第469話 深夜の来訪者〜板橋編〜

「大和……何か分かるのか?」


 不安になる俺たちと違って、一人真っ直ぐ、真剣な表情を見せていた大和に、俺は声を顰めて尋ねた。

 なぜ声を顰めたのかといえば、おそらく何か分からないものに気配を気取られないように、そんな潜在意識が働いていたのかもしれない。

 そんな俺の声に。


「え? あ、あー……うん。たぶん、分かる、と思う」

「ほんと〜?」

「おいおいなんだよ、屋根裏にリスでも飼ってんのかよ?」


 大和の答えは明らかに歯切れが悪かった。でも、大和が「分かる」と言ってくれたからこそ、少なくとも人智を超えた何かしら、という可能性が消えたと判断したのだろう、大和の答えに女性陣がホッとした顔を浮かべていた。

 そりゃまぁ時間が時間だったもんな。分からないことが起きるって、怖いよな。


 そんな安心感が広まる中で——


 コンコンッコン


 二度あることは三度ある、そんな言葉通りに、さらに先ほどより少し強めになった音が聞こえ少し後——


 ドンッ!


 と、明らかな打撃音が響き渡った。

 その音に、再びゆめが怖がってぴょんの腕にしがみつく。


「おいおいなんだってんだ!? いつの間にかボスエリアに転移させられたとか、そういうことか!?」


 そしてさしものぴょんも意味が分からないからだろう、発言こそいつも通りだったが、その表情には困惑と焦りが浮かんでいた。

 だが、そんな二人には目も向けず、大和は何か考え込んだ様子を見せて——


「わりぃ倫。ちょっと玄関見てきてくれないか?」

「えっ!? マジ!?」


 真剣な眼差しで突如告げられた突撃指令に、俺は思わず大きな声を出してしまう。

 いやでもほら、俺って盾役じゃないじゃん? ガンナーじゃん? 装甲とか紙だよ?

 なんてことを言い返そうと思っていると——


 ドンドンッドン


 と、再度響き渡る打撃音。

 しかも先ほどまでのリズムを奏でるおまけつき。

 いやいやいや、この正体に心当たりある大和が行ってくれよと、俺は大和に視線を向けるが——


「ほんと悪い。ただ、たぶん俺が行くとややこしくなりかねない可能性が高いから……もちろん嫌なら嫌でも大丈夫だからな? 通報して警察にしょっぴいてもらうことも出来るからさ」


 向けられた視線があまりにも真剣で、俺は何も言い返せなかった。

 大和がこんな風な顔で俺に何か頼んできたこと、今まであっただろうか?

 思い返してみるけれど、そんなことはたぶんない。

 もちろん軽い頼みとか、そういうのは何回もあるけど、なんだかんだ自分のケツは自分で拭く大和だからこそ、こんなにも真剣に頼まれるようなことが今までなかったのだ。

 そしてぴょんとゆめの視線も、俺を頼るように向けられる。

 その視線に、俺はすっと何かを受け入れる覚悟がついた。


「わかんねーけど分かったよ。こんなよく分からん状況にゆめやぴょんを行かせるわけにはいかねーし、ずっとドンドンされるのも近所迷惑だしな、俺が行ってくる」

「悪い、助かる。あと、もし俺のこと聞かれても「何も知らない。ここは自分ちだ」で押し切ってくれ」

「ん? 知り合いなのか?」

「たぶん、な。ひとまず俺はこっちでぴょんたちに説明してる。倫にも戻ってきたら話すから、頼んだ」

「知り合いなら尚更通報させんのも気が引けるじゃん。OK。とりあえず分かった。行ってくる」


 何が起こるか、誰がいるのかなんて全く分からない。分かっていることなんて何にもない。普通に考えたらもっと話を聞いてから動くべきなのかもしれないが、大和が俺に行ってくれと頼むのだ。

 それに応えない道理はない。

 そう心に決めて、俺は立ち上がって数メートル先の玄関に向かい足を踏み出す。


「ゼロやん気をつけてねっ」


 そんな俺にかけられたゆめの声へ、背中を向けたままひらひらと手を振り応えてから、玄関のあるキッチン側とみんながいる部屋の間の扉をピシャッと閉める。

 その音が外まで聞こえたのか、また、ドンドンッドン、と一定のリズムが響いた。

 その音は当然さっきよりも玄関に近づいた分大きくなり、こう何度も何度もドアを叩く奴とは何者なのかという疑問と緊張から、自分の心臓の音も大きくなる。

 いや、ほんと改めて考えてみればさ、こんな夜中に人んちのドアどんどん叩くとか、正気の沙汰じゃないよな。

 そんなことする人と大和が知り合いってのも、正直意外。

 しかも大和のことを知らないで通してくれって、つまりこれは隣人とかじゃない、ってことだろ。

 ……ううむ。全くもって理解出来ん。

 ストーカー? いや、でもだとしたら即通報で構わないはずだよな? となると……?


