第414話 一筋縄ではいかないゲーム

「プレイっ!」


 雨にも負けない高らかな審判のコールと共に始まった3回裏、練馬商業7番からの攻撃。

 ここまで市原は12球で打者6人を打ち取る絶好調。そして今もマウンド上の表情は、明るい。先ほどのダブルプレーによるチャンス消滅など、まるでなかったかのように、明るい笑顔で、そいつはマウンドに立ち、ボールを投げていた。


「ストラーック!」


 立ち上がりのストレートは真ん中あたりに投げ込まれたストライク。いわゆる甘い球ではあるが、きっと初球から手を出してこないと思ったのだろう、国見さんの判断が光る一球だった。

 続く2球目は外角のストレートで2ストライク。

 そして追い込んでの3球目は、2球目と同じようなコースに、少し緩めのボールが投げ込まれ——


「オッケー!」

「理央ちゃんカバー!」

「おっけっ!」


 2ストライクからのスリーバントセーフティを試みてきた相手の子の構えに、ファーストとサードが敢然と前に出て、セカンドが一塁ベースカバーに走る。

 そして肝心の打球は市原が投げたボールが緩いボールだったからか、バットに当たった際の反発が少なく、バッターボックスの少し前に落ちた。

 その打球に、突っ込んできたファーストとサードを制止して、キャッチャーの国見さんが反応。即座にマスクを取って、捕球アピールの声を出す。

 それを受けてマウンド上では市原がセカンドのベースカバーを指示するが、既に走り出していた木本には市原の声に返事をする余裕もあり、見事な連携で無事にアウトが取れた、そう思ったのだが——


「あっ!」


 隣のだいが慌てた声をあげてしまうプレーが、起きてしまう。

 国見さんが投げたファーストへの送球が、一塁ベースカバーへ走る木本の右手側にわずかに逸れたのだ。

 通常ベースカバーに入る選手への送球は、相手がベースに入ってくることを前提に、ベース上か、相手が走りながらキャッチ出来るように、進行方向へ投げる。

 だが国見さんの送球は、ベースに向かう木本が直前に通り過ぎてしまった辺りに投げられてしまったのだ。そのため捕球のため急制動をかけた木本のキャッチは、慣性の法則に負けじと踏ん張った結果、進行方向と逆に倒れ込みながらのキャッチという、本当にギリギリのプレーとなってしまった。

 それでも何とか持ち堪え、捕球したままグラウンドに倒れる形となりながらも、足がギリギリベースには着いていたようで、審判の「アウト!」コールをもらえたのは、木本のガッツ溢れるファインプレーの賜物だった。


「理央ちゃん! スーパーナイスカバー!」

「ナイス理央っ! すげぇじゃんっ!」


 そんなナイスプレー、ナイスカバーを見せた木本を、内野にいる星見台のメンバーたちが賞賛する。


「ナイスセカンッ!」


 その流れを受けて、いや受けずとも褒めていたけれど、俺も木本に拍手を送りながらナイスプレーを称賛する。


「うわー、汚れたなー…」


 そしてナイスプレーを見せた当の本人は少しだけ照れくさそうに俺たちに小さく手を振って応えてくれたが、それよりも湿った土で汚れたユニフォームを払う方に気持ちはいっているようだった。

