第409話 戦いはもう始まっている

「ん……」


 目覚めの朝、重たい瞼、おやすみなさい……。

 一度うっすら目を開け、何かを確認するかのように小さく顔を左右に動かし、別に何も確認せず、すぅっ、と再び目を閉じていく。

 とにかく、眠い。

 その気持ちが俺の全身を支配して、快楽が待つ世界二度寝へ真っしぐら、と思った、その時。


「あ、そろそろ起こそうと思ってたけど、起きたんだ。朝ごはんもう出来るから、食べよ?」


 世界が閉じられる直前、たしかにぼんやりと見えた誰かの姿があった。

 そんな俺の瞼の動きに気づいたのだろう、こんなにも眠い俺とは対照的に、はしゃいでるわけではないが、どこか弾むような声が、耳に届いた。

 普段寝起きがいいのは、俺の方なのになぁ。

 そう思いながら、俺は快楽の呼ぶ方へ堕ちていき——


「こーらっ。ちゃんと起きないとダメだよ?」


 止められた。

 そして、ふわっと香ったいい匂いと再度聞こえた声は、俺の身体の揺さぶりとともにやってきた。

 掴む肩の力は強いのに、どこか奥ゆかしさも感じるような揺さぶり。だが揺れていることに違いない頭は、流石に眠り続けるなんて出来なくて。

 俺は少し「ううん……」と唸ってから、まだ半分しか開かない瞼を開けていく。

 

「はい、起きてっ」


 そう言って俺の顔を両手で挟むように持って、自分の顔と向き合わせてきた顔は、何だか楽しそうな雰囲気で、相変わらず綺麗だった。

 数秒間、眠い俺と楽しそうな彼女の顔が見つめ合い——


「はい、おはようのハグ」


 顔を挟んでいた両手は俺の後ろへ回り、言葉通り、今度は身体全体が包み込まれ、先ほども感じたいい匂いが、再度俺の鼻腔へ届けられる。

 その身体へ、ゆっくりと俺も腕を回していくと、俺を抱きしめる力が、少し強くなった。


「……そこはキスじゃないの?」

「それは行ってきますの時にします。……というか、起きたらまずなんて言うべきなの?」

「あ、おはよう……」

「うん、おはよう。よく出来ました。じゃあとりあえず目覚ましがてら、顔洗ってきなさい。その後、ご飯食べよ?」

「んー……」


 そんなやりとりをしながら、綺麗な顔の女性が出してくる指示に従い、起きあがろうとする俺を、彼女の腕がサポートしてくれる。

 そうやってようやく身体を起こし、俺はあくびをしながらよろよろと洗面台へ向かって行くわけだが、しかし、腰が痛い。

 いや、痛いというか、疲労感がすごい。


 その感覚が思い起こさせる、昨夜……というか、おそらく数時間前のこと。

 あー、そうだ。俺、お仕置きされて……あれ?


 思い出した記憶を辿り、俺の首に残っているであろう跡を洗面所の鏡の前で確認しようとしたのだが——


「あれ?」


 だんだん起きてきた頭で鏡を確認するが、ぱっと見内出血の跡なんか、どこにもない。

 いや、でもあの時の強さを考えれば、絶対しばらく消えないレベルの強さでマーキングされたと思ったんだけど……そう思って、色んな角度から確認したり、首周りを触って確認していると——


「あ。あんまり触ると落ちちゃうよ?」

「え?」


 だいの言葉と合わさるように、丁度触れた部分の手触りからも伝わった、自分の素肌ではない、何かが塗られている感触。

 それは自分の肌につけられた跡を、うっすらと見えるか見えないかまで、薄くしてくれているようだった。


「ちゃんと隠してね? 先生なんだから」

「いや、おま……」


 隠してくれたのもだいなのだろうが、付けたお前が言うのかよと、俺はだいにちょっと呆れ顔をしてみせるが、昨夜のことを掘り起こすのは、朝からちょっと憚られたのでとりあえず深くはツッコまないことにしておいた。

