第413話 恵みの雨か、災いの雨か
「そら先輩っ! 上着着てくださいっ!」
「え? まだ小雨だし大丈夫だよっ」
「ダメです! 肩も冷えますし、風邪引いたらどうするんですかっ!?」
「わ、分かった、分かったからっ。落ち着いてね? みぃちゃん」
降り出した小雨は、まだほとんど気にならないレベルのものだったが、すぐさま反応したのは国見さんだった。
とてつもない速さで市原のためのグラウンドコートを取り出して、それを市原にかける。
そんな後輩のスピードと有無を言わせぬ圧に、あの市原が押され気味な様子を見せる。それは普段なかなかお目にかかれない、何とも珍しい光景だった。
「たぶん、止まないわよね」
「だな。だ……里見先生も、寒かったらコート着とけよ」
「うん、そうする」
そんな二人のやりとりを見ながら、ポツポツと少しずつ降ってきた雨にユニフォームが濡らされていくのを感じたからだろう、隣に立つだいが少し不安気に空を見上げながら発した言葉に、俺は思わず普段の呼び方をしかけたが、慌てて切り替えて、国見さん同様寒さの心配をする。
そんなやりとりをした直後——
「今のやりとり、すごい恋人感だなー」
俺たちのすぐ近くに書かれたネクストバッターズサークルでしゃがんでいる木本が、それはもう恋愛ゴシップ大好物みたいな、ザ・女子高生の顔をしてこちらを見ていたではありませんか。
そしてうちのメンバーの中で真面目そうな部員からの予想外の指摘に、表情は頑張って堪えたようだが、だいの耳がみるみる赤くなっていく。
「わっ、里見先生可愛い……っ!」
「はいはい、大人をからかうんじゃありません。そんなことよりちゃんと夏実のこと見てやれよ?」
「はーい」
こんなやりとり、俺からすれば最早日常茶飯事なので、俺はまともに取り合わずに茶化してきた木本を注意したが、追撃となった「可愛い」にやられたのだろう、隣のだいはいつの間に俯き加減になっていた。
まぁ、しょうがないからここは放っておこう。
今の気にするべきは、こっちじゃない。
俺は一人切り替えて、2番手ピッチャーと対戦する柴田の方へ視線を向ける。
初球は高めのボール球、2球目はインコースを厳しく攻められて、避けなければデッドボールとなるボール球。そして、3球目でベルト高のボールへ柴田が初めてスイングをして、真後ろに打球が飛ぶファール。
ここまではおそらく全てストレート。だが投球練習通りの荒れ球に、コースを絞ることは出来ないようだ。
こういう相手は、見極めを重視しつつ好球必打。ストライクゾーンの打ちやすいところで待つ
べきなのだが——
「広くねっ!」
少し打ち気が過ぎる柴田は、4球目のやや高めのボール球に手を出し、またしてもファール。
ボール先行からの、あっという間に
そんな柴田へ木本がしっかりボールを見るよう伝えたのだが——
「アウト!」
5球目に投じられた緩いボールを引っ掛けた柴田がファーストゴロに倒れ、1アウト。さすがにファーストゴロではご自慢の走力も意味はなし。
「くっそー! 3球目だったなー」
そしてベンチに戻ってきた柴田が悔しそうに今の打席を振り返る。
3球目だった、というのは3球目に投じられた甘いボールを捉えられなかった、ということだろう。たしかに柴田がスイングしたボールの中で、一番自分のスイングが出来ていたのは、その時だったとは俺も思う。
だが。
「4球目見送ってれば
「あー、そか!
「うむ、あのコントロールだしな」
戻ってきた柴田へ、俺は先ほどの打席の反省点を伝えると、俺の言葉の意図はすぐに伝わった。
もちろんこうやって話す時に片膝をつかせたりは決してしない。そもそも言葉遣いもご覧の通りって感じだしな。
「おっけ! 次は任せろ!」
「うし! じゃあ切り替えてけよ!」
「おう!」
そんな普段通りの会話から、最後は気を取り直して拳を突き出してきた柴田へ俺も拳を当ててやって、反省は終わり。柴田は木本の応援をしながら、他の1年メンバーたちの方へ寄っていく。
そして俺もランナー無しで木本がどんなバッティングをするのか少し楽しみに打席を見れば、
カキィィィン!
