第421話 困惑・激昂・見守る笑顔

「泥棒猫!?」「あらあら、どしたのー?」


 聞こえた声のした方へほぼ同時に振り返った俺たちには、その声に聞き覚えがあった。

 いや、聞き馴染みがあった。

 だからだろう、お互いが咄嗟に反応した声には、ある種の確信があったのだと思う。

 俺のツッコミは、当然ツッコミをいれていい相手だからと、無意識下の反射的な判断があったし、うみさんの反応もまるで相手が分かっているかのような、そんな口調。

 

 そんな言葉の先にいたのは——


「倫ちゃんから離れなさーいっ」


 ガルルルル! とそんな音が聞こえそうなご様子で、俺の隣に立っていたうみさんへ、よく似た顔の少女が迫る。

 本当によく似た顔立ちで、明確な違いは髪の色と制服か私服かという、そのくらいのものだった。

 

「はいどう、はいどう。あ、まずは試合お疲れ様。残念だったね」


 そして雨の中傘も差さずに迫ってきた制服姿の女子高生の頭へ手を伸ばし、額に手のひらを当てて、ニコニコしたまま向かってくる少女の動きを止めるうみさん。

 その動作とともにさらっと「残念だった」と言えるのは、それだけの関係性が向かってきた少女とあるからに違いない。

 ……まぁ関係ったら、あまりにも大きいんだけど、姉妹なんだし。


「あ、うん。ありがとう! お姉ちゃんこそ、応援ありがとね! ……って、違う違う! グルルルルっ」

「おー、どうしたどうしたー?」


 そんな姉の対応に最初こそパッと切り替わっていつもの明るい表情を見せていたが、すぐにまた最初現れた時のような睨みつけるような表情に戻り——


「とりあえず離れてっ」


 呆気に取られる俺をよそに、姉に制止される状況を嫌ってか、市原が俺の腕が取り、ぐいっとうみさんから物理的に距離を取らされる。

 その遠慮ないボディタッチに、正直俺は戸惑った。

 いや、ボディタッチって言葉はあまり適切じゃないな。なんたって腕を取られたってか、腕に抱きつかれたんだから。アームハグ? そんな言葉あんのか知らんけど。

 

 ちなみに更衣室からここまでは、およそ歩いて2,3分だと思うが、抱きつかれた腕に感じる濡れた感じから、ここに来るまで傘を差さずにやってきたことがよく分かった。

 近くにいるからこそ分かったが、割と体力のある方の市原とはいえ、軽く息も切れているようだ。


「え、えーと、そらさん。色々聞きたいことがあるんだけど……」

「何!?」


 そんな、なぜこんなことになっているのか分からない状況を理解するため、俺は恐る恐る先刻の試合で怒らせてしまったはずの市原に声をかけたのだが、あまりの展開に色んなことが吹っ飛んだのか、自分でも驚くほどすんなりと声をかけることができた。

