第464話 年の功には敵わない

「ん……」


 ゆっくりと、パラっと落ちた俺の服。

 落ちた理由を考えれば、置いてあった状態に変化が起きたからと言えるだろう。

 それはつまりどういうことか。

 服が置いてあったところが、というか、服をかけていた人物が動いたから。

 そう考えるのが適切だろう。

 そしてその変化と共に僅かに聞こえた声が、俺は天から垂らされた蜘蛛の糸に見えた。

 俺の真横でヒートアップしている二人もその声に気付き、一瞬意識が声の方に向く。

 だが、顔を向けたかと思えば、またすぐに二人は言い合いに戻ってしまう。

 その状況に対して俺は救いを求めるように——


「ゆめっ!」


 と、再度小さな声の主の名を呼んだ。

 彼女の目覚めを、心から願って。


 しかしまぁ、はたから見たらひどい絵だろう。

 言い争う囚人とメイドに、眠るチアガールに助けを乞うタキシード。

 チアガールがスーパーマンとかだったらなんかまだ物語作れそうだけど、なんで助けを乞う相手がチアガールなのか。

 まぁそんなこと考えたってしょうがないんだけど。

 

 どこか俯瞰的にそんなことを思いつつ、俺は視線の先の眠り姫に、起きろ起きろ起きろと念を送る。


「ん、ん〜……」


 そしてそんな俺の想いと念が届いたのか、先ほどよりも聞こえる声が大きくなり——


「んにゃ〜……寝ちゃった〜……って……ほへ?」


 目を覚ました眠り姫は一度大きく伸びをしてから、まだ眠そうに少しだけ目を開いた。そしてその目で眼前の光景を目にして、一気にその目を大きく開く。

 

「え? あれ? みんなその格好何……え、てかなんでぴょんとせんかん喧嘩して……え? どゆこと?」


 そして寝起きまもない脳を働かせ、目の前にある光景を懸命に理解しようとする様子が見受けられたのだが——


「おいゆめゼロやんにキスしたってほんとかお前!?」


 状況を理解し終える前に、大和と言い合いをしていたはずのぴょんがいきなりターゲットをゆめに切り替えた。

 その言葉に。


「え、え、えっ? えっ?」


 珍しく、ゆめにしてはものすごく珍しく、困惑の様子を見せた。

 だが、じっと睨むように視線を送るぴょんを前に、蛇に睨まれた蛙が如く段々とゆめは肩を丸めていき、小さく萎縮した様子へと変化していく。

 

