第502話 深夜会談

 半開きの眼差しでビシッと俺を指差す美女。

 その容姿はそれはもう絶対的美女に違いないのに、明らかに睡魔の攻めを受け、瞼が相当重くなっているようなのだが、それでも瞼を何とか開こうとしている姿は、まるで年越しの時を懸命に起きて迎えようとする子どもを連想させた。それと同時に「正義は勝つのよ」とかそんなフレーズを口にしそうな謎のドヤ顔にも見える不思議。

 それでも綺麗って思えるのだから、流石と言えば流石である。


 もちろんこの美女に会えるのは、嬉しい。

 だが今告げられた言葉は、どう受け止めたものだろう。

 というかまさか誰がこんなことになるなんて思っていただろう?

 時計を見れば現在時刻は午前4時52分。

 カーテンの隙間から見える外はまだ明るくない。

 そんな時間に、愛する彼女から断罪されるが如く「私の友達から離れなさい」と指差されるなんて、古今東西俺以外に経験した者などいないだろう。


 そんなセリフだけ見ればシリアスなのに、彼女の様子やら何やらのせいで茶番とも取れるお手上げな状況に、さっきまでの張り詰めた俺の感情はどこへやら。すっかり脱力し、亜衣菜の隣という立ち位置のままだいの方を眺めていた。


「えーっと……どっから聞いてたの?」

「少なくともお家の前に来た時に、ゼロやんが何か叫んでるのは聞こえたわ」


 俺の質問にだいが答える。

 俺とだいの距離感も、俺と亜衣菜の距離感も、質問する前から変わらない。

 「離れなさい」なんて言ってたくせに、そこには触れてこないだいの様子に、俺はさっきの言葉が言いたいだけだったんだな、ということを密かに悟った。

 ならばこのまま普通に話そう、そう決める。


「いや、叫んではいないんだけど——」

「——入ってきてからもちゃんと聞き取れたのはメンヘラとかダセェとかの心無い非道な言葉と、俺の昔好きだった女ってとこくらいよ」

「それはまぁ何とも絶妙な切り抜きだなっ」

「何よ。今好きな女が来て何か不満でもあるのかしら?」

「それも急に差し込んだなおいっ」


 前言撤回。相手が普通じゃない時に普通の会話は不可能でした!


 おそらくだいのステータスは現在睡眠と混乱のダブルパンチと言ったところだろう。

 俺を攻めたい気持ちと亜衣菜に対して牽制したい気持ちがせめぎ合い、眠気によってそれらが絶妙なハーモニーを奏でている。

 つまり厄介この上ない。

 そんなだいの様子に。


「な、菜月ちゃんって眠いとなかなか愉快なことになるんだね……」


 基本的にクールで冷静なだいの印象が強いからだろう、俺の右隣に立つ亜衣菜が苦笑い。

 でもその苦笑いは、だいが現れる前までの虚な表情ではなくて……人間らしい、可愛い困り顔だった。

 妹や弟のような、可愛い存在に困らせられた姉の気分、そんな感じなのだろう。


「何よ亜衣菜さん。大丈夫。私が来たからもう安心して。これ以上の暴言は言わせないから。というかゼロやんはちゃんと離れて私の隣に来なさいよ」


 そんな亜衣菜にだいはドヤ顔を深めて安心を促し、意外にもちゃんと覚えていた離れろ指令で俺をディスり……そうな雰囲気を醸し出しつつ俺に甘えてくるという暴走中。

 ……いや、これはだいの本能的な反応、ってことだろう。


「え、えっと……ありがとう?」


 そんなだいの言葉に俺がやれやれと移動するや、亜衣菜は亜衣菜でお礼を言う。

 でもこのタイミングでお礼って……それあれじゃん、俺を悪い奴認定しちゃうってことになっちゃうじゃんな!


