第424話 姉妹というのは伊達じゃない

「うん、そうだね」


 今の雰囲気なら、なかったことにも出来たかもしれない。

 そんな思いを振り払い、俺に怒っていたはずではないかと尋ねるのは、相手が子どもとはいえ、かなりドキドキした。

 さっきうみさんにも言ってたけど、大人になってから怒られるという経験は、あまり多くない。

 ……俺は、まぁ割と多い方かもしれないけど。

 でも、女子高生に怒られる成人男性となれば、その数はさらに減ることだろう。

 というか普通はあり得ないよね……!


 と、そんなことを考えつつ、俺はあっけらかんとした表情を浮かべている市原の視線を、真っ直ぐに受ける。

 先程まで向き合っていた姉によく似た、整った顔だ。改めてその顔を見て思うのは、去年入学してきた時と比べて、大人っぽくなったな、ということ。年が経つのは本当に早い。

 でも、色白なお姉さんに比べれば外部活をやっているから日焼けしている分、それが幼さを感じさせるし、大きな黒瞳に宿した輝きは素直で純真無垢な子どもを連想させた。

 そんな大人の気配と子どもの要素が備わった、高校2年生という年頃の少女が、口を開く。

 きっとその口からは、忘れていた俺への怒りが溢れてくると覚悟したのだが——

 

「里見先生から全部聞いたよ!」


 おおう……全部、か……!

 その第一声にまず怯み、そして——


「ごめんね倫ちゃん!」

「……え?」


 何故か逆に謝られたことに、俺の脳が思考を停止し——


「倫ちゃんは私のことを心配してくれてたのに、その心配に応えてあげられなくて……」

「……は?」


 続けて語られた、その拍子抜けというか、予想外というか、俺が全く考えていなかった答えに、俺は完全に戸惑った。


「ちゃんと投げられなくなったのは私の弱さと……お姉ちゃんのせいだよっ」


 だが、戸惑い、反応できない俺をよそに市原はさらに話を進めていく。

 そして市原の見上げるような視線が、俺からうみさんへと切り替わる。

 お姉ちゃんのせい、と言われたうみさんも、今ばかりはバツが悪そうに苦笑いをしていた。


「里見先生を怖がらせちゃダメっ。お姉ちゃん、分かった!?」

「怖がらせたつもりはないんだけどねー」

「相手がどう思っているかが大事なんだよっ。いじめとおんなじ。受けてる側がいじめと思えばいじめになるって、前に倫ちゃん言ってたしっ」

「いや、それは俺個人の判断じゃなくて、国の定義な……?」

「だから里見先生が怖がったなら、お姉ちゃんが悪いのっ」


 そして、繰り出される妹の主張に、さしもの姉も話を逸らしたりすることは出来なかったようで——


「ごめんねそら。お姉ちゃん、反省しました。もう里見先生を怖がらせたりしないね」


 と、ちょっとだけしおらしい表情を見せ、素直に市原に謝っていた。

 正直俺からすればというか、きっと誰から見ても彼女の言葉は鵜呑みには出来ないだろうと思わざるをえない、そんな話し方だったのだが——


「ちゃんと反省した?」

「うん、したした」

「そっか! ほんとに気をつけてねっ」

「うん! 気をつけるね!」

「素で!?」


 もはやギャグにしか見えない姉妹のやりとりに、俺は堪らず声が出た。

 いや、チョロい、チョロすぎるぞ市原……! さすがに俺だってそこまでお前がチョロいとは思ってなかったぞ……!


「里見先生、ほんとに優しくていい人なんだからねっ! 私の好きな人が好きな人ってこと、忘れちゃダメだよっ」

「うんっ、おっけー」


 片方がなんだかすごく真面目な顔をしているのに、相対する姉の飄々というか、ふわっふわした感じが、二人の会話の奇妙さを際立たせる。

 でも、当の市原は姉が自分の言う事に頷いているからか、会話が続くにつれて、割と満足げな顔に変わっていく。

 きっと小さい頃から、こういう感じのこと何回もあったんだろうな……!


 でも、もしかして、こんな反応の姉を市原が素直に受け入れてるということは、意外とうみさんちゃんと言うことは守ったりしてきたのか……?

