第426話 真っ赤な誓い級の決意

「いやぁ、青春ですねー。一件落着、一件落着」

「いや……振り回した大人の一端は、うみさんでもありますからね?」

「あははー。ごめんなさーい」

「はぁ……」


 打てど響かず、そんな印象が強くなった女性にため息をつきつつ、俺はまたうみさんと二人になっていた。

 あの後5分程だろうか、ひとしきり泣いた市原は、急にパッと顔を上げたかと思うと、泣き腫らした目を隠しもせず、無理矢理作ったということが誰の目にも明らかな、だが非常に美しい笑顔を俺に見せてくれた。

 そしてまだ泣きたかったと思うのに、キャプテンとしての自覚があったからか、気丈に笑いながら、みんなを迎えに行ってくると言って、再び弱いながら降り続く雨の中を駆け出して行った。

 どのくらいあいつの中で切り替えられたのかは分からないが、少なくともこのまま泣き続けてはいられないと、そう思ったのだろう。

 そんなあいつに俺は「よろしく」と伝え、見送った。


「しかし、去年の入学してきたての頃は、ふわっふわした子だと思ってたのに、役職は人を変えるんですかね。本当に成長したと思いますよ」

「それはそれは、ありがとうございますー。でも役職よりも、いい先生と出会ったから変わった、のかもしれませんよ?」

「いやいや、俺なんかほんと、この様ですから」

「お、いい先生の自覚あり?」

「あっ、いや、そういうわけじゃないですけど!?」

「あはは、でも少なくともそらにとってはいい先生なんだと思いますよー。今回はたまたまこうなったのかもしれないですけど、そらから聞いてる限り、普段は生徒のことを思って頑張ってくれてるわけじゃないですか? 子どもって案外、見てないようで大人のこと見てますからね。だから、一番近くで見守ってくれる人がいたからこその成長ですよ」

「いやぁ……自信ないけどなー……」


 市原を見送ったあと、俺はしみじみとうみさんへ妹の成長具合を伝えたのだが、返ってきた言葉は俺に対する褒め言葉も入っていて、今ばかりはそれを素直に受け取れなかった。

 でも、大人が思っている以上に子どもは大人を見ているというのは、俺の6年の教師経験からも理解できた。

 大人が適当なら、それを見て子どもも適当になる。

 生徒の成長のために、教師はやはり手本でなければならないのだ。


「もっと成長しないとなぁ……」


 俺も、あいつも。

 そんな呟きを、誰にも聞こえないくらいの声のトーンでする。

 今回のことを俺は一生忘れないだろう。

 しかと心に戒める。


「さてと」


 そんな風に俺が一人胸の内で決心を固めていると聞こえた、軽い声。

 その声に俺はうみさんの方へ視線を向ければ——


「それでは、さすがに部外者がミーティングに参加するのは憚れるので、私はこれで退散致しますー」


 そう言って、うみさんが俺にぺこっと一礼した。


「今回は妹がご迷惑をおかけしました。って、私の方がご迷惑かけちゃったわけですけど、本当にごめんなさい」

「え、あ、いや——」

「でもこれからも、少なくとも妹のことはよろしくお願いします。私も、またLAでかまってくれたら嬉しいですけどねー」

「あぁ、はい。分かりましたよ」

「あとはちゃんと、だいさんと仲良くしてあげてくださいね?」

「それは大丈夫ですって」

「ちゃんと、ですよ?」

「いや分かってますから」

「うーん、倫ちゃん隙が多いからなぁ」


 そして、なんやかんや俺に言ってからうみさんが傘を開いて去っていく。

 その姿を、俺はやれやれといった感じで見送った。


 計算高そうでどこか抜けているせいか、不思議と憎めないのは何でなのだろうか。

 でも、俺の中での彼女の印象は大きく変わった。

 可愛いけれど、見た目はエメラルドのように美しく青い海なのだれど、一歩水の中に足を踏み入れれば、そこには大量の毒クラゲやらサメやらの危険な生き物が蠢いている、そんな危険な海なのだ、彼女は。

 空と違って、海の底には何がいるか見通せない。

 そこに妹と姉の違いがあるのだろう。

 でも、その危険さがなくなっていつかちゃんと綺麗で安全な海になってくれれば、そんな期待だけは持っていてあげようと思う。


 ということで、長々話した気がするうみさんがいなくなって、数分後、傘をさしただいと、その傘にいれてもらっている市原を先頭にやってくる制服姿の女子高生集団の姿が目に入った。

 その表情を見るに、もう試合が終わってだいぶ経っているのもあるだろうが、全員がもうそこまで敗戦を引きずっている様子には見えなかった。

 むしろうちの一年トリオなんかは、月見ヶ丘の国見さんを除く一年たちと楽しそうに話しているようだ。

 キスマーク発言をしてくれた、普段は寡黙な三宅さんすらも、いつのまにかその輪に入っている。

 初めて一緒に試合をしたからこそ繋がった、彼女たちの人間関係ということか。


「ただいまっ」

「お待たせ」


 そんな風にみんなを観察していた俺は、やってきた市原とだいが声をかけてくれる。

 そんな二人と、その後ろからやってきたみんなが屋根のあるピロティに集まったところで、まず俺は——


「ごめん! 負けたのはほんと、俺のせいだ! 申し訳ない!」


 そう伝え、直角に頭を下げた。

 普段試合に負けてもこんなこといきなり言わないけれど、今日は別。

 さっき市原にも言った通り、選手たちはよく戦ったのだ。ほぼほぼ勝ちゲームを、彼女たちは作り上げたのだ。

 それを台無しにした。

 俺がやったのは、そういうことだ。


 この俺の謝罪を受け入れてもらえるか、生徒たちがどんな反応するのか、ドキドキしながら待っていると——


「里見先生と同じこと言ってるじゃん!」

「さすがカップル……」

「だから言ったっしょー? 倫ちゃんはまず謝ってくると思うよってっ」

「悪いことしたら謝る。そこには大人も子どもも、生徒も先生も、年寄りも若者も関係ない。倫ちゃんがよく言ってることだもんねー」

「予想通り過ぎて逆に笑えるねっ」


 順に石丸さん、三宅さん、柴田、木本、萩原と、みんな俺の謝罪に反応してくれたけど、彼女たちの表情に悲壮感はなかった。

 むしろなんだか面白がっているような、そんな気配すら漂う。

 ……え、なんでだ?