 返ってきた反応が予想以上に大きな声で、ちょっとびびったけど。


「え、えっと、じゃあまず里見先生とか、他のみんなは?」

「私が倫ちゃんとお姉ちゃんと話したいことがあるから、待っててもらってる!」

「俺と、うみさんと? え、お前うみさんここにいるの分かってたのか?」

「Talkに連絡きてたもん。でも、ダメっ。倫ちゃんダメっ。お姉ちゃんと話しちゃダメっ」

「え? いや、え? なんで?」

「お姉ちゃん、約束守ってくれてないから!」


 いや、どういうことやねん。

 途中途中で訴えるような瞳を俺に見せてきた市原だが、またしてもよく分からない発言が増えた。

 俺が聞いたのは、だいや他のメンバーの所在だったわけだが、それに対する市原の答えには付随した内容が伴われていて、俺は正直はてなが浮かぶ。

 なぜ市原が俺とうみさんと話したいと思ったのか、なぜ俺がうみさんと話してはダメなのか、市原とうみさんの約束とは何なのか、全くもって分からないことだらけである。


「お姉ちゃん別に約束破ったつもりはないんだけどー?」

「嘘つき! 里見先生言ってたもん! お姉ちゃんが夜中にこっそり倫ちゃんを外に連れ出したって!」

「だって倫ちゃんがそらが変って言うから。メンタルの話は文字で伝えるのは難しいし、言葉で伝えた方がちゃんと伝わるでしょ?」

「だったら里見先生も呼べばよかったじゃんっ」

「里見先生はそらの学校の先生じゃないじゃない?」

「別にいいよ! 里見先生なら、うちの学校の他の先生よりも好きだもん!」


 だが、そんな俺を置き去りに始まる姉妹喧嘩……のような口論。

 とはいえ、論を述べているよりは感情をぶつける市原と、年下の妹を可愛がりながら相手をしているお姉さんという構図のため、あまり喧嘩という感じもないのだが。


「とにかく、倫ちゃんは私と里見先生のなんだから、お姉ちゃんはダメっ」

「えー。里見先生はともかく、そらのではないんじゃない? そらが好きなのは知ってるけど」

「私の担任の先生だし、私は里見先生に倫ちゃんのこと好きでいるの認めてもらってるもん! お姉ちゃんは、倫ちゃんのこと好きなわけじゃないでしょ!」

「んー、そらほどじゃないけど、私も倫ちゃんのこと、けっこう好きだよ?」

「私はけっこうじゃないもん! すっごく好き! だもん!」


 いや、あの……と、誰にも聞こえない声を出したつもりだが、当然伝わらず。

 よく似た顔の二人の間で続いたやりとりは、ちょっと俺がいないところでして欲しいものに他ならなかった。

 ただ、とりあえず俺にお前のものな部分はない。後で訂正しよう。

 いや、それよりもだ。誰が誰を好きかとか、そんなに大きな声でしなくてもいいんじゃないかな……!

 これ聞かれたら、エグい恥ずかしいよね……!

 市原が俺のこと好きなの、だいは認めてるってのもすごい話なんだけど!


「里見先生言ってたよ! お姉ちゃんのこと怖いって!」


 ……ん? うみさんが、怖い?


 と、俺が二人の会話に、気が気じゃない気分になっていたら炸裂した、市原のさらなる気になる発言。

 その発言について、俺は考えを巡らせる。


 あぁ、前に佐竹先生がうちに来た日に、話してたやつか?

 だいの奴、そんなことを市原にしたのか……。ん? 二人が話をしてきたってことは、だいのやつも復活したか、あるいは……開き直ったのか?

 つまり……女同士、腹を割って話した、的な?

 ……ちょっと、話しすぎな気もするけど……。


 だいが何を市原と話したのかが分からないことに不安が芽生えたのを顔に出さないように気をつけつつ、俺は割って入る余地のない会話に耳を向け続ける。


「えー、私は里見先生とも仲良くしたいんだけどなぁ」

「だったらちゃんと倫ちゃんから離れなきゃダメっ」

「みーんなと仲良くしたいって思うのは、ダメなの?」

「みんなと仲良くするのはいいことだけど、お姉ちゃんは倫ちゃんとはダメっ」


 続いた姉妹の会話は、先程から変わらずぐいぐいと感情をぶつける妹と、のらりくらりとかわそうとする姉という構図なわけだが、ここまで一貫して市原が怒の感情を露わにして訴える光景は初めてだった。

 その感情を訴える度に抱きしめている腕に力を入れるのは、ちょっと痛いから勘弁して欲しいのだけれど。

 

「お姉ちゃんだからダメなの?」

「お姉ちゃんだからダメっ! だって——」


 だって、市原がそこで一旦言葉を区切って、力を蓄えるように息を吸う。

 そしてその直後、俺はとんでもない言葉を耳にすることなった——


「お姉ちゃんが付き合ってきた人みんな、誰かの彼氏だったじゃんっっっ!!!」


 ……へ?


 感情が入りすぎたのか、若干涙目になる市原に、そのとんでもない発言を聞いて目を白黒させて戸惑う俺と、妹が来た時からずっと変わらずニコニコした顔を浮かべるうみさん。

 三竦みにすらならない三者の空間の中は、もはや姉妹喧嘩を超えた、修羅場と化したのだった……!

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