第422話 その女危険につき——

 前回のあらすじ。姉妹修羅場。


 ……いやいやいや、冷静になれ俺。

 今市原は、なんて言った?

 うみさんが付き合って来た人みんな、誰かの彼氏だった人?

 ……え?


「それは結果論だよー?」


 困惑する俺をよそに、うみさんは妹の言葉を直接的には否定せず。

 結果論ということは、つまり、誰かの彼氏だった人から奪う形で付き合ったというのは、事実ということか……?

 だが、市原はそんな姉の言葉を聞いても、表情を変えず姉に対する怒りを露わにし続ける。


「私知ってるもん! お母さん前言ってたもん! 私が倫ちゃんに恋人が出来たけど、やっぱり倫ちゃんが好きって話したら、お姉ちゃんみたいなことはやめてね、って言ってたもんっ!」

「えー、お母さんもひどいなぁ。私が好きになった人がたまたま彼女のいた人だっただけだよ? それに、ぜーんぶ男の子の方から私に付き合おうって言ってきただけだし」

「彼女がいる人を好きになっちゃダメなの!」

「それ、そらには言えない言葉だけど、分かってる?」

「私は倫ちゃんが里見先生と付き合う前から好きだったから、お姉ちゃんとは違うもんっ」

「でも、里見先生からしたら、やってることは同じだよね?」

「里見先生はいいよって言ってくれてるもん!」

「それはそらが高校生だからだよ。そらと倫ちゃんが付き合ったら、倫ちゃん捕まっちゃうから、そんなこと起こらないって分かってて、そう言うんだよー? そらが高校生じゃなくて、もっと大人だったらきっと同じことは言われてないと思うよ?」


 市原のとてつもない発言から、市原が主張を訴え、うみさんがそれを宥めるというか、論破するように意見を述べる。

 そんなやりとりが、辺りに響く。

 擁護するわけではないが、たしかに市原が俺に好きアピールをしてきたのは、だいと出会う前からのことだった。そう考えれば、部分的に市原の状況は、うみさんの状況とは異なるだろう。

 とは言えうみさんの言う、だいが市原を許しているという理屈は、うみさんの方に軍配が上がるようにも感じていく。

 あ、でもだいはゆきむらを否定してないから、絶対そうとも限らないんだけど、今これ言ったらこじれにこじれるだろうから、やめとこう。

 

 いや、でも、というかだ——


 え、何俺? 狙われてたの?

 いやいや、うみさんはいかに俺がだいを愛してるかを、ちゃんと聞いて分かってくれた人じゃん。

 話はしたりしてるけど、さすがに市原の思い込みが過ぎるだろう、そう思ったのだが——


「里見先生にそう言われたら、私倫ちゃん好きなのやめるもん!」


 なんだか話が、わけわからない方向に流れていき、俺は口を挟もうと思ったのに、出来なかった。

 ちらっと横目に見れば、今の発言をした直後の市原は唇を噛み締め、切ないというか、苦しそうな顔をしていた。


「そんなに簡単に、好きなのやめられるの?」

「やめられないよ! でも、倫ちゃんが好きなのは里見先生で、それを壊さなきゃ幸せになれないなら、そんな幸せいらないもん!」

「……純愛だね、そらは。素敵だと思うよ?」


 そう言って、うみさんが微笑む。

 その微笑みは、決して市原には、そらの方には出来ないであろう、少し寂しそうな笑みだった。


 ……え? 市原の発言に対するコメント?

 ノーコメントで!


「誰かの幸せを願えるのは、とっても素敵なことだと思うよ? でもお姉ちゃんは、そのために我慢してねってなるのは、納得いかないの。お姉ちゃんは、みーんなと仲良くしたいし、みんながそうやって考えたら、みーんな幸せだと思うけどなー」


 そして続けられたうみさんの言葉に、市原が黙り込む。

 誰かの犠牲の上に成り立つ幸せ。

 たしかにそれは言葉にすればひどいことのように思えるが——


「たしかにみんな仲良しは俺も理想だなって思いますけど、その考えを突き進めるために、自分の幸せのために誰かの幸せを奪うのは、ただのわがままですよ」


 劣勢になった市原に加勢するように、気付けば自分の口が開いていた。

 でも、そうだろう?

 そもそも幸せの形が一つだと思うことが間違っているのだ。

 見方や考え方を変えれば、幸せの形は無数に広がっている。

 それを考える理性を、人間は持っているのだから。


「そらさんの話しか聞いてないので一概に断定は出来ないですけど、言い方悪いですが、略奪愛的なことが、これまであったわけですよね? それってどうなんでしょうか? 俺は、他の人の幸せを祝福して、自分も幸せになる。それが本当のみんな仲良くってことだと思いますけど」


 だから、腕に市原をまとわせたままで、俺ははっきりとそう言った。


「ほうほう、倫ちゃんはなかなか強欲ですね。全員で幸せになりたい、と」

「そうです。俺はうみさんと違って、以前まで自分が我慢してでもみんなが楽しめればいい、幸せだったらいいって考えてましたけど、教えられたんです。俺が幸せにならないと幸せじゃない奴がいるってことを。だからそれを実現するには、考え方を変えるしかないって」

「倫ちゃんが幸せじゃなかったら、私もやだっ」

「そらがそう思ってくれてんのは知ってるよ。ありがとな」

「うんっ」


 そんな俺にうみさんがちょっと意外そうに反応し、それに俺が答えると、俺の答え方に市原が反応して、こちらを見上げて笑顔を見せてくれた。

 その笑顔は可愛いものだったが、それ以上に俺に安心感を与えてくれた。

 ……いや、でも君はほんと何があったんだ? 怒ってたんじゃない、のか……?


 まるでいつも通りの市原に、俺の頭にははてなが浮かぶ。

 だが、今はそちらを気にする余裕はない。

 俺は眼前のうみさんに、再び視線を戻す。


「うんうん、倫ちゃんの言うこと、よく分かりますよー」


 何か反論があるだろう、そう思っていた俺に返ってきたのは、何とも拍子抜けな言葉で、俺は妹だけでなく姉の方にもあれ? と思った、のだが——


「でも、妹の手前ちょっと言い訳チックに話してましたけど、正直なところ自分の嗜好ってなかなか変わらなくないですか?」

「え?」


 思考、そう言ったのだと思い、彼女の言葉へ俺は——


「たしかに考え方はその人の人生の積み上げですけど——」

「あ、そっちの思考じゃなく、好みとかの方の嗜好ですー」


 と、訂正された。

 そこではたと考える。

 少なくとも、俺の腕に抱きつく市原は嗜好なんて言葉分かっていないだろうが、思考ではなく、嗜好と、今うみさんが口にした意味とは……。


 ポク

  ポク

   ポク

    

     チーン。


「……え?」


 そして分かってしまった、その言葉の意味。

 分かったからこそ、戸惑いが隠せない。

 だが、おそらく若干の青褪めた俺の方を見ているうみさんの笑顔は変わらない。


「……マジですか?」

「ふふふー。実はそうなんでよねー」


 明らかに戸惑う俺に、可愛い顔をして彼女はてへっ、って感じに小さく首をかしげてみせる。

 その姿に、あの日の夜のように、彼女に対する可愛いを超えた感覚が蘇る。

 そう、俺は間違いなく、市原うみという女性に、恐怖を覚えたのだった。

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