第496話 誰かを助けるのに、理由がいるかい?

 真っ直ぐに見返してくる瞳は、綺麗だった。

 だがその瞳を宿した表情から、どう見ても俺の質問にどう答えるか考え、答えづらそうにしているのが伝わったので——


「いや、つーかまずお前、どうやって来たんだよ? こんな時間に」


 何となくすぐに答えが来なそうな気配を感じた俺は、まずは答えやすそうな問いに質問を変えた、のだが——


「え、どうやってって……歩いてだけど?」


 ぽかんとした表情でさらっと答えはやってきた。なんというか、「そんな当たり前なこと聞くの?」みたいな答え方だったんだけど、俺からすればそれは意味が分からない答えで——


「ほー、歩いて……歩いて……? はぁ!?」


 受け入れようと思っても受け入れられず、結局俺は大きな声で出してしまう。

 だが——


「え、だってりんりんのおうちは道路で繋がってたし——」

「日本全国徒歩圏内じゃねぇかそれ! っつーか時間も時間だろ!? ……そうじゃん! この時間にアキバの家から歩いたの!?」

「そうだけど?」

「さらっと言うな! え、何? 馬鹿なの?」

「あっ、馬鹿っていう人の方が馬鹿なんだよー」

「うるせえ非常識馬鹿! いや、マジで意味わからん。何? モデルみたいな仕事してるくせに、こんな夜更けに千代田区から杉並区まで一人で歩いたの? 馬鹿なの?」

「むぅ……そんな馬鹿馬鹿言わなくたっていいじゃんっ」

「それにお前方向感覚そんなに強くないじゃん!」

「あっ、それはほんとに大変だったんだよー。スマホも財布も置いてきちゃったからさー」

「はぁ!?」


 頭がクラクラしてきそうな問答の連発に、時折笑って答える亜衣菜に対して、俺は声を荒げ過ぎてマジで倒れそうだった。

 だが、俺は倒れない。俺は義によって立っているからな! ……じゃなくて!


「すまん、色々聞いたら余計分かんなくなった。マジで説明してくれ」


 こんな夜更けに女が一人、部屋着にすっぴんでスマホも財布も持たずに、何時間も歩いてきた?

 いや、常識的に考えていくらなんでも普通じゃない。

 そんな俺の心配というか、不安というか、怒りではないものの、負の感情が伝わったのか——


「……ごめんね、迷惑かけて」


 改まったトーンで、亜衣菜が俺にそう告げた。

 それは全くもって説明の言葉ではなかったのだが、おそらく俺の最初の質問「何しに来た?」に対する答えなのだろう、そんな気がした。

 でも、つまり……具体的なことは言いたくない、そういうことなのだろう。

 亜衣菜の立場で考えれば、髪をばっさり切った当日に、こんな格好で夜の街を何時間もスマホも財布も持たずに歩こうなんて、よっぽどのことがなければするはずがない。

 つまり、だから——


 俺は色々知りたい気持ちと、聞かないことが優しさだろうという感覚と、二つの考えに折り合いをつけようと試みた。

 知りたい気持ちはもちろんある。

 むしろ知らないと、亜衣菜に必要な対応も出来ないかもしれないから。


 でも、明らかに亜衣菜は話を逸らしている。

 ならば、ここはまだ無理に聞かないのが人道的か。


 まるで怒られている最中の小さな子どものような顔を見せる亜衣菜に対して、二項対立関係にある感情に折り合いをつけようとした俺は——


「とりあえず疲れてそうだし、普段歩かない奴が歩き続けて足も痛いだろ? 風呂わかしてくるからゆっくり入れよ」

「え?」


 亜衣菜を気遣って話を完全に逸らしたのだが、急に俺が風呂なんて言い出したからか、亜衣菜が驚いたように目を大きく見開き、頬を少しだけ赤く染めた。

 そんな、この状況で誰が変なこと考えるか! とツッコみたくなる反応に、俺は露骨なため息をついてから——


「着替えはとりあえず俺の部屋着は置いとくけど、貸せないのは自分でなんとかしてくれ」

「え、あ、うん」

「じゃあちょっとそこ座ってろ。変にうろちょろすんなよ?」

「……うん、ありがとね、りんりん」

「おう」


 座椅子に座る亜衣菜を一人置き去りにして、キッチン側と部屋との境の扉を閉めてから、俺は風呂場へ向かう。

 こんなわけのわからない状況になってることを考えれば、おそらく家には帰りたくない、って状況も付随しているだろう。

 でも、亜衣菜の家には山下さんがいるはずで、あの子は亜衣菜ラブって様子に見えてたのに……喧嘩でもしたのだろうか?

 そうだと仮定して、あの家の家主って亜衣菜だと思うけど、出て来たのが亜衣菜ってあたりがあいつらしいな。

 とはいえ、こいつ明日どうするんだ?

 ……うちに置いておく?

 いや、さすがにずっとは無理だ。

 ネカフェに行ってもらう……でも今のこいつは身分証明書もないだろうから、利用するための会員登録も出来ないだろう。

 どっかビジネスホテルにでもいてもらう?

 この辺が現実的だけど、今からは厳しいだろうし、チェックイン時間とか考えると行けても明日の夜、か?

 となると、やっぱりとりあえず明日朝イチで秋葉原に行ってもらって、何とか話をしてもらうしかないんだよな。

 うん、お金貸してそうしてもらって、もしこれも難しそうなら、明日だいにも相談しよう。

 もちろん何はなくとも報告はする、約束だからな。


 風呂を簡単に掃除しながらこんなことを考えつつ、掃除を終えて湯張りボタンを押す。

 ここまでやったら後は部屋に戻ればいいのだけど、俺の足はそのままキッチン側から動かなかった。

 いや、別に戻ることは出来た。

 だが、ふっと冷静になってみて、この状況の歪さに気が付いたのだ。


 夢の国で別れ、気まずい形で関わらなくなってから一ヶ月もあったのに、俺と亜衣菜は今さも普通にやりとりが出来ている。

 もちろんLA上で先に話をしたのもあったけど、こんなイレギュラーな状況なのに、思った以上に俺は普通にあいつを助けなきゃと思っている

ことに気がついたのだ。


 ……人を助けるのに、理由はいらないよな。

 いや、これは言い訳だ。

 亜衣菜の俺に対する甘えがあることも、俺が亜衣菜に対して甘いところがあることも、俺はどちらも分かっている。

 でも、分かっていてなお突き放せない。


 もしここにだいがいて、だいも俺に助けを求めたならば俺は躊躇わずに亜衣菜を諦めるだろう。

 だが、そうじゃない状況なら……。


 うん、とりあえずもう寝てるだろうけど、明日だいに相談あるから会いたいって伝えとこう。

 スキル上げの約束してたけど、それはちょっと来週まで持ち越ししてもらうしかないだろう。


 そんな考えごとをしている間に、誰もが落ち着くあのメロディーと共にお風呂が沸いたことが告げられて——


「タオルは置いてあるから、着替えは、とりあえずこの辺使ってくれ」

「う、うん、ありがと……」

「おう、それじゃごゆっくり」


 部屋に戻った俺はパパッと引き出しからTシャツと短パンを渡して、唖然としていた亜衣菜を送り出し、今度は自室で俺が一人になる。

 そしてだいにメッセージを送って……時計を確認して午前4時1分。

 寝た方がいい時間だけど、眠くないし、そもそも寝て待ってるわけにはいかない俺は、慣れた動作でPCを起動するのだった。

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