「いやそこ感謝すんなっ」


 そんな亜衣菜に俺がツッコむが——


「何よ?」


 言われた通り隣にやってきた俺の腕に抱きつきながら、だいが俺の顔を見上げて不満そうな顔をする。

 いや待て、本当にこのままだと収集つかんぞ……!?


「いや、あーもう! とりあえず亜衣菜、俺も結局何の話かちゃんと見えてないから、落ち着いて何があったのか話してくれっ」

「え、あー、うん。……分かった。二人ともごめんね。菜月ちゃんの顔見たらちょっと落ち着いたし、ちゃんと話す」

「ゼロやんの顔じゃ落ち着けなかったの? やっぱりあなた——」

「——やめいっ! 紛らわしくなる発言はストップ!」


 そして無理矢理にでも俺が話の流れを正そうとして、亜衣菜がそれに同調しようとするのに、口を開いたが最後、完全にだいは暴走モードで話が全然進まない。

 まるで今日のだいはオフ会の時のぴょんのよう。

 つまり“だん”、または“ぴょい”モード。……あ、これは俺も疲れてるか。


「ありがとね、お陰で重い雰囲気にならずに話せそう」

「ううん。やっぱり私は亜衣菜さんのこと好きだから、こうやってまたお話出来て嬉しいわ」

「……ん、菜月ちゃん、ありがとね」


 と、俺がどうでもいいことを考えている間になぜかだいと亜衣菜の間ではいい感じな会話が行われ、いい感じの雰囲気が室内に漂い出す。

 なんだこのいい感じ。

 俺としては疑問だらけではあったのだが、亜衣菜を拒絶したと思っただいがこうやって亜衣菜と話してくれて、正直ホッとした気分もある。

 まぁ、俺の腕を抱きしめてるあたりは、やはりまだ警戒心があるからこその私の物アピールかもしれないけど。


「とりあえず、立って話すのもなんだし座ろうぜ?」

「そうね。珍しくいいこと言うわね」

「いや、今日のお前当たり強くね!?」

「あははっ、二人とも仲良いなー」

「そうよ?」

「今日の素直さ振り切れてんなっ」


 そして俺が二人に座るよう促すと、だいがまたもや暴走し、亜衣菜がその姿に楽しそうに笑ってくれた。

 ……まぁ俺としても、こんだけ素直なだいを可愛いかと聞かれれば、なんだかんだ可愛いと思ってしまうんだけれども。


 そして亜衣菜がベッドの方向に向きを変えた座椅子に座って、俺とだいがベッドに腰掛け亜衣菜と向き合う。

 構図としては、物理的に俺たちの方が上なので何だか偉そうな気がするが、ここなら寝落ちしそうなだいをすぐに寝かしつけられるからな。

 あ、ちなみにもちろんだいはずっと俺にくっついたまま座ってるぞ。最早言うまでもないだろうけど。

 そんな状況の中。


「それで、亜衣菜さん、どうしてこんな時間にここにいるの?」


 会話の口火を切ったのはだいだった。

 ちゃんとした、まともな質問からのスタートに俺はホッと胸を撫で下ろす。


「あははー、ほんとねー、ごめんって気持ちでいっぱいだよー」


 そんなだいの問いに笑って答える亜衣菜。

 少し前の亜衣菜を思えば、その雰囲気に俺は正直安心した。


 ……結論から言うと、だいが来てくれてよかった、のだろう。


「ううん、いいの。でも私に連絡くれたら私のお家に案内してたのに」

「んやー……あたし菜月ちゃんのお家分かんなかったし、スマホもサイフも家だから連絡取りようもなかったんだよね」

「え?」


 そしてだいが自分の家に来ればよかったのにと伝えるも、亜衣菜はそれに苦笑い。

 たしかに亜衣菜はだいの家知らないし、その所持品でよくぞ俺んちまでたどり着いたってレベルだからな。

 返ってきた亜衣菜の話に、だいの目が少し大きく見開いた。


「むしろよく俺んちは覚えてたなお前」

「ほんとだよねー、あたしすごい」


