第415話 そして戦いは佳境を迎える
微妙な空気の中始まった攻撃は、6番萩原がライトフライに倒れ、7番市原が三遊間を抜く安打を見せるも、8番石丸さんと9番南川さんが三振に倒れ見せ場なく4回の表が終わってしまう。
続く4回の裏は、相手の2番からの好打順ながら市原が国見さんのインコースをぐいぐい攻める強気なリードに導かれ、三振、ピッチャーゴロ、三振と完璧に抑えてみせた。
だが、だいの指導を受けたはずの国見さんの雰囲気に目に見える変化はなく、相変わらず市原とは楽しそうに話すが、それ以外とでは表情が全然違った。
正直、難しい子だ。
5回の表の攻撃に備えて、レガースを外す彼女を見ながら、改めてそれを思う。
だいは普段からこの子を相手にしていると思うと、本当頭が下がるね。
とはいえ、だいだって彼女に慣れている、というわけではないのだろう。4回の話し合い以降、だいも国見さんに対してすっかり静かになってしまっている。
だが彼女に視線を送る時の真一文字に結ばれた唇から、国見さんの振る舞いに納得いっていない様子は、十分に理解できた。
……でも、大人が悪い方向の気持ちを顔に出したって、何もいいことないのになぁ。
そんなだいの若さに、俺は思わず苦笑い。
「さ! 守りからいい流れ持って来れてるからな! こっから毎回得点で、エースのこと、みんなでを楽にするぞ!」
柴田を打席へ送り込みながら、チーム全体へは笑顔に努めてこう伝え。
「里見先生も、そんな怖い顔してると、生徒がビビっちゃうから」
「え?」
「ほんとだっ」
「先生、ホームルームで怒ってる時みたいなってますよっ」
俺の軽口にだいが少し驚いた様子を見せるとともに生徒たちの視線がだいに集まり、市原やら南川さんが軽く笑いながら反応し、多少なりとも和やかな空気がベンチ内に戻る。
そんな雰囲気にだいはリアクションに困ったのだろう、少し困った様子を見せたから。
「とりあえず顔拭いて、切り替えていきましょう」
そう言って、俺は隣に立つだいにタオルを差し出した。
途中から降り出した雨の影響で、既に俺たちのユニフォームは絞れるほどではないにせよ、濡れていることが認知出来る程には湿っている。となれば、顔だって相応に濡れているのだ。
そんな提案をした俺の顔とタオルをそれぞれに見やった後、小さく頷いてからタオルを受け取り、手早く濡れたところを拭いていく。
拭き終わった頃には、だいの表情も少し柔らかくなったので、これは作戦成功だろう。
「ごめんなさい……」
「おいおい、そこはありがとうだろ?」
そして生徒には聞こえないくらいの小さな声で告げられた言葉に、俺も笑いかけながら、小さな声で答える。
俺の答えに、だいからさらに小さく「ありがとう」が返ってきたので、今はこれでよしとして——
「さ! 夏実! 何としても出ろよ!」
「っしゃあ!」
5回表の追加点のため、俺は打席に立つ柴田へ檄を飛ばす。
その声に応えた柴田は、初球を見送った後——
「「
打席の中央から前に出ながら、左手一本残しての片手バントによるセーフティバントをピッチャーとキャッチャーの間に転がして——
「セーフ!!」
ご自慢の俊足を飛ばして、一塁セーフ。初回以来の先頭バッターの出塁に成功である。
こうなっていけばあとはうちの得点パターン。
盗塁の後ランナーを進めて、クリーンナップでランナーを返す。
そんな展開が脳裏に浮かんだのだ、だが——
「あっ!」
雨の影響が、グラウンドにも少しずつ影響し出してきていたのだろう、相手ピッチャーの2番木本に対する一球目の時、盗塁の間合いを測るためか、
その動きに萩原あたりが悲鳴にも似た声を上げるが、この隙を相手が逃してくれるわけもなく、キャッチャーからファーストにボールが送られ、何とも不運なタッチアウト。
盛り上がりかけた雰囲気が、一瞬にして沈みかえってしまった。
「あー、ほんとごめんなさい……」
そして汚れたユニフォームから湿った土を払うこともなく、思いっきり落ち込んだ柴田がベンチへ戻ってくる。
この終盤に入りかけた場面で追加点を取ることがいかに重要か、経験者の柴田なら痛いほど分かっているからこそ、ここまでの落ち込んでいるのだろう。
もちろん多くの仲間たちは責めることなく柴田にフォローをいれていたが、ネクストバッターに控える国見さんは、少し何か言いたげな様子を見せた後、結局何も言わなかった。
「転んだ時、怪我はしてないか?」
「ん、それは平気……でも、あー……情けねー……」
「大丈夫だって。とりあえず、汚れ払って、手洗って来い」
「うん、分かった」
当然転びたくて転んだわけじゃないんだから、俺も柴田を責めたりすることはない。でも本人の落ち込みは思ったよりも強く、チームに影響しそうだなって予感が、僅かにした。
「理央! こっからだぞ!」
だがそんな自分の中の予感を否定するように、打席に立つ今日大活躍を見せる木本に声をかける、が——
「アウト!」
2-2から2球ファールで粘った後、セカンドゴロに倒れて2アウトランナー無しとなってしまう。
うちの二巡目から練馬商業の2番手出てきたピッチャーだけど、正直先発の子より手強く見えるのは、ゲーム展開のせいなのだろうか。
スコア上はうちが勝っているのに、なぜか優位感がある気がしない。
何かグッと流れを引き寄せるきっかけが欲しい、そう願いながら打席に入った国見さんの打席を見守った。
すると——
「おおっ!」
カキィィィン!! と、音からしてこれは見事なジャストミートと分かる打球が、鋭く左中間を破っていく。