「で、どうなんだ?」


 だがぴょんの視線はゆめを逃さない。

 真っ直ぐに、いつものおふさげもなく、先ほど大和と言い合っていたテンションのまま、ゆめを捉えて逃さない。

 俺の位置からはゆめの方に向き直ったぴょんの横顔しか見えなかったが、その横顔には強い意思が感じられた。


「え、えと……な、なんのこと、かな〜……?」


 そんなぴょんに気圧されてか、ゆめがぎこちなく笑いながらとぼけてきたのだが、さすがにそれが嘘であるということは、俺にでも理解出来た。

 いつものゆめの嘘を見抜けないとしても、今のゆめならば容易い。

 そしてそれは同時にゆめの理性がだいぶ戻っていることも教えてくれた。

 困惑からの沈黙、そして誤魔化しのコンビネーションは、理性の下でなければ実行できるはずがない対応だ。

 つまり今、ゆめは先ほどまでの酔って記憶を飛ばすほどの状態ではないだろう。

 期せずして今俺たちは、理想的な状況を手に入れたようである。


「ゆめ」


 そんな話題からの逃亡をはかるゆめに対して、ぴょんの圧は離れない。

 「ゆめ」というたった2文字に込められた彼女の意思は、俺ですらピリピリとしたプレッシャーを感じるものだった。


 この圧から逃れられる者など、誰もいないだろう。

 たぶん生徒指導の時とかも、こんな雰囲気でやってるんだろうな。

 先程まで言い合っていた大和もこの真剣なぴょんを前に目を閉じ、沈黙を貫いていた。


「え、あ、う〜……ふ、深い意味なんてない、よ?」


 そして、ついに観念したゆめが、酔いとは違いそうな理由で顔を赤くしながら、ぽつりぽつりと声を出す。

 そんな顔されると、なんかこっちも恥ずかしくなるんだけど……でも深い意味がないって、じゃあどんな——


「じゃあどんな浅い意味があんだ?」


 どんな意味があるのだろうと疑問に思った俺の気持ちを読んだかのように、鋭くぴょんの指摘が入る。

 その格好と似合わない鋭さが、かえってこの場の空気を研ぎ澄ましていた。


「う〜……」

「で?」


 そしてこの場の空気を支配するぴょんの前に、あのゆめが目尻にうっすら涙を浮かべ出すが、それで許すようなぴょんではなし。

 こういう時やっぱ、だい・ぴょん・ゆめの3人娘の長女なんだなって、実感するなー。


「深い意味じゃなく、ほんと、そういう意味はないんだけど、……んのことちょっとだけ、ちょっとだけ……だから……です……」


 そんなお姉ちゃんたるぴょんの前にゆめは俯きながら、消えそうなか細い声で答える。

 でも俺にはその答えの大事なところが聞こえなかったのだが——


「ったくよー。泣くようなことすんなら、最初っからすんじゃねーよ」


 さっきまで地獄の鬼すら笑顔全開裸足で裸踊りしそうな圧を放っていたぴょんが移動し、やれやれと手のかかる妹を慰めるかのように慈愛に満ちた表情で、ソファーに座るゆめを抱きしめた。

 そしてぽんぽんと頭を撫でながら——


「あたしはゆめも大事だし、だいも大事。それは分かるなー?」

「……うん」

「ゆめはどうだー?」

「ぴょんと、おんなじ、だよ」

「そかそか。おなじか」

「うん」


 まるで小さい子に話しかけるようなぴょんの言葉。その言葉にゆめが何度も頷きながら答える。

 その様子を見守る俺も大和も、自然と穏やかな表情を浮かべていた。

  

 ……あれ?


 さらにぴょんがゆめに何か話しかけているのは分かったが、俺は大和の表情が気になって二人の続きの会話が入ってこなかった。

 だってこいつ、さっきまでぴょんと喧嘩してたんじゃ……え?


「とりあえずこれで一件落着、かね」

「え? あ、そう、か?」

「いや、そんな疑問系で言われてもわかんねーけどさ、ゆめがだいのことも大事って思ってんなら、倫とどうこうしようってこたねーだろ」

「え、あ、それは、そうか」


 困惑する中さも普通に話しかけられて、俺は返事がしどろもどろ。

 いや、でもこいつ、あまりにも普通過ぎないか……!?


「ん? あ、もしや倫、俺とぴょんがガチ喧嘩してると思ったのか?」

「え、そ、そうだよっ」

「はっはっは! 優しいなー倫は。でもあんな中身のない喧嘩、ねーだろ」

「え。でもお前ら、予定あるんじゃ……」

「いやいやあるわけって。……いや、一応あれか? オフ会翌日だから何も予定いれんなよって予定は言われてたか」

「はぁ!?」

「遊び倒してもいいように、なんだろよ」

「なんだそれ……」


 しかしまぁ、そういうことらしい。

 そしてそれに、結果的に救われた、ということか。

 いや、俺としてはゆめからちゃんとした説明もらえた気はしないんだけど、目の前でゆめのことをギュッと抱きしめるぴょんがいることで、おそらくややこしくなることはないだろう、そんな感じが伝わった。


 つまりこの件は、ここまでということでいいのだろう。

 だいに報告するかは、ぴょんの判断に従おう。


 あー……疲れた。


 何だかどっと疲れた俺は、手近なソファーに腰を下ろし、天井を仰ぐのだった。

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