心地よく響き渡る打球音とともに、やや高めのボールを
「「ナイバッチー!!」」「走れー!」
その打球に当の本人は敢然と走り出し、ベンチからも歓声が上がり、一気にうちのベンチが盛り上がる。
そして湿ってきたグラウンドを駆け抜けて、悠々セーフのツーベースヒットで、1アウト2塁の得点チャンスがやってきた。
見方によっては柴田が出ていればタイムリーツーベースだったかもしれないとか、たらればを思うこともあるが、柴田が出塁していれば出塁していたで、木本は今みたいなバッティング重視のスイングはしてないだろうから、結果オーライ。
何より次はほら、初回先制の立役者である国見から、飯田さんに繋がるわけだからね。
「む」
ここから畳み掛けるように連打で追加点だ、と意気込んだ矢先、ちょっと予想外の展開が、俺たちに告げられた。
それと同時に打席に立っていた国見さんがバットを置き一塁へと向かっていく。
「ボール投げてないっすけど、なんなんすか?」
「申告敬遠って言ってね、投げなくてもバッターをフォアボール扱いに出来るルールがあるのよ」
「ほえー。そんなルールもあるのかー」
その光景に不思議さを覚えたのだろう、石丸さんがだいに尋ね、それに丁寧に答えるだい。
どうやら木本から食らったダメージは回復したいみたいだな。
「でも、タダでランナー出させてもらえてラッキーなんじゃないんすか?」
「そうね。普通は4番を前にする作戦じゃないわね」
石丸さんの質問に答えるだいの視線は、どうやら佐竹先生を見ているようだった。
そりゃまぁ、向こうの戦略で、だいと佐竹弥生の仲が良いとはいえ、自分のとこの上級生を前にこれやられたら、思うとこはあるよな。
「みなみ、相手に後悔させてあげなさい」
「はいっ!」
案の定ちょっと戦闘モードに入っただいは、声に気合いが入っていた。
そして打席に向かう飯田さん。
状況は1アウト1,2塁。普通に考えて、追加点のチャンスである。
そんな中で投じられた初球を飯田さんが打ちにいき——
「あぁっ」
誰とも知れず漏れ出た声は、チームの代弁だったろう。
打ち気になった飯田さんのスイングが、先ほどまで見せていたボールよりも遅く投げ込まれたドロップボールにスイング軌道を乱されて、ボテボテのピッチャーゴロとなり——
「アウト!」
「アウト!」
機敏なピッチャーのフィールディングから、流れるようにボールが回り、1-6-3の完璧なダブルプレーが完成し、相手のベンチと応援席から歓声が上がる。
それとは対照的に、当然こちらベンチは明らかな意気消沈。
しかも相手の敬遠策大成功ときたもんだから、俺としても正直かなり気分が悪い。
「勝ってんだからな! 切り替えてけよ!」
だがそれを表に出してはならないのが、監督というものだ。
感情を出すのは悪いことではないが、負の感情となれば話は別。
俺は守備へと向かう選手たちになるべく明るく声をかける。
「理央、ナイスバッティン!」
「まぁねー」
もちろん、ヒットを打った木本へはハイタッチでその成果を褒める。ここら辺の声かけは、大事なとこだよな。
「空振りする技術も身につけていかないとね」
「はい……」
「うん、でも落ち込むのは終わってからよ。みなみ、しっかりやりなさい」
「はい!」
そして、だいはだいで凡退した飯田さんを慰める。でも空振りする技術、か。意外とそれって難しいんだよな。
とはいえ、難しいから出来ないなんて言ってたら、いつまで経っても上にはいけないからね。新たな課題の発見ってことで、次に活かすとしましょうか。
「ボール、滑らなきゃいいけど」
「その辺は、流石に経験値でカバーしてくれるだろうさ」
「うん、信じる」
そして、気分が落ちたせいか、少しずつ雨が強くなっているような気もしてくる、嫌な流れが漂う中、俺たちは3回の裏を迎えるのだった。
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