第436話 職場環境は良好です

 10月14日、水曜日。

 大会のあった土日を越え、日曜日はだいとのんびり過ごし迎えた週の真ん中。

 定例の職員会議を終え多くの先生たちが足早に会議室を出ていく中、今日は帰ってだいと一緒にご飯だぜ、と思いながら会議で配布された書類を整理していると。


「しっかしほんと2学期は文化祭終わったら行事もなくて、つまんねーよなー」


 先に会議室から退室しようとしたであろう大和が、会議資料の入ったファイルを手に持ち、まだ座ったままの俺に話しかけてきた。

 手を止めて顔を上げ、大和の表情を見るに……あ、おそらくこれはダル絡みだ。間違いない。

 ってことで俺は手元の作業に戻りつつ。


「高3担任のセリフじゃねーだろそれ」

「あー、でも推薦とかAOとか、大部分のやつはもう終わってきてるし?」

「むしろまだ残ってる奴の指導が大変なんだろうが……」

「そこはほら、みんなで手分けしてやるもんだし?」

「いやお前高3は初担任なんだから、最前で頑張れよっ」

「いやぁ、でも俺はやっぱ行事が好きなんだよなぁ。いいなぁ倫は、まだ1月に修学旅行残ってて」

「いや話逸らしたな……。それに、1月はまだ先だろ。2年は12月球技大会もあるし」

「あー、いいなぁ。3年も球技大会企画しようかなぁ」

「いやいや、受験生もいんのにそんなことさせんなよ……」


 と、明らかなダル絡みを見せる大和に、律儀に対応する俺優しいよね。

 そんな会話をしていると。


「修学旅行楽しみですねー。養護教諭として、今年も引率行かせていただきまーす」


 急に俺の横から、養護教諭の笹戸先生が俺と大和の会話に加わってきた。

 相変わらずその表情はふわふわとしていて、いつ見ても先生っぽさを感じないなーとか思ったりするのは、内心だけの秘密である。


「そっか、笹戸さん去年も来てくれたっけ」

「そですよー。沖縄楽しみですー」

「いや、仕事だからね……?」


 そんな笹戸先生の言葉に、去年修学旅行の引率を一緒にした大和が答え、さらに笹戸先生が呑気なことを言ってくる。

 そんな若手に俺は先輩として苦言を呈すが、おそらく彼女には響いてないだろうなぁ。


「でもま、とりあえず土曜は大会お疲れさまでしたぁ」

「え、あ、あざす」


 俺が一人小さくやれやれと思っていると、すーっと俺の背中側に回った笹戸先生が思ったよりも強い力で、俺の肩を揉んでくる。

 その力加減がなかなか気持ちよく、思わずされるがままになってしまったことを責められるのは、きっと若者だけだろう。この年になると肩凝りとか、なかなか……。


「気持ちいーい?」

「うん、めっちゃいい……」

「そうやってるとイチャイチャしてるみたいだなぁ」

「えっ!?」

「あははー。じゃあ修学旅行の時、私倫くんのクラスの副担でー」

「なんでやねんっ」


 と、すっかり笹戸先生も輪に入っての会話に変化する。このコミュ力は、彼女の先生としての武器だろうな。


「でも冗談抜きにけっこう凝ってるねー」


 そんな彼女の肩揉みを受け続けていると、ふっと急に声のトーンが養護教諭というか、治療行為を理解する者のようなトーンに変化した、気がした。


「そらこの年になるとね」


 その言葉に俺は割と自虐的にアラサーアピールをしたわけだが、そういや笹戸先生もだいと同い年なわけだから、アラサーか。

 と、ちょっと自分の年齢を感じさせる発言に僅かな焦りを覚えたが——


「同じ姿勢でゲームばっかやってるからだろ」


 笹戸先生に代わって大和のツッコミが入ったので、これ幸い。


「それは大和も同じだろっ」


 同じゲームをやってる身として、俺は返す刀で告げられた言葉を弾き返した、のだが。


「眼精疲労から来る肩凝りもあるからねー。どうせ毎日やってるんでしょー? たまにはお休みの日作ったらー?」


 やはり視点が違う人からすれば、五十歩百歩、同じ穴の狢にしか見えないのだろう、呆れるような指摘が笹戸先生から送られた。

 それに俺はすぐに何も言い返せなかったのだが。


「俺は余裕だが、倫にはなかなか難しそうな提案だな!」

「ほうほう。倫くんの方がゲーマー度上位と」

「俺なんか比べものなんねーからな!」


 たしかにそれはそうだろう、ということを大和に言われ、万事休す。


「……うるさいな」


 結局俺に言えたのはこの一言で、この戦いは俺の敗北に終わった。

 って、何の戦いだって話なんだけどね。


「ちなみにご希望とあらば、疲れた時は保健室でマッサージしてあげるからねー」

「え、マジ?」


 だが、敗北した俺に手を差し伸べるかのように、いつもの声のトーンなのに、急に慈愛度が増したかのような発言が笹戸先生から告げられ、俺は割とその言葉を好意的に、ありがたく感じ取ったのだが。


