第503話 言うに難く、聞くに難い

「山下さんと……上杉さんが?」


 口に出してなお、俺の混乱は治らない。

 いや、だって——


「うん。もうけっこう長いんじゃないかな」

「マジ? え、だってあの子……俺の5個下だぞ?」


 期間が長いという話にまた絶句。

 何たって山下さんは俺が練馬商業に赴任した年の、俺が23歳になる年に高3だったんだぞ?

 ってことは彼女は今年23歳になる年で……上杉さんは亜衣菜の5歳年上のお兄さんであるルチアーノさんと同い年だから……歳の差10歳じゃん!

 しかもそれで期間がけっこう長いって、いやいやいや!


「ゼロやんと市原さんくらい離れてるじゃない」

「おいそこでその例はやめろっ」

「市原さん……?」


 犯罪チックじゃねーか、そう言おうと思ったら言われた年の差11歳の別例に、俺は自分の言葉を飲み込んでだいの頭にチョップをしながらツッコんだ。

 当然市原が分からない亜衣菜は頭に疑問を浮かべているが、今はとりあえず無視しよう。


「ちなみに関係って言葉が出てきたけど、それはつまり……そういう関係って認識でいいのよね?」

「うん、そうだよ」

「で、でもあれだって。亜衣菜は未遂というか、本当の一線は超えてないんだって」

「そう、なのね……」

「でも仕事のためとはいえ……ううん、結局は自分のために上杉さんの前で脱いだのは変わらないから」

「仕事の……」

「ため……?」

「え?」


 そして衝撃の事実に本題が止まったが、まただいが話を軌道修正してくれて、亜衣菜の言った「そういう関係」の「そういう」の認識が統一された。

 だがその関係が「仕事のため」、そう言った亜衣菜の言葉に、俺とだいが引っかかる。

 しかし俺たちが引っかかったのが、亜衣菜には疑問だったようで、そこで俺たちは三人揃って顔を見合わせた。


「え、なんで二人とも驚いて……え、もしかしてあたしが誰でもいいからってそういうことしようとしたと思ってるの!?」

「え、あ、いや……うん。ごめん。俺が言うのもなんなんだけど、傷ついてたって言ってたし……自暴自棄ヤケクソになって、かと想像してた」

「はぁ!?」

「い、いやだってさっき簡単に股開こうとする女とか、自分でそんなこと言ってたし……」

「むーっ!」

「ちょっと暴言はやめて」

「やっ、これは亜衣菜が自分で言ってたんだってっ」


 疑問を浮かべていた俺たちへ不満げに逆質問してきた亜衣菜に、俺が勘違いしてたことを伝えるや、珍しくも亜衣菜の顔に怒りの色が浮かんできた。

 それはもうかなり不服そうな表情だったのだで、俺は焦りながら弁明を試みたが、そのせいでだいにも責められるし、まさかまさかの四面楚歌。当然俺を助ける者もいるはずもなく——


「誰でもいいわけないじゃんっ。誰かさんならよかったけど、誰でもいいわけ、ないじゃん……」


 俺を見上げるように恨みがましくジトっとした視線を送ってくる亜衣菜の目に、じわじわと涙が浮かび出し——


「亜衣菜さんっ」


 俺の腕に抱きついていただいがベッドを下りて亜衣菜の肩を抱くように、慰めに行った。

 そして俯いて泣き出した亜衣菜の背中をさすりながら、今度は睨む、というわけではないが、何か訴えたげな視線がだいから届く。

 形勢は完全に逆転し、これは勘違いした俺が完全に悪者だ。


「勘違いして悪かった、悪かったって。ごめん」


 そんな状況で俺に出来るのは、謝罪のみ。

 俺が亜衣菜と、その亜衣菜を優しく抱いているだいに頭を下げ、何とか溜飲を下げてもらう。

 もちろん誰かさんならよかったけど、って発言は聞かなかったことにし、誰だって勘違いしそうな流れだったじゃん? そんな思いも胸にしまって——


「でも、仕事もらうためって……亜衣菜の仕事、順調だったんじゃないのか? 『月間MMO』、来月の表紙もお前だろ?」


 単純に抱いた質問を、俺は亜衣菜に投げかけた。

 亜衣菜のコラムが始まってもう数年だし、『月刊MMO』での表紙もコスプレグラビア特集も年に4,5回はやっている。その上たまに他誌でも〈Cecil〉として載ってるし、それくらいコスプレイヤーとしての〈Cecil〉は人気のはずなのだ。

 それなのに、わざわざ仕事のためにそんな身体を張る必要があるだろうか?

