第419話 チームを支えていたもの
「いや、誰も何も——」
「……あ。もしかして……」
「ん?」
キッと俺を睨んでいた市原の目線が、不意に伏せられる。
そして少しの間を置いて——
「やっぱりお姉ちゃんが言ってたこと、合ってたの!?」
「はっ!?」
再び睨まれて、今まで俺に見せたことのない顔をして、とんでもないことを言ってくる。
いやいやなんやねんお姉ちゃんが言ってたことって!
……って、あれかぁぁぁ!!! お前が今週不調に陥ってた勘違いのことか!!!!
そして今その勘違いを、だいの
つまり……だいさぁぁぁぁん!!!
睨みつけてくる市原の視線から逃れるように俺はだいへ視線を送るも、変わらずだいは機能停止状態。
こんなやりとりをしている間にいつの間にか柴田は二塁に進んでいて、木本が送りバントを決め、1アウト3塁に場面が変わっていた。
ネクストサークルからずっとこちらのやりとり
見ていた国見さんが打席に入り、代わってネクストサークルに入るため、俺たちのやりとりを困惑した様子で見ていた飯田さんが、少しあわあわした様子で離れていく。
ほんと、俺この場面において全然監督出来てないよね!
石丸さんの引き寄せた流れでこのまま押し切るはずだったのに、どうしてこうなった……!
「嘘つき」
「いや、その——」
「さすがの私だって怒ったし!」
「いや、だからな? これは全然知らない人が付けたものじゃなくて——」
「言い訳しないで! 後でちゃんと説明してもらうからね!!」
「は、はい……」
言い訳しないであとで説明って、何とも難しいことを言われてしまった。
しかしここで「後で」があるあたりが市原なのだろうが、まるで浮気を問い詰めるかのように俺に詰め寄っていた市原が、俺に背を向け、ヘルメットとバットを置いている方へと向かって行ったのだが、あれ? まだ早くない? と思っていたら、いつの間にか状況が変わっていた。
国見さんが二塁にいて、飯田さんが一塁にいて、状況は1アウト満塁で、打席には萩原。
さっきの状況から全然時間が経っていないというのに、こうなっているということは、あれか、3,4番を申告敬遠、ってことか。
だとしても、市原の打席は萩原、三宅さんの後だから、まだ打席準備には早いんだけど……。
「今の流れよく分かってないんだけど、倫ちゃん何やったの?」
「え?」
そんな早めの準備のため、俺のそばから離れた市原に代わり、今度はついさっき自分の仕事をやり遂げた木本が戻ってきていた。
その木本の表情は、チャンスを作る一仕事を終えたばかりのものではなく、どこか不安そうなものだった。
「そら先輩、涙目だったんだけど」
「あー……」
さっきは怒ったように見せていた、だけか。
たしかに今回は、いつもの軽口のような冗談じゃなく、市原のことを思ってとはいえ、本気で騙すために嘘をついた。
たぶんそれが、最大の裏目に出たのだろう。
……なんだろう、相手のためを思って裏目に出てって、俺最近こんなことばっかじゃね?
いや、でも今回の件に関してはだいにも非がある、はず。
ああもうほんと、ままならねぇなぁ……!
「終わったらちゃんとそらと話すから、お前はまずは珠理亜を応援しとけ……って」
「ん? おー……ピッチャー多いチームだねー」
「だな」
打席の萩原が初球のボールを見逃し、2球目を一塁線に鋭いファールを打ったところでの、ピッチャー交代。
元々ベンチにいた子がマウンドに上がり、投球練習を開始する。
その光景を、木本と一緒に見る。
いや、というか、いい加減あれだよな。
「里見先生。そろそろ職務放棄をやめてくださいよ」
相手の投球練習の隙に、ここまでずっと黙り込んだまま俯いて立ち尽くすだいへ、俺は呆れ混じりの声をかけた。
そんなだいが、俺の声に応じるように、恐ろしくゆっくりこちらへ顔を向けてくるが……。
おっつ、可愛い……!
