第490話 変な意識

 たった5文字のアルファベットの並びが発した言葉に、俺の中で緊張が走る。

 それはその名前が有名だからでも、今まさに話題になっていたからでもない。

 当然、9月のあの日以来、ずっと関わりがなくなっていたからこその緊張だ。


 ……いや、別れてから何年も関わってこなかったのに、今更たかだか一ヶ月関わらなかったから何なんだよって話だよな。

 

 そう頭の中で冷静に自分に言い聞かせようと試みる。

 だが、ここ最近ずっと考えないようにしてきた、なるべく意識から追いやるようにしてきたその名前は、まだ自分が学生だった頃から、数ヶ月前に至る約6年間、心のどこかで忘れることが出来ず、片隅で燻り続けてきた名前だから——


 意識して考えないようにしていた時間が、かえって俺にその名前を意識させてしまうのを、もどかしいほどに自分では止められなかった。


〈Cecil〉『クリアタイムが早いのはゼロさんたちのパーティなのは事実。それは認めるよ☆』

〈Cecil〉『ゼロさん強いし上手いガンナーだからねー』

〈Cecil〉『でもお忘れかい?私だって、色々な最速クリアタイム保持者なんだぜー?☆』

〈Cecil〉『だからさ、私は私。ゼロさんはゼロさん。それでよくない?』


 だが、俺が何を考えてるかどうかなんて当然知る由もないこいつは、静まり返った洞穴の中を自身の白文字オープンチャットで埋めていく。

 その全LAプレイヤーの中でも最上位に有名であろう人物の登場に、間違いなくこの場にいるみんなが驚き、動揺し、さっきまで俺に話しかけていたロキロキも【Mocomococlub】の面々までも、みんなが押し黙るようだった。

 いや、もこさんだけは裏でチャットとかしてるかもしれないけど。


 と、そんな〈Cecil〉の発言の後、誰も何も発せられない間が7,8秒あった後——


〈Doravi〉『そうじゃん!キングサウルス攻略のベストタイムはセシルのいるパーティじゃん!』

〈Exelile〉『いや、でもそれは他のメンバーも多いし・・・』

〈Foxfox〉『いやいや、ベストタイム攻略の動画みてねーの!?セシルのDPS、ガンナーの枠組みで考えると理解の範疇を超えてんだぞ?』

〈Gaz〉『これが才色兼備w』

〈Hansam〉『つーかこんなオープンチャットで会話してくれる存在なのが衝撃w』

〈Integral〉『セシル様は女神だからな!!』


 一人目のチャットを皮切りに、堰を切ったようにさっきの連中やら何やらのチャットが怒涛のように現れる。

 それはまるで理性を無くした群衆のような、無秩序な様子だったのに——


〈Cecil〉『あれあれ?なんか私特別な存在だと思われてるー?』

〈Cecil〉『私だって、ほんとは人見知りで、普通のLAプレイヤーの一人だぞ?☆』

〈Cecil〉『ちょーっとだけ、みんなより有名かもしれないけどさw』


 その名前が言葉を発すると、再び静寂が訪れて——


〈Jeft〉『いや、ちょーっと、どころじゃないよ!w』

〈Doravi〉『人見知りでもないし!w』

〈Hansam〉『全くだ!w』

〈Cecil〉『違ったかーてへw』

〈Messiah〉『可愛い』

〈Integral〉『さすが我らが女神!』

〈Cecil〉『それは大袈裟!w』


 なんて、誰かのログに今完全にこの場を掌握しているあいつが返事をすればするほど、やたらめったら『w』だの『www』だの『セシル優しい』だの『セシル面白いw』だの『セシル可愛い』だの『セシル好きw』だの、たった一人を中心に世界が平和になっていくような、そんなログが増していった。


「すげぇな……」


 さっきまでのギスギスしたような雰囲気の悪さがどこへやら。

 もちろんこの場にいる5,60人全員がこの流れに乗ってるわけじゃないと思うけど、それでも大多数があいつの作り出した空気を受け入れている、そんな感じがひしひしと伝わってくる。