「うん、ベッドもあるし、全身マッサージいけちゃうよー」

「おいおい、なんか卑猥だなそれっ」

「そんなこと言う大和くんは有料でーす」

「ガッデムっ」

「変な会話やめい」


 言葉の取り方は千差万別。

 うん、でも今のは大和が悪い。

 ちなみに大和の「卑猥」発言が出た時、ちょうど近くを通った久川先生がめっちゃ怪訝な顔してたしね。まぁフォローしないけど。


 しかしまぁ、LAオフ日かー。

 振り返れば日曜日は復活しただいとスキル上げするかイチャイチャするかしかしてないし、月・火と20時〜23時でスキル上げに勤しんだ。

 日・月・火で、スキル上げの総時間は述べ14時間には及ぶだろう。

 たしかにそう言われると、目が疲れてる気がするなー……。

 

「金土日の疲れとかって、火水木あたりに顕著になったりするからねー? なんだかんだ倫くんもけっこうお疲れ気味だと思うよー」

「んー、あんま自覚ないんだけど」


 だが、なんだかんだまだ笹戸先生が肩揉みを続けてくれるので、俺はその好意に甘えながら彼女との会話を続けた。

 すると、ふっと肩に加えられる力が消え、笹戸先生のすべすべした手が、俺の左手に触れてきて——


「でもこことかも痛いんじゃないのー?」

「え? って、いっつっっっ!」

「ほら疲れ目だよー」


 まだ会議室に残っていた先生たちの視線が、こちらに集まるくらいの大声が、自分から上がる。

 さっきまで俺の肩の疲れを癒してくれていた手が、今度は俺にダメージを与えてきたのだ。


「……あれ?」


 その痛みに俺は慌てて手を振り解いたはずなのだが……手の痛みはそんなに長続きせず、心なしか目が軽いような、そんな気がした。


「顔周りの方が、効果あるツボあるんだけどねー」

「ほうほう。そんなツボが」

「うん。でもそれは今度ということでー。とりあえず、そらちゃんが「倫ちゃんが疲れてる気がする! 私のお姉ちゃんが迷惑かけちゃったし、大丈夫かなぁ」って報告に来たから私も見に来たけど、無理せず休める時は休みなよー?」

「市原が? あー、うん。分かった。ありがと」

「いえいえー。あ、そらちゃんにも肩揉み教えたから、今度やってもらってねー」

「えぇ!?」


 そして、最後にまさかの言い逃げを残して笹戸先生が会議室から退室していく。

 でも色々言われたけれど、肩も目も軽くなったのは事実なので、俺が疲れている、という見立ては確かなのだろう。

 可愛い顔して、そこらへんの能力はしっかりしてるなぁ。


「俺の目には普段通りだけどなぁ。さすが笹戸さん、普段から具合悪い奴の相手してるだけあんなー」


 去っていく笹戸先生へ視線を送りながら、大和もそう言って彼女に感心したようだが、その感覚については俺も同意だ。

 俺だってさ。


「いや、俺だって自分からすればいつも通りって感じだぞ?」


 ってね、自分で自分が普段通りって思ってたんだから。


「ま、テスト前で部活もないんだし、とりあえず週末に向けて休める時は休めよ?」


 そう言って大和がポンと俺の肩に手を置いてくる。

 なんだかんだこいつもいい奴だよなぁと思いながら。


「おうよ。今日はだいと外食の日だからな。一緒にご飯食べて、インしないでゆっくりでもするさ」


 と、たまには言われた通りゆっくりするかと思って、そう答えると——


「そのゆっくりで腰痛めたりすんなよ?」

「馬鹿野郎っ」


 前言撤回。やっぱりこいつはただの大和でした。

 まぁ、最近頻度が増えた気がするというか、増えてるんだけど……って、いや、なんでもありません!


「お前こそ、週末に向けて体調崩したりすんなよ?」

「ははっ。おうよ」


 軽く大和を睨んで言ったのに、爽やかな笑顔で返されて俺は軽い敗北感を味わったけど、まぁそんなことはどうでもいい。

 さて今日はだいと何食べに行こうかなー。

 疲れてるとなると、あれかな、鉄板のカレー屋なんかいいかもな。


 そんなことを考えながら、俺たちは最後の会議室退室者として部屋を出て、同じ動線で職員室に戻り、社会科準備室に鞄を取りに行って、一緒に学校を出て、何だかんだ駅まで一緒に帰るのだった。



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