第494話 静かな夜

「じゃあ、バイバイ」

「ん。明日からまた頑張ろうな」

「うん。明日頑張れば水曜日までにスキルキャップなるだろうし、11月も頑張ろうね」

「いや、LAかよっ。まぁ、うん、そっちもだけど、まずは仕事の方もな?」

「お仕事頑張るのは当たり前だもの」

「ははっ、さすがだな」

「うん。でも、土曜日まで会えないのは寂しいけど」

「行けばすぐ終わっちゃうって。だからまたすぐ会えるさ」

「うん、頑張る」

「ん、えらい。だから俺も頑張るよ」

「帰ってきたらハロウィンしようね」

「おうよ。楽しみにしてる」.

「ん……大好きだよ」

「俺も、大好きだよ」


 10月25日、日曜日ももうすぐ終わる23時15分頃、俺はだいの家の玄関で、最愛の彼女を抱きしめた。

 腕の中のだいは俺の背中に腕を回し、俺に負けじとギュッと俺の体を抱きしめる。そんな力に、ああ愛だなぁと感じるのは、彼氏特権って奴だろう。

 そして数分間そうした後、ゆっくり身体を離してだいの頭をポンポンと撫でた後、バイバイのキスを交わしてだいの家を後にする。

 もう何度目か分からない、金土日を俺んちで過ごして、日曜日の夜にだいをだいの家まで送り届ける俺たちのルーティーンだった。


 明日に平日を控えた夜の街は既に静謐に包まれ、何かしらの生物たちの息遣いもほとんど聞こえない。

 空を見上げれば全体的にグレーがかった曇り空で、月明かりも望めない。

 もうすぐやってくる11月が夜の寒さを少しずつ召喚し出しているのははっきりしていて、時折吹く風が少し肌寒さを感じさせた。


 もうすぐ、11月。

 11月といえば、世の中は深まる秋と冬の訪れを感じるのが一般的だろうが、俺たちのLAプレイヤーにとっては、去年の8月以来の大型バージョンアップの11月で、新エリア実装やPvPの実装が待っている。

 それこそゲームバランスが変わるかもしれない、それほどの変化が、まもなく起きるのだ。

 11月ともなれば、仕事としてはもう今年度の行事はほぼ終わりだし、高2担任の俺にとっておっきい行事は2月上旬の修学旅行くらいなので、ホントに今は11月のLAのバージョンアップが楽しみって状況なわけである。


 ちなみに修学旅行といえば、さっきもちらっと話していたが、だいは今週の28日から31日まで修学旅行の引率で、3泊4日の旅に出る。

 行き先は広島・大阪で、宮島や厳島神社、原爆ドームといった定番を周り、2日目に大阪を観光し、3日目は終日西の大型テーマパークという遊び心あふれるプランらしい。

 俺はふざけて「あーすに会ってきたら?」なんて話もしたりしたんだけど、仕事中に会う相手でもないとバッサリ切り捨てていたっていうね。

 まぁつまり、そんな感じで今日バイバイしたら、俺との再会は31日の夜。ハロウィンナイトまでだいとはお別れってことなのだ。

 だからこそこの金土日は全力で甘えてくるだいの姿が目立ったから、俺としてはフルチャージ完了で、ハロウィンまで補給なしで頑張れそう、そんな気がする今ってわけである。


 でも、ハロウィン、か……。

 

「何着てもらおっかなー……」


 一人そんなことを呟きながら、俺はスマホであれこれだいの装備へのリクエストについて調べながら、薄暗い街灯のみが頼りとなる夜の道を歩くのだった。

 









 就寝したのは日が変わってからだったから、きっと今は10月26日の朝が来る前。

 それは、すっかり街全体が眠りについた夜のこと、だったと思う。


 ガッ、ガンッ

「……んあ?」


 どこからか響いた音に、俺の脳が少しだけ覚醒する。

 だが、体感的に全然寝足りない俺の脳はすぐにまた眠ろうとして、俺は目を閉じたのだが——


「ご……り……わ……て……ね……た……た……」

「……ぬ?」


 秋の夜は快適な気温を提供してくれるためクーラーを使わなくてもよかったから、いつもは閉めているキッチン側に繋がる扉を今日は開けて眠っていた。

 そのためだろう、俺の耳はおそらく外から聞こえてくる、何かボソボソ囁くような、人の声のようなものに気がついた。

 それは本当に小さくて、意識しなければ聞き逃しそうな、声だった。

 それこそ家電たちの待機電力消費音にすら負けそうな、小さな音だ。


 でも——


 普通なら気味が悪くて、気にしないで寝ようと思うところだろうが、なぜだろうか、その声からは一切の恐怖を感じない。

 だから俺はほぼほぼ何も考えず、電気もつけず、ほとんど視界の効かない暗い部屋の中、ベッドから降りて音のする方へと静かに向かった。

 そして、一枚扉を隔てた外の音へ、扉を開けないまま、もう一度意識を向ける。

 すると——


「えっ?」


 ここまで俺はほとんど音を立てていないはずなのに、扉の外にいる存在が、何かに気づいたような声がした。

 そして俺もまた、そのほんの少しの短い声、いや、一言にも満たない音に、一つの確信が浮かび上がり——


 その姿を一切見ていないのに、俺とそいつが声を上げたのは、時計合わせでもしたかのように、ほぼ同時。


 この時のことは、その後考えてみてもすごく不思議だったんだけど、そんなことあるわけがないときっとどこかで思いながら、だが確実に、俺たちはどうやっても説明のつかない確信を抱きながら、お互いそれぞれ呟いたのだ。




「亜衣菜?」「りんりん?」


 と。

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