第499話 分からない女
「た、たしかにいつでもいいよって伝えてたけど、い、今はもうダメだよっ」
凍った時の中、顔を赤くした亜衣菜の口が動く。
その声に俺は助けられたと言えただろう。
もし沈黙が続いていたら、きっと俺は何も動くことが出来なかっただろうから。
それほどまでの気の動転に襲われて、最早硬直どころか、石化状態だったのだから。
そんなバステを回復させるアイテムが、まさに亜衣菜の声だったのだ。
「ち、ちがうっ! これは違うっ! 断じて違うっ!」
そして我ながらこれ以上ないほどダサいとは思ったが、俺はそのまま尻を後ろに滑らせながら、突き出した両手も首も全てを振って否定を強調しながら、亜衣菜の考えを誤解だと伝えようと全力を尽くした。
いや、たしかに亜衣菜に魅力を感じたのは否定できない。だがそれはあくまで本能的な部分で、俺の理性まで屈したわけではないのだから。
そんな俺に——
「……ほんとに?」
まだ顔を赤くしたまま、じとっとした視線が向けられる。
明らかに亜衣菜は訝しむような、そんな様子なのだがここで屈するわけにはいかない俺は——
「あ、当たり前だろっ! ほ、ほらあれだよ! 亜衣菜が風呂入ってる間寝ちゃってさ? 寝起きだったからってやつだよ!?」
なんて何ともすぐバレそうな、というかむしろそっちの方が恥ずかしいのではないかという嘘をついて——
「どう見てもLAやってたとしか思えないんだけど?」
案の定即バレた。
そりゃそうだよね! 亜衣菜が来た時にLAやってたならまだしも、風呂に行って帰っての間についてたらそう思うよね!
じゃ、じゃあどうやって誤魔化そう?
俺が脳を働かせようとしたら——
「あれ? この子〈Zero〉じゃないじゃん? N、k……ろぜ? りんりんのセカンド?」
さすがLA廃人、やはりゲームが気になるのだろう、ドアの前で俺を見下ろしていた亜衣菜がPCの前に移動して、モニターに映る〈Nkroze〉に目を移す。
その話題の変化に俺が安堵したのは言うまでもない。
でもたしかに初見じゃ読めない名前よな。俺だってロゼって呼ばせる気で名付けたんだし。
「あー……ロゼでもいいんだけど、一部のフレンドからはのばらちゃんって言われてるよ」
「のばら?」
「うん、nでので、ロゼでばらだって」
「え、バラってroseじゃなかったっけ……」
「うむ。まぁ一応フランス語だと間違ってはないっぽいけど」
「だとしても、nkのk無視してnだけでのって読ませる?」
「俺だってそいつの思考回路わかんねーよ……」
「ふぇー……ゆっきーの思考回路?」
「いや、ゆきむらっぽいけど、別な知り……フレンド」
「面白い発想する人もいるんだねー」
そしてそのまま〈Nkroze〉の読み方で盛り上がり、おかげで俺もだいぶ平常心を取り戻すことが出来た。
何というか、これもある意味市原のおかげ、か?
ナイスおバカだぞ
なんてことを考えつつ、ようやく俺も立ち上がり、流石にもうインしてる必要はないかなと亜衣菜の横に行ってログアウト手続きをしようと思った、のだが——
「りんりん」
「ん?」
俺がコントローラーを手に取るより早く、〈Nkroze〉を動かすコントローラーを手に取った亜衣菜がくるくるとカメラワークを動かして、全方位から〈Nkroze〉を観察し出す。
その目線は、本当に真っ直ぐ〈Nkroze〉に向けられていて——
「ど、どうかしたか?」
辿々しく尋ねる俺は、おそらくこいつが気づいたことを察してしまった。
いや、そりゃ気づくよな。
こいつの分身は〈Cecil〉なんだから。誰よりもそれを察しやすい存在なのだから。
「この子作ったの、りんりんでしょ?」
そんな俺の予想は、外れない。
ノールックで尋ねられた質問に俺は悟りの境地になった。
ならばもう、ここは開き直るしかあるまい……!
「そりゃ俺のセカンドだからな?」
「さすがの腕前ですにゃあ?」
「……否定はしない」
うん、やっぱり確実に〈Nkroze〉のモデルが誰なのか、バレている。
黒髪のクールビューティーだけど、どこか可愛らしさも感じるスタイル抜群の女ヒュームキャラ。それが〈Nkroze〉の見た目だからな、あいつのことを知ってて、俺のセカンドで、ってことを考えたら、気づかない方が不自然だろう。
むしろもうこれはあれだ、第三者のお墨付きってことなんだ。
誇るべきじゃないか?
なんて、開き直りからの軽い現実逃避方向に脳を動かしていると——
「……そう考えると、菜月ちゃんに見られてるみたいでなんかヤダ」
「え?」
しばらくずっと〈Nkroze〉の姿を眺めていた亜衣菜が、コントローラーを操作して……モニターの画面がゲームタイトルに変化する。
つまり〈Nkroze〉が、ログアウトさせられた。
そして——
「ごめんっ」
不意に感じた温もりと、幸せな柔らかさ。
いや、言ってることとやってること——そんな言葉を言うべきなのに、その言葉はすぐには出てこなくて——
「……ちょっとだけ、ちょっとだけでいいから、こうさせて」
その声は先ほどまでの明るさや楽しげな様子を失って、どこか寂しげに変わっていた。
その声に俺は何も言えず——
何がこいつをこうさせているのかは分からない。こいつの気持ちは分からなかったけれど、いや、分からないけど、何故か必要なことなのだと思ってしまったから——
俺はただただ亜衣菜から、ギュッと抱きしめられ続けるのだった。
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