決して本人には伝えられないが、若干涙目になりながら、顔を赤くしただいは、雨に濡れた髪のせいも合わさって、いつもより幼く見え、正直めちゃくちゃ可愛かった。
でも、市原の涙目とだいの涙目は意味が違う。
特にこいつの場合は、自分が蒔いた種のせいなのだから。
だから、可愛いと思ってても、今はその顔に免じることは出来ない。
なので俺はだいの方に近寄って——
「俺じゃもうどうにもなんないから、お前から市原に言ってやってくれよ」
と、ひそひそと伝えたのだが——
「……無理」
と、恥ずかしさを押し殺してなお、恥ずか死しそうな小さな声が返ってくる。
いやいや! 無理じゃねぇよお前!
「お前が蒔いた種だろうがっ」
「だって無理よっ」
「そんなこと言ったって、もう手遅れだからっ。市原以外全員お前がやったって分かってんだよっ。開き直れっ」
「やめてっ。言わないでっ」
……はぁ。
なんだこいつ。
さすがにちょっと、呆れを通り越した感情が湧き上がる。
根本の原因として俺がいるのだとしても、だ。
このままだとここで痴話喧嘩になりそうだったから、俺はため息をついてから、赤面したまま弱々しく睨んでくるだいに背を向けて、目の前の試合に視線を向けた。
そこではちょうど投球練習を終えたピッチャーと対峙する萩原の対戦シーンに戻っていて——
「おいおい……」
「わぁ……」
正直、唖然とした。
1-1から投じられたボールは、真ん中付近のストレートだったにも関わらず、萩原が見送った。
いや、見送らざるを得なかったのだろう。
「はや……」
だいと話すまで近くにいた木本の、驚きの声が小さく響く。
そう、投球練習こそ普通に投げていたのに、代わったピッチャーの子のボールが、ものすごく速かったのだ。
間違いなく、市原より速い。
どうしてあの子をもっと先に使わなかったのか? そんな疑問を浮かべている間に、萩原が次のボールを空振りして戻ってくる。
2アウト、満塁。
だが、そんな剛腕ピッチャーの前に、ランナーの数など意味を持たない。
しきりに右腕の様子を気にしながら投げていたから、たぶん怪我か何かを押して投げているのかもしれなかったけど、続く三宅さんも三球三振に倒れ、ピッチャー交代からわずか5球で、俺たちの攻撃が終わった。
ランナーから引き上げてくる選手たちに、声はない。
そして最終回のマウンドへ向かう市原も、何も声を出さない。
完全なる意気消沈。
6回裏の守備で生まれた最高潮の空気は、今やどこにも見る影はなかった。
全てが悪い方向に流れてしまった。
俺の首の跡から起きた一悶着と、大チャンスをなす術なく潰されたこと。
掴みかけた流れがどこかへいってしまうには十分過ぎることが起こってしまった。
そして、このチームがいかに市原を軸に作られていたかを実感する。
無言で投球練習をする市原は、勝っているチームのエースの表情をしていない。
心の中に大きなもやもやを抱え、それをどうすればいいのか分からないというような、困った時の子どものような、そんな表情を浮かべている。
そしてそんな市原に、俺もだいも声をかけられない。もちろん俺は声をかけることは出来るが、かけたところで、何の効果もないだろう。
そんな状況だからか、市原の投球練習はひどかった。
上に下に、右に左に、ボールがブレる。
国見さんの構えたミットに、一球もいかないのだ。
そしてその調子を全然立て直せずに、5番、6番と二者連続フォアボールを与えてしまう。
さすがにこの展開はまずいので、俺はタイムを取って内野手をマウンドに集まるよう指示したのだが——
「大丈夫だから。放っておいて」
と、市原自身に拒絶された。
集まりかけた内野手たちもそんな市原に大きく戸惑い、さしもの国見さんでさえ、どうすればいいか分からないという様子を見せていた。
こんな市原は、初めてだ。
いつものまるでアイドルのようなオーラが、どこにもない。
今週中の不調の時ですら、周囲を気遣う様子はあった。
でも今は、完全に自ら孤立しようとしているのだ。
……くそ!!
