第504話 ボロボロの心

「あの日の後って……何があったんだ?」


 だいの疑問も兼ねて尋ねる俺は、じっと亜衣菜の目を見てそう聞いた。

 だが逆に亜衣菜もそんな俺の目をじっと見た後……そっと俯くように目を逸らした。

 その行動から言いたくないというような気配は感じたが、ここまできて聞かないは、流石に出来ない。

 その様子から、今躊躇っている話こそが、彼女の心の詰まりなのだろう、そんな予感がした。

 だから俺は、構わずに亜衣菜の目をじっと見る。

 その目は大きくて丸くてあどけなくて、いつ見ても可愛いと思う。

 そんな目で見てしまっただろう嫌な記憶を、俺はじっと待った。


「あの日の後……ううん、あの日。酔った勢いだったけど、菜月ちゃんも一緒に写真撮って、一緒に載せちゃおうって話したの覚えてる?」

「うん、覚えてるよ」

「俺も。その話はたぶん忘れない」


 そして外が明るくなったのをカーテン越しに感じながら、少しの間を置いて話し出した亜衣菜に、俺とだいが相槌を打つ。

 亜衣菜とだいでコスプレ写真撮って、電子版の『月間MMO』に掲載しようって話だったよな。

 それを俺がだいの写真を見たいがためだけに一回安請け合いして、ルチアーノさんに甘く考えるなって怒られて、結果的にお流れになった、そういう記憶だ。


「最終的にはなしになって、代わりにだいが亜衣菜のフレンドとして対談するって話で収まったって聞いてたけど、その話がどうかしたのか?」


 しかし、この話がどう繋がるのかが見えてこず、俺は亜衣菜に問い返す。

 そんな俺の問い返しに、亜衣菜の表情が強張り、自分を抱きしめているだいをギュッと強く抱き返す姿が目に入った。


「あの話は……本当はそんな単純に終わらなかったの……っ」

「終わらなかった?」


 震えた語尾に、だいは無言で亜衣菜の背中をさすり、俺は気になった言葉を反芻する。


 終わらなかったって、どういうことだ? 

 どこでどう続いた?


 そんな疑問が当然浮かぶ。


 そして少し間を置いて、亜衣菜が深呼吸をしてからまたゆっくりと話し出す。


「うん……。あの後ね、お兄ちゃんも上杉さんになかったことにしてくれって頼んでくれたみたいなんだけど、言わせっぱなしは失礼だから、あたしもちゃんと話したの。ごめんなさいって。そしたら、そこで言われたんだ。正直残念だ、って」

「え」

「……いやー、あたしもそこで聞かされたんだけどさ? 自惚れんなって思うかもだけど、あたしって、6月くらいから人気落とし気味だったらしいんだよねっ」


 そして、ルチアーノさんと亜衣菜がだいの件をなしにしてくれと頼んだって話や、「残念」と返されたって教えてくれた時はどんよりしていた亜衣菜の表情が、急に明るく自分の不人気を笑い出す。

 だがそれは明らかに乾いた笑いで、無理矢理明るく言ったのは明白だった。


「だからさー、菜月ちゃんとのコラボで人気回復を狙いたかったんだって」

「いや、でも仮に人気落とし気味だったとしたって、亜衣菜は十分人気だろ? だからこそ来月号も表紙なんだろ?」

「甘いなー、りんりん。一度でも落ち始めた流れって、なかなか止まらないんだよ? もちろんあたしだってそれをはいそうですかとはならないからさ、色々やろうとして、私の仕事のためって話に繋がるの。……ちゃんとできてないのに、表紙のチャンスくれたのは、上杉さんの優しさなんだろね」

「え……」


 淡々と語る亜衣菜の表情は、表面上暗くはない。暗くはないのだが、それは何かを隠すような、自分の感情を抑えるような声だったのは明白だった。

 

 しばし、全員が口をつぐむ。

 しんとした室内は、呼吸さえも躊躇わせるような、そんな雰囲気を漂わせていた。


「でも私も亜衣菜さんはずっと人気だと思ってたけど、どうして6月にそんなことになったの?」


 重い空気の中、だいが口にした疑問に、亜衣菜が複雑そうな顔を見せる。

 だがその疑問の答えに、俺は一つだけ思うところがあった。

 だから——


「俺か」

「え?」


 言いづらそうな顔をしていた亜衣菜に代わって俺が予想を口にすると、だいは何を言ってるんだという風に俺を見た。そして亜衣菜も驚いたのか一瞬目を見開いたのだが、その直後視線を床に向けていた。