 とはいえ、嫌な流れを断ち切ってくれたプレーになったのは間違いない。

 そう思ったところ、だったのだが——


「美奈萌! ちゃんと声を出しなさい!」


 俺からすれば今のプレーは、自分の教えている生徒の好プレーで、だいからすれば、自分の教えている生徒のミス。

 だからこそ見えた光景も、違ったのかもしれない。


「ミスをカバーしてもらったのよ!」


 グラウンドに響き渡った強い語気の言葉は、盛り上がりムードだったうちのチームに静けさを与えるには、十分すぎるほどだった。

 一瞬にして静まった全員が、だいと国見さんを交互に見やる。

 だが、叱責を受けた当の本人は——


「……はぁ」


 こちらを見ることも、何かを言うわけでもなく。

 代わりに聞こえたのはだいのため息だった。

 特に変わった様子も見せず、キャッチャーマスクを拾って土を払い、被り、定位置に構える。 

 それだけだった。


「なんでありがとうの一つも言えないのよ……」


 そんな彼女の様子を目にしただいが口にした呟きは、とても小さくて、俺以外のベンチにいるメンバーにも、聞こえたかどうか。

 だが、明らかにイライラしているのは明白な声と言葉だった。


「国見さん! 切り替えてけよっ! 市原からも一言なんか言ってやれ!」

「そらっ!」

「あ、あー。そらからもなんか言ってくれ!」


 この雰囲気はまずいと、だいがイライラしている嫌な雰囲気を何とかするために、俺が取ったのは国見さんへの声かけと、市原からも声をかけるようにという指示。

 ちょっと焦っていたのもあり、市原を市原と呼んでしまい、試合中にも関わらず名前呼びへ訂正させられたけど、とりあえず伝えたいことは伝えられたからよしとする。


「みぃちゃん、楽しんでこーね!」

「はい!」


 そして市原が伝えたのは、今さっきのプレーとは欠片も繋がらない言葉だったのだが、その言葉に対してのみ、国見さんが大きな声で返事をする。

 ……いや、何なんだこの子……?


 その瞬間、改めて俺の中にも疑問がよぎる。

 市原のことが大好きで、尊敬しているのは分かってたけど、チームスポーツやってんだから、カバーしてもらったらお礼を言うとか、当たり前じゃないのか?


「普段の練習に市原さんがいないから、あまりヒートアップすることってなくて、他の1年生たちとも普通に話したりはしてるんだけどね」


 目の前の生徒に疑問を抱いていた俺に、ぽつりぽつりと俯き加減になり、困り果てた様子のだいの声が聞こえてくる。


「でも一度、紗里が市原さんの実力に疑問があるみたいなことを言った時の美奈萌、ひどかったの。先輩のことを悪く言うな、って。あの時は2年生が間に入ってくれて何とかなったんだけど、放っておいたら、手が出てたんだじゃないかな。……でも、今日は市原さん本人がいるから大丈夫って思ってたけど、やっぱりあの子、普通じゃないわよね」

「……ふむ」


 グラウンド上では、だいの叱責を受けた国見さんがその言葉を無視し、市原にだけ返事をしたことで、うちの1年たちの表情が怪しくなっている。

 明らかに、なんだこいつ、って思ってる顔だ。

 一番露骨なのが柴田で、明らかに表情が怒っている。木本は柴田ほどではないにしろ、どこか怠そうな、今までの試合中に見せたことのないような表情を浮かべている。

 センターの萩原も、遠くてはっきりとは分からないが、少なくとも積極的に声を出そうとしなくなったのは分かった。


 ……まずい。


「反省も喧嘩も、試合後ならいくらでもやっていいから! 今は試合に集中しろよ!」


 内心の焦りを表には出さないようにしつつ、何とか雰囲気を変えようと声をかけるも、感情が先立つのだろう、あまり生徒には響かない。

 マウンド上の市原も、なるべく明るい表情を保ってはいるが、どことなく、不安に見える。

 そんな俺たちに漂う暗雲に、パラパラ降っていた雨が、粒こそ小さいままだが、しとしとと少しだけ強くなったようにも思えた。


 そんな悪い流れは、ツキに見放される展開を生まもので——


「ショートっ!」

「おっけぇっ!?」


 2ストライクから投じた緩いボールを打った8番バッターの打球は、イージーな打球だったにも関わらず、捕球体勢に入った柴田ショートの目の前で軌道が変わるイレギュラー。

 さしもの柴田もその変化に対応し切れず、柴田の右肩に当たった打球はサードの方に転がり、三宅さんがすぐに捕球したものの、さすがに一塁は投げられず、ランナーが出塁する。


