第459話 ぼクのとなリ

 ぐいっと俺を引き寄せたのは、ゆめの華奢な腕だったのだろうか?

 力なんか全然なさそうなのに、思いの外力が強いんだなぁ。

 いや、もちろん不意をつかれたのとか、重力の力とか、いろんな理由はあるのだが……。


 じゃねぇぇぇぇえええぇぇぇ!!!


「おおおおおいっ!?!?!?」


 自分の顔の熱さを感じながら、背中に回された腕と近すぎる顔から逃れるべく、俺はエビの如く背中側に跳躍し——


「っだっ!?!?」

 

 すぐ近くにあったテーブルに背中をぶつけてバランスを崩し、その場に尻餅をつく形で転倒した。

 痛い、痛いんだけど、今はもうそれどころじゃない。

 今俺は、何された?

 え、ゆめが、俺に?


 いやいやいや、何かの夢かこれは?

 いや、寝てたのはゆめであって、俺じゃない。

 いやもうゆめと夢とかややこしいな!

 じゃなくて!?


 と、全くもって頭が追いつかず、俺は尻餅をついたまま、今し方俺とゼロ距離の接触を行ってきたゆめの方に恐る恐る視線を送ると——


「あははっ、派手に転んでる〜」


 いつの間に身体を起こしたのか分からないが、ソファーの上にぺたんと女の子座りをしたゆめが、俺の方に向けて目を細くして、思いっきり破顔していた。

 その笑顔はいつもの隙のない可愛さを追求したようなものじゃなくて、ものすごく自然体のような、そんな笑顔だった。

 って、え!?

 さっきのアレをかましといて、そんな普通に笑ってんの!?


「ってかさ〜、みんなどこ〜?」

「……え?」

「それにわたしこんな服着てたっけ〜?」

「えっ!?」


 だが、何を言ってるんだと言い返したくなる俺をよそに、ゆめは楽しそうに笑いながら、首を傾げて俺に問う。

 その言動から察せられることは、一つだろう。


 ……記憶飛んでる……!?

 いやでも酔い過ぎたから寝たんだろ?

 え、起きたタイミングであれこれ忘れてることとかあんの!?


「えっと、どの辺まで覚えてるの……?」

「ん〜? どゆこと〜?」


 あ、これダメだ。

 会話がままならんやつだ。


 ずっとニコニコはしているのだが、甘ったるい口調が直らないゆめに、俺は色々諦める。

 そして俺が黙り、淡々とカラオケ機器から流れてくる音だけが室内に響く時間がしばし流れる。

 

 とりあえずまずは水もらってくるか?

 今のゆめと居るのはリスキーだよな……。


 その沈黙の間、俺がそんなことを考えていると——


「とりあえずずっとそこいないで、こっちおいでよ〜」


 何も言わない俺に疑問を持ったのか、こちらに身を乗り出すようにゆめが俺に手を差し伸べてきて——


「なっ!?」


 その手を差し伸べる前屈みの姿勢になったが故に、ペラッペラのトップスがふわっとゆめの身体から離れ、トップスに隠されていたゆめの二山を守る可愛いらしい水色の生地が、俺の視界に現れる。

 その見てはいけないものの出現に、俺は慌てて頭を横に逸らそうとしたのだが——


「っだっ!!!」


 床に座り込んでいた俺の頭の高さとテーブルの高さがほぼ同じだったため、俺はガツンとまともに額をテーブルにぶつけ、その痛みに耐えきれず床に転がる羽目になる。


「うわ、いたそ〜。大丈夫〜?」

 

 仰向けに床に倒れながら、俺は両手でぶつけた額に手を当てたため、ゆめの顔を見ることは出来なかったが、少なくとも痛がる俺の様子にゆめも笑うのをやめて、心配するような声が聞こえた、のだが——


「はわっ!?」


 その直後ずんっと身体に重い衝撃が走り、俺は額を抑えていた手を離してしまった、その刹那——


 視界が捉えたのは、俺の顔面に向かってくる何かだったのだが、その速さに俺は避けるも何もなく——


 ああそういえば、一発目の衝撃を与えた刹那に、二発目の衝撃を与えるとあらゆるものを砕けるとか、そんな技があったよな。


 と、全ての動きがまるでスローモーションに見え、走馬灯のようにどうでもいい記憶が脳裏を過ぎったが——


「ったぁ!」

 

 俺の走馬灯をよそに、甲高い声が響き渡るのと先程ダメージを負った俺の額にさらなる衝撃が来たのは、同時だったと、たぶん思う。









『ねぇ、今度のおやすみどこか行かない?』

『ん? 珍しいな、出かけたいなんて』

『うん。たまにはお外で一緒にいたいなって思って』

『ん、それもいいな。どこか行きたいとこあるのか?』

『んー、どこか自然豊かなとこにいって、一緒にお弁当食べたりしたい』

『ピクニックか、いいね。お弁当楽しみだなぁ』

『好きなもの、いっぱい作ってあげるね』

『やったぜ。ありがとなっ』


 好きな人との笑顔の会話があった。

 その会話に、俺は嬉しい気持ちに包まれる。

 でも、好きな人のはずなのに、顔の部分だけまるで壊れかけのテレビのように青やら黒やらの線が断続的にかかってしまって、ハッキリと目に出来ない。

 慣れ親しんだ自分の家の中はしっかり分かるのに。

 俺自身ははっきりと喜んでる顔をしているのに。

 ……あれ? どうして俺は見ているんだ……?


