第417話 経過時間は2分くらいです。
チームの一体感は最高潮。
そんな確信が、俺にはあった。
やはり生徒には伸び伸びとプレーさせるのも悪くない、良い結果が出やすいのだと、これで少しでも佐竹先生に伝わればいいな。
そんなことを思いながら、円陣を解き、追撃目指す最終回の攻撃の準備に向かう生徒たちを眺めていたのだが。
「ねぇ……」
「え……あっ……」
「ど、どうしたの……」
「あ、待って……」
円陣を組み終わった後、先頭バッターの柴田とネクストの木本が打席の準備へと移動し、国見さんもレガースを外すために輪から離れたが、円陣を組む際にちょうど俺の正面側にいた萩原、石丸さん、矢崎さんが何やらひそひそと話していた。
その視線は堂々と、ではなく、何かを窺うような視線だったのだが……。
はっ!!?
そういえば円陣を組んだ時、首に人の腕が肌に触れた感触があった。
人の腕が触れるということは、当然立てた襟が折れていたということだから——
慌てて襟を確認しようとしたところを、超速思考した脳が寸前で俺の手の動きを止める。
いや待て落ち着けと、俺の脳は見事に働いてくれたのだ。
だってそうだろ? こういう時必要なのは、最悪のケースを想定することだ。
では今の最悪とは何か?
それは間違いなくエース市原に気付かれることだ。
メンタルに大きく左右されるあいつの性格を思えば、首筋の爆弾に気付かれるのは、何としても避けたいのだ。
ではそのケースを避けるために俺はどうするべきか? それは、自然に振る舞うべき、だろう。
俺の正面から、俺と時折だいの方に視線を向けている生徒たちは、きっとこの爆弾に気付いてしまっているだろう。
だが直言直行タイプの、反射反応ですぐに口に出しそうな石丸さんが、そうしていないのだ。
となればこれはあいつらが気付いているが、口にできないと判断したという推測も出来ることを意味するはずだ。
さらに言えば、俺があいつらに視線を向け、目が合ったことから、
となれば,ここは三人が俺を見ているのには気付いたが、俺の何に気付いたのかについては、気付いていないフリをするのが、このままあいつらが話を拡大しないためにマストということが考えられる。
ということで、ここで襟を直すは不自然の骨頂。
既に見えているのかもしれないが、敢えて堂々と普通にする、それがこの難局を生き抜く最良の選択肢なのである!
と、こんなことを1,2秒で考えた俺の高速思考能力の高さ、天晴れだよな!
……いや、ほんと俺は何と戦っているのだろう。
そんな虚しい気持ちも消しきれない、雨の日の決戦の最中——
「あっ!」
爆速思考で考え、結論を出し、一人脳内で自画自賛し、そして虚無感を抱く。
一人芝居としてはあまりにも忙しい脳内活動を終えた俺の耳に入ったのは、ちょうど俺の左側から聞こえた声だった。
そしてその声が聞こえた方角は、今俺が最も警戒しなければならなかったはずの方角で——
「な、なんだっ?」
完全に警戒を忘れてしまっていた本丸からの声に、俺は迂闊にも声を滑らせる。
そしてギギギと音が聞こえそうなぎこちない動きで本丸へ、聞き飽きるぐらいに聞き慣れた声を出した市原そらへ、錆びたブリキ人形化した首を回して問い返す。
既にやっちまった感が自分の中で強まってきていたが、大丈夫、市原の頭ならまだ何とかなる、そんな蜘蛛の糸のような期待へ、俺はまだ縋りついていたのである。
「倫ちゃんく——」
「あ! そういえばそら! さっきのライズボールの上がり具合なんかいつもより少なくなかったか!?」
名前を呼ばれた後に続いた音が明らかに俺の急所を示す音の片割れだったため、俺は先程を上回る神速思考を展開し、質問されかけているところに質問を返すという荒技で、この難局突破を、三国志における蜀の将軍趙雲の長坂単騎駆けの如き勢いで突破しようとしたのだが——
「あ、うん。今考えれば、ちょっと気になったことあって集中しきれてなかったかもなんだよね。それで指のかかりが弱かったかなって思うんだけど、その気になったことってのがね」
質問しておいてなんだけど、市原の答えは正直あんまり耳に入ってこなかった。
ライズボールの上がりが少ない、つまり、ピッチングへの指摘を受けた直後こそ、分析のためか少し視線を下げた市原だったけど、その原因を確認しようとした時の目線が、完全に俺の首だったから。
ここまで俺は既にミスと失敗を重ねている。
一つ目は聞き返す時の声の具合。二つ目は質問に質問を重ねて話を逸らそうとしたのに、逸らせなかったこと。
そう、雨空の下、そらをそらせなかったわけである。ハッハッハ!!
……いや、今こんなしょうもないことを思いついてしまうのは、ここまでの思考活動による活動限界、疲れ切った低速思考の賜物だったと主張したい。
「気になったこと?」
お前の目線でそんなもん気づいてんだおらぁ!! と内心では思いながら、もうあれこれ考えるのを放棄した俺は、ここに来てようやく、普段通りの自分で、市原に聞き返すことが出来た。
こうなってきては、いかに市原のメンタルデバフを軽減するか、そちらへ方向性は変更だ。
「うん、倫ちゃん首のとこさ」
「首?」
はい、予定調和。
お前の聞きたいことなんか分かってるわーい、と思いながら、こんな時にお前は何を言い出すんだと、ちょっと気だるげな普段の俺を出す俺。
これはもう名優と言えるレベルだったのではないだろうか。
あ、名優ならばいっそ首の爆弾に気付いてないふりして、「なんじゃあこりゃあああ!」とか言ってみるか? って、これ結局死ぬやつじゃん! なしなし!
と、少しだけ立て直されつつある快速思考で市原の質問を待ち受けて——
「うん、なんか腫れてるの? 虫刺されみたいに赤くなってて痛そうなんだけど、平気?」
そりゃ内出血の仲間だからなー。
……って……。
動き出す、我が力の鼓動が聞こえる。
〈低速思考〉あー……。
〈快速思考〉これは……。
〈高速思考〉いけそうですね。
〈爆速思考〉いけそうだ!
〈超速思考〉認識の利用を推奨。
〈神速思考〉他に選択肢は発見されず。
俺の思考能力が心配そうな視線を送る市原の顔を見て、疲弊していたはずのその力をフル活用させていく。
そして出た結論は——
〈完全究極体グレート思考〉誤魔化せる!!
千載一遇、この好機を逃した
いまこそ我が全力を尽くす時!!!
降る雨の冷たさが、むしろ思考をクリアにしてくれる祝福に感じる。
そんな錯覚まで覚えながら、俺は目の前に立つ雨に濡れて普段よりも少し幼く見える愛らしい顔をした美少女へ、真っ直ぐに目を向けながら、全力思考の結果をぶつけ、この虚しい戦いを決着するべく、口を開こうとするのだった。
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