞うことも出来ない気落ちした亜衣菜の声とは裏腹に、カーテン越しに差し込んでくる明るい朝の光が、何とも皮肉でしょうがない。
いっそずっと夜だったら、亜衣菜の話にそんなことまで思ってしまう。
「でもさ、あたしが全部持って生まれてるって何? あたし全然そんなことないのに。一人じゃなんもできない、こんなに情けない奴なのに。……でも、泣いてるやまちゃんに何も言い返せなくて、飛び出してきたの」
そしてまた、亜衣菜の顔が下を向く。
それは完全に心が折れてしまった、弱々しい姿だった。
「やっぱりさ、全部あたしが悪いんだよね。やることも気持ちも、全部中途半端だから。あたしに……あたしって人間に、誰かに好きになってもらう価値なんて全然ないんだよね……」
室内に、涙を堪えられなくなり、その防波堤が決壊した音が響く。
そんな彼女を俺は直視できず、俺の耳にその音が聞こえる度、俺の心も辛くなる。
だが、果たして俺に何が言えるというのか?
ただただ沈痛な室内で、俺は黙することしか出来なかった。
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