「あーっ! そら先輩ごめんなさい!」


 そんな不運な内野安打に、柴田は空を仰いで一度大声を出してから、興奮冷め切らずという様子のままマウンドの市原に大きな声で謝ってみせた。


「どんまいどんまいっ! 今のはしょがないっ」


 そんな柴田へ市原は笑顔を浮かべて応え、他のチームメイトも、一人を除いて柴田へ「どんまい」を伝えていく。そう、一人を除いて、だ。

 口数の少ない三宅さんだって、直接肩をポンと叩きにいったのに、ただ一人マスクをつけた選手だけ、次のプレーを進めようとまた定位置で構え出していた。

 そんな国見さんに対し、柴田の不機嫌な様子は止まらない。

 直接何か言うわけではないが、明らかにキャッチャーを睨んでいるのだ。


「夏実! 深呼吸!」


 だが、試合中に味方同士いがみ合ってもなんの得もない。

 俺は何とか柴田に平常心を取り戻させようと声をかけたが、効果は薄そうだった。


 そんな嫌な雰囲気を引きずったまま、続く9番が手堅く送ってきて、2アウト2塁、練馬商業の得点チャンス。バッターは一巡して1番バッター。

 初回はひっかけさせて打ち取ったが、この雰囲気、なんか嫌な感じがするんだよなぁ……。


「二巡目! そら! ギアアップ!」


 嫌な空気を払拭するべく、俺はバッターと対峙する市原に指示を出したが——


「その指示は、ちょっと予告ストレートじゃない?」

「あ」


 たぶん既にサインは出されていたのだろう。

 だいの指摘通り、市原が投じたボールはこの試合最速のストレート、だったのだが——

 

 キィィィン!


 球種が読まれたのかどうかは分からないが、いい音を奏でて、鋭い打球がレフト線へ飛んでいく。

 これはセカンドランナーの生還はやむを得ない、下手したら抜けて長打、そんな覚悟もしたのだが——


「紗里!」

「おっ! けぃ!!」


 鋭い打球に対しても反応よく一歩目を切り、左手を伸ばして抜けるがどうかのタイミングで打球を抑える石丸さんのナイスプレーが飛び出して、そんな彼女へサードの三宅さんが距離を詰めてカットマンとしてボールを呼ぶ。

 そして素早くレフトからサードへボールが繋がり、サードからキャッチャーへ素晴らしい送球が送られるが——


「セーフ!!」


 2アウトだったからこその二塁ランナーの好スタートに、国見さんがボールを受け取った時には既にランナーがホームベース上へスライディングをし終えていて、タッチプレーすら起こらず1失点が確定する。

 だが、このプレーはここだけでは終わらない。


「セカンっ!!」


 セカンドベースの辺りから聞こえた大きな声へ呼応するように、ホームに還ってきたランナーには目もくれなかった国見さんの強肩一閃。

 二塁を狙っていたバッターランナーを刺殺するべく、ボールを呼んだ柴田に向かって鋭い送球が送られて——


「アウト!!」


 スライディングしてきたランナーのスパイクの向かう先へピンポイントに、ランナーの足より先に鋭く飛んできたボールが、構えられたグローブへ収まって、キャッチと同時にタッチが完了し、バッターランナーがタッチアウトとなったのだ。


「ドンピシャ! ナイスボールっ!!」

「ナイスみぃちゃん! 夏実ちゃんもナイスカバーっ!」


 1失点こそしてしまったが、タッチアウトにした柴田が国見さんを褒めて、市原が国見さんと柴田を褒めて、他のメンバーも先ほどまでの嫌な雰囲気を忘れさせるように、お互いを褒め合いながら3回の裏を終えたメンバーたちがベンチへと戻ってくる。

 明らかに国見さんに対するイライラを見せていたうちの1年たちも、今の好プレーで少し溜飲を下げたところもあるようだ。

 とりあえず今の雰囲気なら、流れをイーブンに戻すことも出来るだろう。


「石丸さん、あの打球よく止めたな! その後の送球も良かったし、ナイスプレー!」

「あざまーすっ」


 そんないい雰囲気を広げるために、俺はアウトを取ったプレーに関わった柴田と国見さんがみんなから褒められる中、その直前のナイスプレーを見せた石丸さんを褒め、明るい表情の子を増やそうとする。

 だが——


「美奈萌、ちょっと来なさい」


 ベンチから少し離れた場所へ、だいが国見さんを連れて行き、みんなには聞こえないところで話をしだす。

 だいの表情は、明らかに怒った様子で、その呼び出しに、自分が怒られているわけではなくとも、基本真面目な月見ヶ丘の子たちの上がりかけたテンションが、落ち着いてしまったのが見てとれた。

 その雰囲気に、うちの部員たちも何だか少し、モヤモヤした様子を見せる。


 この雰囲気を作ってしまっただいを見ながら、考える。


 今、すべきことだったのだろうか。


 もちろん生徒指導のタイミングはそれぞれの考えが出るところなのは分かるけど、今の上司、チーム全体の空気を考えれば、今はもうちょっと軽めに話す程度でよかったのではなかろうか。

 

 立ち直りかけたチームの空気が、またしても微妙な感じになる中、ゲームスコアは2-1、折り返しの4回表が始まるのだった。

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