第412話 采配は監督の醍醐味です
「みんなぁ!! 楽しんでこうね!!」
1回の裏、マウンドからフィールド全体を見回して、両手を上げて全体に声をかける市原。
その姿は夏の赤城を彷彿とさせ、ああ、こいつもしっかりキャプテンなんだなぁという実感を俺に与えてくれた。
「黒百合に見てもらえるなんて、光栄なことよね」
「もっと油断してくれてもいいんだけどなぁ」
「それをしないから、強豪校なんでしょ。それでなくたって、市原さんはけっこう注目の的よ?」
「え、そうなの?」
「うん。あの見た目だけでも目立つのに、ピッチャーとしてもすごいじゃない? 私も、去年の秋から星見台の市原さんは知ってたもの」
「そ、そうだったのか……」
だいの言う通り、現在この試合を見ているのは、第三試合の学校と、第一試合で勝利した黒百合学園の3校。しかも黒百合は、大会運営の手伝いをしてくれている部員以外、ベンチ入り・ベンチ外メンバー関係なく全員の観戦っぽいから、頭が下がる。
これは、下手なところ見せられないなー……、そう思って、俺は無意識に帽子の位置を直したりしながら、改めてマウンドの市原に視線を送る。
「プレイっ!!」
そして、審判の気合い十分なコールに応え、我らがエースの第1球は——
「サードっ!」
インコースに強気のストレートでも投げ込むと思った俺の予想に反して、投げ込まれたのは真ん中低めから少し落ちるハーフスピードのドロップボール。
バッターもきっとストレートを予想していたであろうところに投げ込まれた緩めの変化球は、見事にバッターのタイミングを外し、引っ掛けたボテボテのサードゴロを生み出した。
それを素早く前進してキャッチし、ファーストへ鋭い送球が送られ——1アウト。
「れーかちゃん、ナイスっ!」
「ナイスピッチ」
見事なフィールディングを見せた三宅さんに、市原が親指を立てて笑顔で称賛。
それを受けた三宅さんは……照れるでもなく、淡々と市原に返事をしていたが、練習の時から守備が上手いと思ってたけど、本番でもこれとは、恐れ入ったぜ。
そしてこのサードゴロを生み出した国見さんのリードも、正直びっくり。
だってあれだぜ? 市原って、ストレートでぐいぐい押していくタイプなんだぜ?
もちろん変化球だってないわけじゃないけど、まさかプレイボール直後の初球から緩い変化球で攻めるとは、全く予想外すぎて驚きだ。
たしかに1巡目は打たせて取ってけって言ったけど、まさかこの立ち上がりとは、恐れ入る。
ほんと、頼もしい1年だな、月見ヶ丘のメンバーは……!
そんな風に味方でよかったと思うメンバーを心の中で称賛しつつ、俺は視線を相手ベンチに向けてみる。
そこにはやはり、予想通りの光景が待っていた。
どんな光景かったら、そりゃもちろん。
凡退したバッターが、佐竹先生の前で片膝をつき、指導を受けているシーンである。
正直俺はこの光景が好きではない。
だって、監督があまりにも偉そうすぎるから。
まぁ昔だいもやってた指導ではあるんだけど、片膝を付かせるってのは、正直どうなんだって思うよね。
だが、今はそれを咎めることなど出来やしない。
だから今は、そんなことしなくても、いいプレーをさせることは可能だぞってことを、示すのだ。
「そらっ! ナイスピッチっ! 国見さんも、ナイスリードっ!」
片膝つく生徒を見た反発か、俺はいつもより少し大きな声で、そして笑顔に努めて、トップバッターを打ち取った市原たちを称賛する。
そんな俺にバッチリキメ顔ウインクを返してくれるとこからも伝わる、市原の絶好調。
すぐ顔に出るタイプだからな、ほんとにこいつの調子は分かりやすい。
そして——
「お見事でした」
「いやいや、国見さんのリードが冴えてるよ」
お互い自分の学校の生徒ではない選手を褒め称える状況が生まれるほど、余裕を持って1回の裏が終わる。
2番バッターが2球目をセカンドフライで、3番バッターも2球目をセーフティバント失敗のキャッチャーゴロ。
合計5球。
ピッチャーの肩とスタミナを消耗品と考えれば、本当に素晴らしいとしか言えない立ち上がりだった。
「完璧すぎてビビるわー」
「えへへっ! まぁね! でも、みぃちゃんのリードのおかげだよっ」
「そら先輩がしっかり投げてくれるからですよっ!」
ベンチに戻ってきた市原に俺は拍手を送り、今し方終えた投球を絶賛する。
だが、こいつの凄さは能力自体もあるけれど、素直に喜んだ直後、すぐに後輩の頭をポンポンとしてあげたところにこそ、本当の凄さがあると思う。
市原そらは、絶対に一人でソフトボールをやっていると錯覚しないのだ。
自分の能力がどんなに優れているとしても、そこを驕り高ぶらない。こいつは常に周りに声をかけ、笑顔で褒めることができるのだ。
しかもだ、普段の言動からも分かる通り、自分に自信がないわけでもない。
もちろん全国で通用するかとか、そのレベルの不安はないわけではないのだが、上手いくせに謙遜し過ぎて周りが扱いづらくなる、ということもしないのだ。
その天真爛漫さと相まって、嫌味なとこがないのだ。
つまりこいつは、選手としてバランスがいい。
いい選手だよなぁ。
2回の表の先頭バッターに向かうその姿を見ながら、俺は改めてそれを実感。
「ほら、前の人がいなくなったら、次のバッターはそこの円の中で待ちながら、スイングのタイミング合わせをするの」
「なるほど」
そして俺が市原を脳内で密かに賞賛し終わった頃、ヘルメットを被って辺りをキョロキョロする生徒の背中を押しながら、明らかに初心者向けの指示をするだいの声が耳に入った。
そうか、石丸さんはこれが初打席か。
こうして見ると、初物尽くしなのにあまり緊張している様子もない石丸さんのメンタルも、十分に賞賛に値するだろう。
市原からそんな彼女へ視線を移した時、ちょうど石丸さんと目が合うと、彼女はニカッと笑いかけてきて——
「監督っ! そら先輩出塁したら、バントですかっ!?」
なんてことを、何とも堂々と聞いてくる。
その質問の声はとても大きくて——
「……いいかい? そういうのはせめて小声で確認するもんだぞ?」
「むむ?」
彼女の大きな声での質問に、打席に入る手前の市原も、練商ベンチの何人かも、こちらを見ていた。
そりゃな、戦術的なこと大声で話してたら、嫌でも気になるよな……!