 その反応が、俺にとっての答え合わせに他ならない。


「亜衣菜さんとゼロやんの関係がバレたなんて聞いたことないけど……」

「いや、それじゃない。ほら、亜衣菜がコラムの中で俺の名前出したの、6月にあっただろ? そこでアイドルに男がいる、そんな風に捉えた奴もいたってことじゃないか?」

「あ……」


 思い出す6月。

 ある日急に炎上した【Teachers】の動画は、亜衣菜のコラムがきっかけだった。そして俺自身も、相当なメッセージをもらったのを覚えている。

 あの時は亜衣菜が自分のSNSで火消しをしてくれたけど、やはり一度付いた火を完全に消すのは容易ではないのだろう。

 負の感情の方がSNSなんかで発信されやすいし、それがじわじわ広がって、人気低下に繋がった、そんな流れだろうと俺は予測したのだ。


「うん、りんりんの言う通り、そこからちょこちょこアンチの声がくるようなってさ。あたしはなるべく気にしないでいたんだけど、人気商売だし、雑誌の売り上げにも関わるしで、上杉さんはそれを気にしてたみたい。その流れに加えて、菜月ちゃんっていう復活のチャンスもぬか喜びで終わらせちゃったから、残念だって、言われちゃったみたい」


 そんな俺の予想を肯定してから、亜衣菜は疲れた笑顔を見せて言葉を続けた。

 辛い記憶を吐き出すために、無理して笑っているのは明白だった。


「そう、なのね……」

「うん。だからね、上杉さんにはお世話になってたのに、迷惑かけちゃったから、どうすればお詫び出来ますかって聞いたんだけど、そこで言われたのが、やまちゃんがあたしが売れるためにしてくれた話だったんだ。そう、あたしはそこでやまちゃんが身体売ってまであたしのために尽くしてくれてたのを、初めて聞いたの。そしてそれを聞いてやまちゃんにも申し訳なくなっちゃって、同じことが君にも出来るか? って言われて、あたしもやらなくちゃって思って……」


 そして一気に今回の話に至った経緯を吐き出そうとして、心が耐えられなくなったのか、また言葉が震えていく。

 そんな亜衣菜を、だいがまた強く抱きしめた。


「でもね、次の表紙はもらえたけど、人気回復しなかったら、先は長くないかもって、言われちゃった」

「……ふむ」

「亜衣菜さんの写真いつも可愛いじゃない」

「ありがとね、菜月ちゃん。でも撮ったの先月だし、メンタル的にたぶん、いい写真って自信はないんだ」


 だいの腕の中で話す亜衣菜は、頑張って笑おうとしているのが分かったが、それでもその笑顔に力はなかった。

 6月のことを自業自得と言うことは出来る。

 でも、それで心身を深く傷つけられるまでのことは、される必要はないはずだ。

 だからこそ俺の中で、上杉さんへの怒りが込み上げる。


「それに、そういうメンタルの不調って、やっぱ隠しきれないもんでさ。ずっとあたしのこと見てくれてたやまちゃんに気付かれないわけなくて、それでも追及はのらりくらりかわしてたんだけど、ずっと色々聞かれてはいたんだ」

「うん」

「不安定なあたしと、何も言わないあたしにイライラするやまちゃん。ほんとここ最近の我が家は苦しかったよー」

「そう、なのね……」


 亜衣菜の話にここにいない人物へのヘイトを高める中、彼女は話を続けた。それはここ最近、俺たちと関わってこなかった間の苦しみの話で、俺にはどうすることも出来ないのは分かっていたが、辛そうな亜衣菜の顔を見るのは、正直苦しかった。


「そんな中さ、またあたしのプライドというか、取り柄も折られちゃったじゃん?」

「プライドと、取り柄?」


 そんな話の中、また亜衣菜が精一杯の作った笑顔で、あえて重くならないようにしようとする話が告げられる。

 だがその話の意味が分からず、俺は少し首を捻り、だいはその言葉を繰り返す。


 こいつのプライドって……。


 思考を巡らせ、考える。

 亜衣菜という人間のプライドは——


 思いつくのは、一つだった。

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