『んだよー。週末は雨だってよー』

『天気はしょうがないだろ。お天道様の気分次第なんだから』

『生意気だな……絞めるか?』

『それが出来たら人間じゃねーよ……』


 俺の脳に入ってくる光景に疑問を抱いた直後、見えるものが変わった気がした。

 話をしているのは変わらず俺の部屋、なんだけど、話し相手の女性には変わらず線というかノイズが走っていて、よく見えない。

 でも、この人がいる場所は、ここじゃない気がする。


『集合は朝6時でよろしいでしょうか?』

『早過ぎだろっ』

『むむ……では前泊しますか? ……たしかにその方が一緒にいられる時間増えますね』

『それもうおでかけじゃなくて旅行じゃねーかっ。ピクニックの前泊とか聞いたことねーよっ!?』

『では前々泊は?』

『……それ、無限にいく気だろ……』


 そしてまた部屋で一緒にいる人が、変わった気がした。

 淡々とした口調と、全てが本気の言葉のような天然感に、俺はやれやれという気持ちが強くなる。

 でも誰というのがはっきりしなくても、俺の隣にいるのは、この子じゃない。

 そう感じた。


『もー、せっかくのお出かけなんだがらちゃんとせってー』

『別にいいべって』

『私は楽しみにしてたんだけどなー?』

『はいはいわがったって』


 次に出てきたのも、俺の隣にいる子じゃない。

 というかこいつはあれだろ、そういう相手になり得るやつじゃないだろう。

 顔ははっきり認識できなかったけど、それは分かった。

 幼い頃から一緒にいた大切な存在には違いないけど、ベクトルが違う。そんな子の、はずだ。


『おにぎりいっぱい握ってきたっスよっ』

『おー、どんくらい?』

『一人10個はいけるっス!』

『いや作り過ぎだろっ』

『あれ? このくらいいけないんスか?』

『いくら男だって限界ってもんがあるわっ』

『えー、そこは頑張りましょうよー?』


 そしてまたしても、気付けば室内にいる相手が変わる。

 楽しそうに無茶なことを言ってくる笑顔は、すごく可愛く見えた、気がした。

 でもこの子も、違う。

 そもそもこんな光景になり得るはずがない。だって俺たちは、同じ……はずなのだから。


『ピクニックなら、あーんってしてあげるっすね!』

『いやいや、一人で食べれるって』

『そんなこと言わず、遠慮しなくていいっすから!』

『いや遠慮してるわけじゃ——』

『あれ? まさか口移し希望っすか?』

『どんな思考回路してるんだお前っ』


 次なる相手は無邪気な笑顔が印象的、そんな気がした。

 そして遠慮ない絡み方が、ちょっと楽しく、かなりうざい。

 嫌いになりきれないというか、最近はちょっと印象変わってきた気もする、そんな子だと思う。

 でも、それでも俺の隣にいるはずなのはこの子じゃない。


『おやおや? そんなに私と出かけたいんですかー?』

『いや、あなたが行こうって言ったんでしょ……』

『あれ? そんなこと言いましたっけ? 気のせいでは?』

『いやいや! だったらわざわざピクニックの準備なんてしないでしょっ』

『あははー。冗談でしたー。てへっ』


 ああもう、笑った顔は可愛いな! そんなことを思った気がしたけど、はっきりとは思い出せない。

 でもこの人も俺の隣にいるはずの人、ではない。

 むしろそんなことしようものなら、誰かに殺される気がする。


 だから、つまり。


 俺の隣にいるのはさ——

 

『いい天気でよかったね〜』

『だなぁ』

『ポカポカ気持ちよかった〜』

『だなぁ』

『なんかおじいちゃんみたいなってるよ〜?』

『おいおい失礼だろ』

『え〜、でもそんなところが〜?』

『可愛い、けど』

『えへへ〜、知ってる〜。じゃあ、ぎゅーして〜』


 何かを思いかけた直後、自分の家にいたはずの自分が、緑生える草原に座っていた。

 そしてその俺の隣に、ニコニコ笑顔の可愛い女の子がいて、ぎゅーしてとか言いながら、自分から抱きついてきて、俺はその子の頭を優しく撫でていた。

 その笑顔は、今までの子と違ってちゃんと見えた。

 垂れ目がちな大きな目を、線のように細くして笑う顔は、本当に可愛い。

 本当に可愛い子、だと思うのだけれど……。


 ……あれ?

 なんか……違くない?


『とりゃ〜』

『おいおい重いって』

『女の子に重いとか言うな〜』


 何か覚えた違和感があるけれど、俺の視界の中の二人は、こんなやりとりをして、二人で笑っている。

 それは何だかとても幸せそうな、そんな光景だった。


 でも、いや、違う。

 なんだこれ?

 あれ? 

 

 ふわふわ、ふわふわ、ふわふわ。


 さっきからずっと聞こえる声も、話す声も、感じるものも、全部がなんか、そんな感じ。

 

 ああそうか、これ夢か。

 ん……夢?


 なんで俺は、夢を見ているんだ?

 そう思考するため脳を動かしだすと、ふわふわした世界にいるのに、急に物理的な重みが生じてきたような、そんな感覚が表れだした。

 

 分離していた意識の世界が、現実と混濁し出す。

 たぶん、そんな感じ。


 そして段々、世界に冷たさが戻っていくような、そんな気がして……。


「……ん! ……め! お……い……がどう……だ!?」


 誰かの焦るような声に、俺の意識が起こされるのだった。

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