「さりちゃん! 私足速くないから、出れたらバントしてくれると嬉しい!」
「なんでお前は答えてんだよっ!?」
せっかく小さい声で聞くものだって教えたのに——まさかのキャプテンから返ってきたリアクションに、俺もつられて大声が出る。
この光景に練商のベンチが少し呆れたような気配を見せ、応援ベンチ側からは、確実な笑い声が聞こえてくる。
「言ったからには出ろよ!?」
「いえっさー!」
「えっと、それであたしはバントっすか?」
「そういうのは状況によるから、サインで確認ね?」
俺は市原へ、だいは石丸さんへ、何とも虚しいやり取りが行われる一幕に、正直穴があったら入りたい心地になるわけだが、もう過ぎてしまったことはやむを得ない。
ここは冷静に、冷静に。
そう自分に言い聞かせて市原の打席を見つめれば——
「ットラーイッ! バッターアウトッ!」
待っていたのは、思わず肩から崩れたくなるような、見事な三球三振を見せつけられるという結末でしたとさ。
「いやー、ダメでしたっ」
「そんなキャピキャピした顔で言うなそんなことっ」
まるでコントのような流れをかましながら、笑って戻ってきた市原に思いっきりツッコミを入れる俺。
そう言われて市原は少しだけバツが悪そうな顔をした後。
「いやはや、面目ないっ。さりちゃん! がんばっ!」
くるっと振り返って、打席に向かった石丸さんへ声援を送る。
まぁこの辺の切り替えは、評価に値するとこなんだが、なんというか、締まらない奴だな、ほんと。
「紗里、初球から打ちに行っていいからねっ」
「はーい」
そして打席に向かった石丸さんへ、だいからも指示が飛ぶ。
とはいえまぁ、ここで結果を期待するのはなかなか酷だろう。
石丸さんもしっかり練習してきてるのは知っているが——
「バッターアウッ!」
とね、コントロールのいい相手ピッチャーの前に、石丸さんが2球で追い込まれた後、最後は高めの釣り球で三振に倒れる。
まぁ、バッティングって経験が必要だからね。
「どんまい!」
「今みたいに怖がらずにバットを振れれば、必ず打てるようになるから、頑張りましょうね」
「くっそー、分かりました!」
戻ってきた石丸さんは市原と違ってちゃんと悔しがっていたので、文句なし。
そんな彼女へだいも優しい言葉をかけていたし、初めての打席で見逃しじゃない三振が出来たなら、いつかかならず上手くなるだろう。
そして9番の南川さんもショートゴロに倒れ、2回の表はこちらも三者凡退。
とは言えここで切れたのならば、次の回は柴田からの好打順。
結果的には悪くないと言えるだろう。
そして2回の裏も市原の好投で、サードフライ、ファーストゴロ、ピッチャーゴロと7球で相手の攻撃を退け、3回の表のうちの攻撃がやってくる。
「コントロールいいからな、初球の入りを予想して、その入りだったらどう攻めてくるか、ちゃんと予測してけよ!」
チーム全体にそんな指示を出した、矢先だった。
「練馬商業、ピッチャーとレフトを交代です」
「え? あ、ありがとうございます」
告げられた、審判からの言葉。
まさかまさかの、ものすごく早いタイミングの相手の継投に、俺は思わず佐竹先生の方を見てしまう。
だが、この選手交代を告げた佐竹先生は、こちらなど眼中にないようにマウンドの子を眺めながら、元から予定通りという風に、変わらぬ表情を浮かべていた。
つまりこれは、作戦ということだ。
こちらの2巡目に合わせた、継投作戦。
マウンドに上がった右投げの子の投球練習を見れば、先ほどの子よりもボールが速く、コントロールは乱れ気味。
なるほど、まるで別タイプというわけね。
だが、その程度の作戦でうちの打線が混乱すると思ってもらっては困るのだよ!
「夏実! ガンガンいこうぜ!」
「おうよー!」
誰が相手でも打てないようならば、明日の黒百合戦の勝ち目など欠片もないのだから。
俺は切込隊長の柴田に発破をかける。
そして始まる3回の表の攻撃。
審判のプレイコールとほぼ同時に、ぽつりぽつりと小雨が散り出すのだった。
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