歯痒さに、イライラが止まらない。
だが一応タイムをかけた効果はあったのか、続く7番バッターにはバントすることすら叶わない厳しいコースを攻めて、三振を取り1アウトを奪った。
しかし次の8番も1球はストライクを取ったが、結局はフォアボールで、満塁の状況を献上する結果となる。
そして投げれば投げるほどどんどん追い詰められた表情になっていく市原は、9番バッターも歩かせてしまい、押し出しの1点。
スコアが3-2と1点差になり、なおも1アウト満塁に。
明らかに通常状態じゃない市原に、恐る恐る他の選手たちが声をかけたりはしていたが、声をかけられた当の本人が心ここにあらずな反応をするので、チーム全体の気まずい雰囲気は、変わることはなかった。
「落ち着いていけ!」
歯痒い気持ちを抱きながら、俺も声をかけはしたが、市原が俺の方を向くことは、全くない。
こんなにしんどいのは、監督をやり始めてから初めてだ。
だいに相談したくとも、相変わらず俯いたままのだいは何の役にも立ちそうになく、俺は唇を噛み締めることしか出来なかった。
そして1番バッターとの対戦で、ライトフライを打たれ、サードランナーとセカンドランナーがタッチアップし、同点にされ、2アウト1,3塁と状況が変わる。
同点。
最終回の裏での、同点。
そんな展開、どう考えたって追いついた側に流れがあるに、決まっている。
まずいのに、何も、出来ない。
そんな厳しい状況に一度国見さんがタイムを取ってマウンドに駆け寄って何か言葉をかけたようだが、市原の表情は変わらない。
悔しそうというよりも、どうすればいいのかわからないという、辛そうな表情がひたすらに印象的で——
そんな市原を何とかしようという焦りが、国見さんにもあったのだろう。
タイムをかけた直後の場面は、もちろん2アウト1,3塁。
このケースはサードランナーが還ればサヨナラなんだから、他のランナーなんか関係ない。
なのに、市原の投じた初球、意味もなく一塁ランナーがセカンドベースを狙って盗塁をしかけてきて——
盗塁されても関係ないと思っていたショートの柴田と、キャッチャーの国見さんの考えが、噛み合わなかった。
もし誰かが声をかけあって、ケースを確認していれば、防げたかもしれない。
でも、その声かけを誰も出来なかった。
チームがチームとして戦えていたのなら、そうはならなかったかもしれない。
もし柴田と国見さんの判断が一致してれば、こうはならなかったかもしれない。
いや、二人のせいにするのは、過酷すぎるか。
いずれにせよ、盗塁するランナーを刺して3アウトチェンジを狙った国見さんの送球に、バッターでアウトを取ることを考えていた柴田のベースカバーが間に合わず。
ボールはセカンドベースの上を抜けていき、転々とセンターを守る萩原のところまで、ボールが転がっていってしまう。
そのボールに対し、懸命に萩原がカバーに入って、バックホームの送球をするが——
国見さんのミットが返球をキャッチするよりも数秒先に、サードランナーがホームベースにスライディングをして、喜びながらベンチに駆けて行く。
その光景は、つまり——
「4-3、練馬商業! ゲーム!!」
最後の整列の時のことを、俺はあまり覚えていない。
力なく戻ってきた選手たちにどんな声をかけ、整列を促したのか、整列後の選手たちとどんな風に応援席に礼をしたのか、どんな指示をしてベンチを空けて、試合後のミーティング先へ移動したのか、覚えていないのだ。
ただただ喜びの歓声を上げる練馬商業ベンチと対照的に、うちのチームはどんよりと暗い雰囲気に包まれた。
こうして、星見台・月見ヶ丘連合チームは、秋季大会1回戦で、早くもトーナメント表から姿を消すのだった。
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