 そして驚くだいと亜衣菜の会話の間に俺も入ると、俺には何ともフランクなドヤ顔が送られる。


「……亜衣菜さん、家出?」

「あー、そだね。うん、それが適切かもっ」


 だが神妙な顔を浮かべて問うだいに亜衣菜は今度はカラッと笑ってみせた。

 まぁ、人を選んで対応できるくらいには、頭もちゃんと動いてる、そう思おう。


「アラサーが使う言葉じゃねぇけどな」

「あっ、ひどいっ」

「いや、亜衣菜さっき自分で言ってた——ってててっ!」

「酷いこと言うとつねるわよ」

「つねってから言うなよ!?」

「つねられること言う人が悪いのよ」

「やー……ほんと仲良しさんだねー」

「そうよ?」

「そのくだりさっきもやっただろっ」


 亜衣菜の様子がかなり復活したのを感じ、俺も軽口を言ってみたが、どうやらそれはダメらしい。

 つねってからつねられる可能性が示唆されるのは最早定番だろうが、まさか抱きついてる二の腕の内側をつねられるとは思わなかった。

 マジで割と痛かった……!


「っと、ごめんね。二人と話してると楽しくてすぐ脱線しちゃう」

「ううん、自分の話しやすいタイミングでいいのよ」

「あはは、ありがとね。でもちゃんと話すよ。こんな時間に来といて今更だけど、ほんと起こすにはひどい時間に起こさせちゃってるんだし」


 そして非常識な時間に現れた亜衣菜とて、これがなかなか優しくない状況だとはちゃんと理解してくれていたようで、久々に亜衣菜の表情に真剣味が戻った。

 その顔を、俺とだいが並んで見る。

 その表情は当たり前に可愛い顔立ち、なのだが、やはり少し緊張した様子がある。

 だが、まだ明るいわけではないが、カーテンの隙間から少しずつ日が差し込んできていて、何となく希望を感じさせるような雰囲気もある。

 さて、じゃあどんな話があるのだろう。

 俺と目を合わせ小さく頷いてから、亜衣菜の口が開いていく。


「あのね、二人ともこの前『月間MMO』の編集者で、お兄ちゃんの友達の上杉さんに会ったと思うけど、覚えてる?」

「ああ。覚えてるよ」

「うん。私も。対談企画やらないと、だものね」

「ああ、そういえばそういう話もあったっけ。ありがと菜月ちゃん、覚えててくれて」

「ううん、当然のことだけど……」

「あたしからその話題切り出すの、話しづらくてさ」

「話しづらい? 亜衣菜さんの担当編集者さんだったんじゃなかったっけ?」

「うん、そうなんだけど……個人的に色々気まずいんだ。向こうは分かんないけど、少なくともあたしは一方的に、気まずいの」


 この話題に至るまでの経緯を知る俺とだいでは、おそらく話の見え方が全然違っただろう。

 経緯を知る俺はここで男性の名前と「気まずい」という言葉が出てきたことで、それを察することは容易だった。

 俺が分かっただろうと感じたからか、また亜衣菜が一度、俺の目を見る。


「りんりんは分かったと思うけど、あたしが関係を持ちそうになったのは上杉さん」

「え……関係?」


 そんな案の定な発言の想像がついていた俺と違い、だいは亜衣菜の告白に驚くが、俺は「ふむ」と小さく頷いた。

 でもなんであの人と? だって、ルチアーノ亜衣菜のお兄さんの友達だよな? そんなことするだろうか、そう思った矢先だった。

 

「そして上杉さんはやまちゃんの……ううん、上杉さんは、やまちゃんと不倫してるんだ」

「……は?」


 脳裏に浮かぶ、ちょっと怖い思い出をくれた元教え子の眼鏡っ子。

 その名の急な登場に、結局俺も何が何やらと混乱する羽目になるのだった。

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