 ……いやいやいや、不貞行為に突っ走るような人だぞ、そんなシンプルに言うことを聞くわけが……。


 と、俺の中ではうみさんが言うことを聞く・聞かない論争が発生する。

 だが、そんな俺を置き去りに——


「ちなみに、里見先生は私のどの辺が怖いって言ってたのー?」


 と、うみさんが市原に尋ね——


「うんとね、倫ちゃんのこと狙ってそうなとこと、考えが読めないとこと」

「ほほー」

「一番怖いのは、倫ちゃんの好きそうな顔してるとこだって!」

「ぶっっっ!!? ごふっ!!」


 さらっと答えた市原の言葉に俺は思わず吹き出し咽せ返る。何も飲んでなんかいなかったのに!

 というか1番目と2番目はまだいいとして、3番目はダメだろう。なんだってそれを市原に言うというのか?

 だって、この二人瓜二つなんだぞ!?

 ってことは、つまり、さ……!


「私も髪染めようかな……」

「こらこら。それはたぶん、校則違反じゃないのかなー? 逆に倫ちゃんに怒られちゃうよ?」

「あっ、そっか! 危ない危ない」

「私も染めたのは高校卒業した後だから、せめてその時までは我慢だよー。それにほら、卒業しちゃえば倫ちゃんがそらに何しても捕まっちゃうこともないし」

「たしかにっ」

「いや、待て待て待て待てっ」


 市原に「お姉ちゃんの顔が好きそうってことは、私のことも好き!?」とか聞かれるであろう予想をしたのに、会話が全くもって怪しげな無辺世界に向かっていき、俺はたまらず制止をかける。

 というか卒業がどうとか、そういうのは普通本人がいないとこでするもんだろう!


 そんなストップをかけた二人が、俺を見て——


「そんなに私の金髪見たいのっ?」「そんなにそらの金髪見たいんですかー?」


 と、1個ズレどころか、ボタン留めたら別のシャツでしたレベルのすれ違った返事が、よもやまさかのシンクロ率で返ってきて、俺は思わず絶句する。

 だが、抱きつく腕に力を込め、キラキラした顔で俺を見てくる市原に対して、もう片方はちょっと悪戯めいた笑いが端々に見え隠れしているので、間違いなく確信犯と思われた。

 まぁ、この市原のリアクションを予想して合わせたってところが、さすがお姉ちゃんって感じなんだけど!


「ま、でも髪は染めさせませんけどねー。JKには黒髪がよく似合うしー」

「えー、倫ちゃんどう思うっ」

「え、あ、えっと、染めたら校則違反だからやめておけ」

「むぅ……」


 そして絶句状態から復帰していなかった俺へ市原からのキラーパスが送られ、それに俺は教員として当たり前の答えを返したのだが、市原は俺の返事にちょっとむくれた顔を見せ、不服そうに目を細める。

 だが——


「今でも十分可愛いですもんねぇ、そらは」

「そうですね、うん……って……あ——」

「可愛いっ!?」


 嵌められた……!

 きっとここまでの流れこそが、うみさんの計略だったのだ。

 新人類ニュータ◯プばりにビビッときた俺の脳が、それを察する。

 全力思考モードではなかった俺の脳は、反射的にうみさんの言葉に同意してしまったせいで、結果的に市原を喜ばせる結果を生んでしまった、生まされてしまった。

 そんな俺の「可愛い」に市原本人はご満悦で、自分で反芻したくせに、「よく聞こえなかったからもっかい言って」とおかわりを露骨に主張してくるのだが、そんな姿を見たことで、俺の焦りはどこかへ消え、次第に冷静さを取り戻すことが出来るようになってきた。

 ……あれ? でもこの流れになったことで、俺がうみさんの顔、すなわちニアリーイコールで市原の顔がタイプという話を逸らすことが出来てんじゃね……?

 結果的に市原への「可愛い」発言が生まれてしまっているが、タイプ云々じゃなくてこの会話だと、「可愛い」の対象が市原個人になるから、姉に対して嫉妬したり怒ったりすることもない、言ってしまえば平和な話題にいつの間にかすり替わっているのだ。

 これは計略というより、うみさんのフィールドコントロール会話の主導権を握る力。……さすがサポーター……数手先が見えてそうだ……!


 と、密かに俺はうみさんへ感心したりもしたのだが、やはり爆弾はまだ、残っていたようで——

「でも倫ちゃんのキスマーク付けたの、里見先生でよかったよっ」


 にこやかな表情で伝えられた言葉に、俺は固まり、さしものうみさんも小さく吹き出す。


 そうですね、そうですよね。

 まだその話、残ってましたもんね……!

 俺から切り出したんだもんね……!


 安堵したと思ったのも束の間、俺は突きつけられた銃口を下ろさせるための言葉を、全力思考で探すのだった。

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