第441話 その音色に魅せられる

「いかがでしたかな〜?」


 美しく、凛々しく、カッコいい。

 演奏中のゆめの姿はまさにそう称するのが適切だったのに、弾き終わってこちらに向けるふわっとした笑顔は、いつもの可愛いゆめだった。

 そんな彼女に俺は、何も言わずに拍手を送る。

 それと同時に、いつの間にか聴き入っていた見知らぬ聴衆たちも演奏を終えたピアニストへ称賛を送り出し、ビルのロビーフロアに、そこそこな大きさの拍手が広がった。それに気付いたゆめが少し驚いたように、照れ笑いを浮かべた。

 いや、でもそれだけの称賛に値する演奏だったと、そう思う。

 少なくとも夏に聴いた時よりも、より一層その音は心に響くような、そんな音だったのだ。


「あはは〜、ありがとうございま〜す」


 照れ笑いをするゆめが、椅子から立って周りの人々に会釈をしながらお礼を言う。

 その姿は、俺すらも何だか誇らしい気持ちにさせてくれるようだった。


「お見事でしたお嬢様」

「ん〜? まぁね〜」


 そして俺の近くにゆめが戻ってきて、俺はここでようやくゆめを言葉で賞賛した。

 そんな俺の言葉に、ゆめは照れることなく笑顔を見せるが、明らかに前より上手くなった自覚があるような、そんな笑顔にも見えた。


「私は私のためにピアノを弾くんだって思えたら、だいぶ楽になったんだ〜」

「ほうほう」

「そこからは、また弾くの楽しくなってね〜。誰かさんのおかげだよ〜?」

「え?」


 そして笑顔のまま、前回から今回までの変わり様の理由をゆめが教えてくれた。

 なるほどやっぱりメンタルって大事なんだなと思った矢先、「誰かさんのおかげ」、そう彼女が言いながら、ニッと白い歯を見せて俺の顔を覗き込んできて——

 そのいつものゆめらしくない、だが、これこそがゆめなんだろうなと思えた楽しそうな表情に、俺は思わずドキッとした。

 いつもニコニコふわふわ、どこか意図してそういうキャラを演じているゆめの、素の笑顔。そんな感じが、伝わった。


「冬もちゃんと聴きに来てね?」

「ん、絶対行く」

「約束だぞ〜?」

「おうよ」


 だが、さっきのドキッとさせられた笑顔の時間は、本当に一瞬で、気付けばまたいつものゆめの笑顔に戻っている。

 それでも、俺の心にはさっきのゆめの笑顔の印象が、強く残っていた。


「さてさて、これで少しはいい時間なったかな〜?」


 そんな俺の心の中だとおかまいなしに、横に立つゆめと時間を確認すれば、現在12時34分。

 今からゆっくり戻っても、多少待つだろうが、まぁちょうどいい頃合いかな?


「まだもうちょい時間あるか〜」

「1時間って、割に長いもんな」


 そんなことを話しながらゆめとビルを出たわけだが。


「もうすぐハロウィンだよね〜。街中ハロウィンアピールだらけだな〜」

「今や秋の一大イベントだもんな」

「ゼロやんは、だいとハロパするの〜?」

「うん、その予定」

「ほ〜ほ〜。何コスするの〜?」

「え、あー。それはまだ、考え中」

「あは、悩んでそうだな〜。だいってば何着ても似合っちゃいそうだし」

「んー、うん。何着ても可愛いとは、思う」

「おお、言うようになりましたな〜」

「やかまし」

「あはは〜。じゃあ、みんなでのハロウィンオフはなさそうだし、今日はわたしらで先取りハロウィンやろうよ〜」

「え?」

「飲みのあとカラオケだし、そこでコスプレ大会やろうよ〜」

「いや、でもぴょんたちの意見聞いてないけど……」

「ゆめちゃんの提案だよ〜? ぴょんがダメっていうわけないじゃん?」

「あー、それは、まぁ、うん。そうだろうな」

「それにさ〜、だいはゼロやんと、ぴょんはせんかんとハロパ出来るのに、わたしだけ出来ないのは可哀想じゃん?」

「いや、なんと言えばいいやら……」

「ってことで、今日はピクニックのあとは、ゆめちゃんのためのプチハロパオフに移行するでありま〜す」

「強引だなー。……でもま、了解。遊ぶならとことんだもんな。後で写真撮ってだいに送ってやろうぜ」

「おうよ〜」


 と、いうことで新南口まで戻り始めていた俺たちは、急遽進路を変更して、ゆめの要望に応えるため、歌舞伎町の驚安のディスカウントストアへ行き先を変えた。

 これだけどのお店も内装にハロウィンを取り入れてる時期だし、色々商品は充実しているだろう。

 でもこういう提案がさっと出てくるあたり、さすがだなー。


「二人にも連絡しておくか?」

「ううん〜。伝えるのは飲み会の時でいいよ〜。その時に二人で買いに行ってもらお〜」

「でも、俺らで先に買っといてあげたら楽じゃね?」

「ちっちっちっ。分かってないな〜ワトソンくん」

「いや、誰がホームズなんだよ……」

「でもさ〜、彼女に何コスさせたいかで、盛り上がらないカップルがいるわけないじゃん? そこは二人のお楽しみ時間にしてあげなきゃ〜」

「あー……」

「でも今のぴょんはたぶん遅刻の原因になったことでプチ落ち込みモードだから、それを心から楽しめるか分かんないからね〜。回復させてあげてから、買い物行かせた方がいいんだよ〜」

「なるほど、すごいなさすがホームズ」

「まぁね〜」


 そう言って、謙遜することなくVサインをしながら笑いかけてくるゆめに、俺は思わず笑ってしまう。

 でも今のぴょんのメンタルしかり、コスプレ衣装を選ぶ時に盛り上がるであろうということしかり、色々考えてて本当にすごいと思う。

 それを謙遜しないのに、偉そうに見せないというか、自然体に見せるとこもゆめのすごいところだろう。

 なんていうか、一緒にいて楽って思わせるとこあるよな、ゆめは。


「じゃ、ゼロやんわたしに着せたい衣装選んでね〜?」

「……え?」


 一緒にいて楽、そう思った矢先に放たれた言葉に、俺は思わず聞き返す。

 だが、ニコニコしたゆめが、楽しそうに俺を見つめている。

 そんなまさかのタイミングで現れた急な難問に、俺の思考は一旦完全にフリーズするのだった。

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