 そんな疑問が、俺にはあった。


「仕事が順調だったのは、順調になれてたのはやまちゃんのおかげだよ」

「え?」

「もちろんお兄ちゃんのプッシュもあったのは知ってるけど、編集長ならいざ知らず、一編集者の上杉さんでも、いきなり知名度のなかったあたしを掲載出来るのは出来ても1回くらいだよ」


 そんな俺の問いに、亜衣菜は少しやさぐれた雰囲気で語り出す。

 そんな亜衣菜を、だいが静かにギュッとしていた。


「い、いやでもさ、人気出れば……」

「モデルとかそういうのやりたい人が世の中にどれくらいいると思ってる? もちろんあたしがガチのLAプレイヤーだったのはあるけれど、それでもそう簡単にはいかないよ?」

「そ、そうか……」

「でもそんなあたしをやまちゃんが全身全霊で猛プッシュしてくれた。ほんと、文字通り全身で」

「あ……」

「なんでやまちゃんがそんなにあたしに入れ込んでくれたのかは分かんない。あたしなんて元々趣味でやってただけのレイヤーだし。たしかにやまちゃんはあたしの写真撮りにきてくれてたみたいだけど、お兄ちゃんが仲介して紹介されるまで話をしたこともなかったからね?」


 淡々と語る亜衣菜の表情は複雑だ。

 疑問と悲しみと虚無が混じった、そんな表情なのだから。

 でもこいつ、ルチアーノさんが色々手を回してたの知ってたのか。


「でも、事実として1回目の掲載が終わった後、上杉さんにやまちゃんが直談判したみたい。上杉さんに言って、上杉さんを通して当時の編集長にもお願いして……っ」


 そんな亜衣菜の言葉が、急に聞き取りづらくなり、その様子に気づいただいがまた優しく亜衣菜の背中を撫でていた。


「亜衣菜さん、無理して話さなくても——」

「——ううん。ありがとね、菜月ちゃん。でも大丈夫。迷惑だと思うけど、むしろ聞いて欲しいんだ」


 話すのもつらく、抱えるのもつらく。

 頼りにしていた子の実態を知って、想像するに、今亜衣菜は相当なものを抱えているのだろう。

 だから俺は何も言わず、言葉を待った。

 そして何度か深く呼吸した後、少しだけ落ち着いた様子で話し出す。


「やまちゃんが大人の関係を持って、あたしをプッシュしてくれた。だからあたしはその後も掲載させてもらえた。あの頃に「亜衣菜さん、人気すごいみたいですよ」ってやまちゃんは笑ってくれてたんだけど、本当はそんな裏があったんだ」

「……そうか」

「うん。それであたしの人気が本当に軌道に乗った後、上杉さんはやまちゃんと二人で編集長のことを社内の人事とか管轄してる人にリークして蹴落とした。そして代わりにあたしをプロデュースした実績でいい役職になれたみたい。この辺は詳しくは知らないけど、そんな感じなんだって」

「亜衣菜は、それを誰に聞いたんだ?」

「上杉さんから聞いた話もあるし、やまちゃんから聞いた話もあるし、いずれにせよ二人があたしに教えてくれたの」

「そう、なんだ」

「このくらいから、上杉さんとやまちゃんもただの協力者を超えた関係になったみたい。やまちゃんはカメラマンだけじゃなくあたしのマネージャーでもあるからさ、よく上杉さんと話はしてたんだ。ほんと、二人だけの打ち合わせとかもよくあるんだなって思ってたけど、本当はそうじゃなかったんだよね。あたしはずっと気づいてなかったけど」

「でも、上杉さんって既婚者だったんだよな?」

「うん。でも昔やまちゃんとお酒飲んだ時、上杉さんたち夫婦がレス状態であんまり仲良くないって話してたから、そういうのも関係あったんじゃないかな」

「だからって何の言い訳にもならないわよ。人として最低ね……」

「……うん、今全てを知っちゃうとそうだよね。でも編集者として頑張ってくれて、あたしの人気が維持できるように一緒に色々考えてくれて、ずっと感謝はしてたんだ」

「複雑なんだな……」

「うん、だね。そんな感じでさ、8月の終わり頃までは、あたしが知らないことによって、何事もなかったように全部上手く回ってるように見えてたんだけど……」

「8月の、終わり頃?」


 長く話してくれた亜衣菜の言葉が言い淀み、その中で聞こえた時期を、だいが問い返す。


「うん、その頃。あたしがりんりんに振られて、お兄ちゃんとお義姉ちゃんと上杉さんと、6人でうちに集まった日の、ちょっと後」


 問い返しただいに答える亜衣菜の目線が、一度宙を彷徨い、落ちた後——


「あの日の後、あたしは全部を知ることになったの」


 誰にともなく悲しそうに微笑んで、亜衣菜は俺たちにそう言った。

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