角度こそ出てはいないが、ボールが落ちたところで既にセンターとレフトの定位置よりも奥であり、誰しもがこれはと期待を持った。
「走れ走れー!」
「回れ回れー!」
その期待は、国見さんに対する何とも言えない印象を忘れさせ、市原だけでなく、ベンチのみんなが一塁、二塁とダイヤモンドを駆け抜ける彼女へ声援を送る。
そして、芝生が広がる外野のフェンス付近まで転がっていった打球に、相手のセンターの子が追いついた時、既に国見さんは二塁と三塁の間辺り。
そこからでは、練馬商業はもう間に合わない。
それはつまり、俺たちの期待が現実になるということ。
「やったーっ! みぃちゃんナイスー!」
そしてホームにスライディングをすることもなく、悠々とダイヤモンド一周を終えた彼女へ、真っ先に市原が満面の笑みで抱きついて、抱きつかれた国見さんも嬉しそうに、普段からそうやって笑えばいいのにと思わせる笑顔を見せていた。
市原の抱擁のあとは、チーム全員とハイタッチ、となると思ったのだが——
「なんか、ごめんね」
「え、あ、いや、だいのせいじゃないけど……」
拍手を送っていただいと違って、ハイタッチのため俺は右手を差し出したのだが……見事にスルー。とはいえ、他の部員とはハイタッチを交わしていたので、さすがにそこまで空気が読めないわけではないようだが、だいに謝られた俺だけ、何だかちょっと切ない気持ちにさせられた。
だが、貴重な追加点には違わない。
続く飯田さんは三振に倒れさらなる追加点は叶わなかったが、5回表で2点リードの3-1だ。
これはかなり大きいだろう。
柴田が残ってたらとかも思うけど、そんなたらればは考えたってしょうがない。
ただ、ランニングホームランを打たれた直後も、佐竹先生の表情が変わらなかったのは不気味だった。
とは言え、前半を温存して投げた市原なら、きっとあと3回も抑えてくれるだろう。
そう信じて、流れが掴めそうな5回の裏を見守れば。
「やっぱり少しボール滑りそうね。いつもより浮いてる気がする」
「そうなぁ」
5番をショートゴロに打ち取って1アウトを取るも、6番をフルカウントから歩かせてしまい、1アウト1塁へ。
続く7番の時もストレートが高めに浮いたところを強くミートされたが運良くサード正面のサードライナーで、これで2アウト1塁。
最後の8番を三振に切って取って、3アウトチェンジ。
二塁を踏ませないピッチングではあったが、だいの言う通り雨のせいか少しコントロールが乱れて、たまに打ちやすいコースにボールがいってしまっているのは事実だった。
もちろん下位打線に入って少し力を抜いてたところがあるのかもしれないけど、なんとなく、勝っているのに安心できない気持ちが、心の中から消えなかった。
「身体冷やさないように、ベンチいる時はコート着てていいからな」
降り続く雨は全く止む気配を見せず、かと言って降雨コールドの判断が出るような強さでもなく、じわじわと身体から熱を奪っていく。
選手たちは平気かもしれないが、見ている保護者たちはけっこう寒いだろうな。
そう思って一瞬ちらっと応援席の方を見てみたら、傘を差しながらこちらを見ていた金髪の女性と目が合って、右手をグーにして応援するようなジェスチャーをしてもらえた。
そんな仕草に小さく会釈しつつ、相変わらず可愛いなとか、ちょっと思ってしまった頭を切り替えて、6回の表の攻撃へ生徒たちを送り出す。
が、5番萩原がライト前ヒットを打って、6番の三宅さんがセカンド右にゴロを転がして1アウト2塁のチャンスを作ったものの、7番市原が歩かされ、8番石丸さんのセカンドゴロの間にランナーが進んで2アウト2,3塁になったが、9番南川さんがショートフライに倒れて二者残塁。
ダメ押しの追加点はならなかった。
やっぱりなんかこう、掴めそうな主導権を掴みきれないんだよな。
6回の裏の守備に向かう生徒たちを見送る俺の胸中には、そんな歯痒さがあり、無意識に俺は俯むいてため息をつきながら、濡れた首回りの水を払うように、自分の左手を何往復かさせていた。
いや、させてしまった。
「あ……」
「ん?」
そんな俺の動作に何か思ったのか、ずっと俺の右側にいただいがすっと左へ回ったと思えば、焦ったような、恥ずかしいような、何だか不思議な表情を浮かべて俺の方を見てくる。
いや、その視線は俺の目よりも少し下、今俺が触っていた首辺りを見ていたようで——
「っ!?!?!?」
その意図が分かってしまった俺は、慌てて自分の首に手を当てる。
それと同時に試合中という緊張感が一瞬で消え去り、それとは違う緊張感が漂い出す。
そんな俺に出来た対応は、普段は折っているグラウンドコートの襟を立てること。
俺の弱点を隠す方法として俺に浮かんだのは、それだけだった。
「見えてないよなっ!?」
「う、うん。右はコンシーラー落ちてないから、左だけ隠せば大丈夫っ」
そして襟を立てた俺の右隣に戻ってきて、生徒たちには聞こえないように、ひそひそと話す大人二人。
「先生たち、どうかしたんですか?」
そんな突然不自然な動きをした俺たちは、そりゃ生徒からしたら意味不明だったろう。
俺が襟を立てたのは最悪寒いからで言い訳できるかもしれないが、だいの動きなんかなぜか急に俺の周りを一周した、なのだから。
「なんでもないよ」「なんでもないわ」
そんな俺たちに向かって首を傾げてきた戸倉さんへの返事が無駄にハモる。
こうして俺は目の前の相手以外との戦いを余儀なくされるのだった……!!
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