 だから俺は、思わず心の内が声に出た。


「どうしたの?」


 そんな俺の声は、広くない室内にいれば耳に入るのは当然で、俺が聞こえた声に振り返れば、そこにはあどけない表情で小さく首を傾げただいの姿があった。


「セシルがいる」

「亜衣菜さんが?」

「うん、ちょっと見て」

「ん、分かった」


 そんなだいの姿が目に入った俺は、自分の変な動揺を消してもらいたくて、妹と遊んでくれてるだいを呼んだ。そしてカタカタと少しタイピングをした後、俺の横に来ただいにモニターを見せる。

 すると。


「ゼロやんそんな有名なってるんだ」

「え、そこ?」

「うん、そこにびっくり。でも、やっぱりすごい人気だね、亜衣菜さん」

「だなー……」


 俺が話題に上げた〈Cecil〉より先に、俺のことを口にしたのは流石だいってとこだったが、やはりあいつに対して抱く感想は、だいも俺と同じようだった。

 ちなみにモニター上ではまるでファンサービスかのように〈Cecil〉と他のプレイヤーのオープンチャットが続いていて、画面にはどんどん〈Cecil〉と知らないやつのログが増えていく。

 だが、何か変に気遣っているのか、俺の知ってる奴からのメッセージやチャットは何もない。

 そんなログをしばらく見ていると——


〈Yume〉『ノードロップだった〜』

〈Jack〉『でも勝てたんだからそのうち出るよーーーーw』

〈Gen〉『うむw15分休憩してまたいくぞ!w』

〈Gen〉『って、なんだ?』

〈Loki〉『勝ててよかったっすね!おめでとうございますっ』

〈Hitotsu〉『おめでとうございますっ』

〈Yume〉『ありがと〜。でもこれ、何起きてるの〜?』

〈Hitotsu〉『どうかしたんですか?』

〈Jack〉『セシルのファンイベントーーーー?』


 無事に一戦を終えたと思われるリダパーティが帰還して戦勝報告をギルドチャットで行ってくれた。だがやはり戻ってきた洞穴内で行われているオープンチャットラッシュに、三人は不思議そうな様子を見せる。

 たしかにジャックの言う通り、敬意を知らなければまるで〈Cecil〉のファンイベントの様相だ。


〈Loki〉『さっきまでちょっと空気悪かったんすけど、セシルさんが現れてみんなに優しく注意したら今に至るって感じっす!』

〈Loki〉『これで説明大丈夫っすよね?ゼロさん』


 そんな三人に真面目なロキロキが律儀に説明し、正しさの証明を俺に求めてきたので。


〈Zero〉『うん、合ってる』


 端的に同意して、俺はまた流れ続けるオープンチャットの流れに目を見やる。

 そこでは冗談やボケを言ってくる相手には乗っかり、褒めてくる相手には素直に感謝し、皮肉だったり冷たいことを言う相手には頭ごなしの否定ではなく、相手の言い分も一度受け止めた上でやんわり注意する、見事な会話が繰り広げられていた。

 その会話の中に、当然俺は入らない。

 むしろみんな最初の頃の話題なんか、俺の話なんかもう覚えてないんじゃないか?

 そんな気配をひしひしと感じた。


 しかしこいつ、本当はこんなに社交的だったのか。俺の知ってるこいつは、明るく人懐っこいと見せかけて、甘えられるのは身内だけの人見知りだと思ってたのに。

 

 そんな風に驚きを抱きながら、流れ続けるログを見つめていると——


〈Yamuimo〉『そういやセシルはなんでゼロやんと知り合いなのー?』

「あ」


 流れ的に忘れ去られていたはずの俺の名を、いま一度呼び戻すログが現れて、俺の横からモニターを覗くだいの声が漏れる。

 って、〈Yamuimo〉て、【Bonjinkai】メンバーやないかい……!

 そんなまさかの顔見知りによる、話題を掘り返すような発言に、俺はあいつがどんな返答をするのか再び変なドキドキを覚えさせられるのだった。

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