 そんな緊張感の中、あれこれと考えを巡らすうちに、一つの考えが頭をよぎる。

 

 ……あれ? 隣人で思い出したけど、いつぞや風見さんがうちに侵入してきたのも、非常識な時間じゃなかったか?

 あ……なんか、似たような経験したことあんのかって思うと、ちょっと怖くなくなってきたな。

 あの時の反省を活かすなら、毅然とした態度でノーならしっかりノーと言う。

 うむ。そうだよ。あの茶髪八重歯の非常識女子と比べたら、きっとこのドアの先にいる奴なんか恐れるに足らずなのだよ!


 そう自分を奮い立たせ、俺は慎重に、それでいて確実に玄関ドアの鍵に手を向かわせ、その状態を閉から開へと変えてやった。

 その刹那——


「遅いっ! って、誰ですか!?」


 玄関ドアの鍵に触れていた指から強引にその感触を奪われて、やや高めの声での「それはこっちのセリフだよ」と言い返したくなる発言と共に俺の視界に現れたのは、一言で言えばこんなことしそうにもない、清楚系の綺麗と可愛い、どちらの要素も備えた感じの女性だった。

 土曜深夜にも関わらず仕事帰りなのか割りかしフォーマルな格好をした、身長はだいと同じくらいで、真っ直ぐに下ろした黒髪をセミロングに伸ばし、眉くらいの高さで揃えた前髪パッツンの、頬を軽く赤く染めた、一見幼そうな雰囲気を顔つきから感じる女性。もちろん俺はその顔に心当たりはない。

 だがそのやや童顔な顔に備わった比較的大きめの瞳に驚きと困惑の色が浮かんでいるせいで、何だか俺が悪いことをしてしまったような、そんな錯覚まで覚えてきた。

 しかしほんと、姿を見るまではあんなに恐れていたというのに、その姿を知ってしまえば怖さもない。まして相手が困惑しているのなら、むしろかえってこちらは冷静になれるというものよ。


「失礼ですが、どなたですか?」


 ということで、本来質問に質問で返すのは失礼と分かっているが、満を辞して「誰ですかはこっちのセリフだぞ」を丁寧な姿に変身させ、俺はこの見知らぬ深夜の来訪者に問いかけた。

 相手を怒らせないように丁寧に、だがつけ込まれないようにまだ決して笑みは見せず、粛々と、真剣に。

 そんな俺の言葉に、目の前の清楚系パッツンさんの勢いが、露骨に落ちていく。

 あ、あれか。この頬の赤さはあれか、アルコールか。

 となると、酔った勢い系?


 とか、そんなことを思っていると——


「……ここは田村大和さんのお家じゃないんですか?」


 パッツンさんが「申し訳ない」とこの場への不信感を合わせたような顔つきで、質問に対する質問への質問を告げてきた。

 だがこの会話が成立するということはつまり、彼女はアルコールが入っているかもしれないが、質問の言葉の意味を理解することが出来ている、理性的な会話が出来ることに他ならない。

 この段階で、俺はいつぞやの茶髪八重歯よりもチョロい相手だなと安心し、少しだけ気を抜いた。


「いいえ、ここは俺の家です」

「え……」


 とはいえ大和からの頼みもあるのだし、ここはビシッと毅然とした態度で彼女にノーを突き付ける。

 まぁ、思いっきり嘘なんだけど。

 そんな俺の返事に、彼女はショックを受けたように目線を落とした。


「すみませんが家をお間違えだと思いますので、こんな時間ですし、お引き取り——」


 彼女が落胆したからこそ、これはチャンスと俺は畳み掛けるように彼女が開いたままの扉を取り返し、彼女を帰そうと思った、矢先——


「え?」


 閉めようとドアノブを掴んだ手に感じた、反対に引き込もうとする、強い力。

 その力に俺が軽く驚くと——


「私が田村大和の名前を出した時少しも不思議そうな顔していませんでしたけどその反応は大和のこと知っているからこその反応ですよね。それにここに靴が4足ありますけど男物の靴が2足に女物の靴が2足ありますしそれぞれサイズが違うということは片方はあなたの靴でもう片方は奥にいるであろう別な男性の靴ということですよね。見たところあなたの足のサイズは27センチくらいだと思いますけど大和の足はもっと大きいんですよ。そしてここにはその大きいサイズの靴もある。つまり奥の部屋に大和がいるんじゃないですか? いますよね? 分かるんですよ?」


 バッと顔を上げ、俺の目を真っ直ぐに捉えてきた眼差しからは先ほどまでの申し訳なさそうな色が姿を消し、その瞳はまるで感情の読めない黒色に染まっていた。

 そんな表情で捲し立てるように告げられた言葉に、俺は物理的には何もされていないのに、無意識にドアノブを手放し、半歩後退を余儀なくされる。


 そして、理解した。


 ごめんね風見さん。君のことの方が大変みたいに思ったけど、それは俺の勘違いだったみたいだよ。

 うん、前言撤回。

 この人チョロくない。

 ヤバい人だった……!!!!!

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