 というか、だいと同じって……?


 って、あ、そうじゃん。

 よく見ればだいの顔、だいぶ落ち着いたというか、穏やかに、なってるじゃん。

 ってことは、市原だけじゃなく、他の生徒たちともちゃんと話できたんだな。

 頑張ったんだろうなぁ……。


「里見先生が謝って、そら先輩が許してたから、あたしらはもう何も言わないよっ」

「ううん、私なんか謝っても謝り足りないくらいなのに……」

「あーもう、里見先生そのくだり何回目ですかっ」

「先生はもっとクールにしてくれてないと、らしくないですよっ」


 俺の顔に、何かだいへの労いのような色が浮かんでいたのか、まるでエスパーのように柴田が笑ってだいを擁護したが、その発言にだい自身がものすごく卑屈な反応を見せ、月見ヶ丘の2年生たちがフォローを入れる。

 とはいえ、フォローする飯田さんと南川さんを始め、やはりみんなどこかスッキリした顔をしている。

 これは、きっとだいが正面から生徒と向き合った結果なのだろう。

 本人こそまだまだ足りないと思っていそうだが、そんなところまで含めて、生徒たちはもうだいも、俺のことまでも許しているのだ。

 そんな感情が、俺にまで伝わってくる。


「倫ちゃんと里見先生は、ちゃんと仲良くしなさいっ、だよ?」


 そして、ダメ押しの市原の笑顔で、崩れかけたチームが、俺の中にあったこれからへの不安が消え去った。

 その言葉に応えるために、俺はだいと並んで改めて生徒たちに頭を下げ、その光景に生徒たちが笑ったりそわそわしたりして、元通り。

 そしてその後は通常のミーティングを終え、来春のリベンジを誓って、俺たちの新人戦は幕を閉じるのだった。










 と、綺麗に終わったと見せかけて、ほとんどの生徒たちが帰路につき、残る生徒は市原と国見さんとなった時、それは起きた。

 帰る前にトイレ行ってくると言って、迷子になるかもしれないからとだいがそれに付き添って、ピロティに俺と国見さんが二人になったのだ。


 実は正直、彼女の様子はずっと気になっていた。

 チーム全体が明るい雰囲気に戻った時にも、彼女一人だけが、全く笑っていなかったから。

 笑っていないとはいえ、別に一人負のオーラを放っていたとか、こちらを延々と睨んでいたとか、そういうわけではない。

 ただ一人、無の表情だったのだ。


 そんな彼女と二人になった時、すっと国見さんが俺の方に寄ってきて——


「私は今日負けたこと、納得いっていませんので」

「……うん、そう思う子がいてもしょうがないって思ってるよ」


 言いたいことがあるのは、分かっていた。そして伝えられた言葉はある程度予想出来た言葉だったから、俺は国見さんの言葉に自然と答えられた。

 あれだけ市原が好きな国見さんからすれば、市原のあの乱調が俺とだいのせいだというのは受け入れられる話ではないだろう。

 発生の原因を理解出来たとしても、納得なんか出来るはずがない。

 まして元々国見さんからは、俺は好かれていたわけではないのだから。


「そら先輩が許してるみたいなので特に何も言いませんでしたけど、一つ覚えておいてください」

「うん、何かな?」

「次また同じようなことがあって、そら先輩が泣くようなことがあれば」


 睨む、というわけではないが、真っ直ぐな目で俺を見る国見さんには、強い意志が秘められていたと思う。

 そんな彼女が、少し言葉を溜めて——


「泣かせるようなことがあれば、LAの〈Zero〉というプレーヤーが北条先生だってこと、ネットに晒します」

「っ!?」


 さらっと告げられた言葉に、俺は絶句。

 さすがにそんな言葉は、全くもって予想していなかった。

 というか、え!? 

 そこ脅迫してくんの!?

 マジ!? 

 ネットリテラシーどうなってんのよ!?

 現代っ子こわ!!!


「ってかあれ!? 俺それ言ったっけ!?」

「ああ。そら先輩が教えてくれましたよ。調べたらけっこう有名なんですね。適当なまとめサイトに〈Cecil〉さんとも繋がりがあるっていう情報も書いてましたけど、そうなんですか?」

「え、あ、まぁ、知り合い、かな」

「そうなんですね。つまりやはり知名度が高そうなら、尚更気をつけた方がいいですよ」

「う、うん……」

「私、本気で言ってますので」


 そう言って国見さんが俺から離れたと思ったら、その離れて行った方向からだいと市原が戻ってきて、国見さんは市原に笑顔を向けていた。

 その表情のギャップは、今された話とあまりにも大きく、俺は軽く冷や汗が止まらない。

 何というか、いつぞや秋葉原であいつと会って家に招かれた時に話した、山下さんと似た空気を感じた。

 

 もちろん今日みたいなこと、二度と起こさないと心に誓っているし、そもそも泣かせたくて誰かを泣かせるようなこと、俺にはする気がない。

 そう思い改めて、絶対にこんなこと起こしてはいけないと、俺は固く心に誓うのだった。

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