 というかもう、気だるさがツッコむ気力に勝るのだ。

 まぁきっと生徒たちは、朝から今日の試合に向けて気合をいれているだろうから、俺がちょっと気だるげなくらいでいい釣り合いも取れるだろう。

 バランスはね、大事だよね。


 そんなことを考えながら、俺と大して変わらない睡眠時間にも関わらず、やたらと調子の良さそうなだいと朝ごはんを食べ終えたのが、午前7時半くらい。えーっと、起きたのを7時とすると……4時間も寝てないのか、そらつらいわけだ。

 今日は早寝しようと思いながら、朝食後のそのそと準備を終えた午前8時ジャスト。生徒集合より多少早く会場に着くように、お互いへ行ってきますのキスをして、秋晴れの中、俺たちは二人揃って新チーム最初の大会へと、出発するのだった。



 午前8時36分、新宿区にある、私立黒百合学園正門前。


「おはよっ」

「おはようございます」


 俺とだいが集合場所に着いた時、既にいたのは、別々な制服を着た二人の女子高生だった。

 片方は元気で構成されてるとしか思えないほど満面の笑みを浮かべる、髪が輪郭を覆えるぐらいの長さのショートカットの女の子で、笑顔が馬鹿みたいに可愛い、もう見慣れた制服と顔をしていた。

 そしてもう片方は、隣の女子高生よりも短めのショートカットの女の子。隣の子とは打って変わって、真面目な顔つきで、礼儀正しく俺らに一礼をしてくれた。

 ……まぁ俺らに気づくまで、すごい楽しそうな笑顔だったのには、とりあえず黙っておこう。


「おはよう、美奈萌、市原さん」

「よーっす」


 そんな二人に俺とだいもそれぞれ挨拶し、改めて市原を観察してみたところ、予定通り昨日の朝までの不調は見られない。

 ならば気持ち一つで、絶好調ってとこだろう。

 よし。


 そんな確認を俺が胸の内で行っていると——


「倫ちゃん、おつかれ? でも里見先生はいつもより元気そう……むむ?」

「え? いやいや、元気元気。朝だからそう見えるだけじゃねーの?」

「えー、朝のHRの時もうちょい元気だよー?」


 ……なんだろう、このドキドキ感。

 別に普段ならさらっと流せるやりとりなのに、昨夜の色々が思い出され、変な緊張感が俺を包む。

 もし首のアレが見られたら、気付かれたら。

 そんな不安もよぎり出す。


「あ、もしや今日の試合緊張して寝れなかったとか!?」

「え、あー」

「心配性だなぁ倫ちゃんはー。私がみーんな抑えちゃうからね! 笹舟に乗ったつもりで期待してててよっ」


 だが、いいように俺の不安を勘違いしてくれた市原が、胸を張って俺に朝から全開のドヤ顔アピールをしてくれたのだが……。


「そら先輩の作った船なら、大海原まで一直線ですもんね!」


 優しすぎる国見さんのフォローこそあれ、あまりにも堂々とした市原の物言いに、だいは絶句し、あんまり見たことないような顔で驚いている。何だろうね、UFOかUMAでも見つけたのかなー? 残念、これはただのSORAです。


「人間の重みに耐えられる笹舟があってたまるかおい。その笹はパンダにも食わせてろ」


 だが、間違いを間違いのままにしておくのは教員として正しくないので、俺はため息をついてから市原にツッコミをいれて、正しい知識を注入する。


「覚えとけよ? 人が安心出来るのは笹舟じゃない、大船だ。おっきい船だ。笹に人は乗れない。パンダが食うものだ。人間が乗れるのは竹馬くらいだ。OK分かったな? じゃあ正しく言い直してみよう。はい!」

「笹はパンダを食べる!」

「怖すぎるわ!」


 正しい知識を伝えたつもりなのに、教育とはなんとも難しいものなのだろうか。

 はぁ……。


「おっきい船に、竹馬で乗る?」

「いや、もういい。大丈夫。船に乗る時は普通に乗ってくれ」


 こんな馬鹿全開の市原なのに、なんで国見さんはそんなに羨望の眼差しを送れるのだろう。

 だいは……あ、なんか一周回って考え込んでるね。いやぁ、でもこれで世の中の広さを知れただろう。よかったな。


 でも俺もこのやりとりのおかげで、疲労感と眠気が少し紛れた。

 あ、いやもちろんあれね、市原の人生に対する不安という疲労感は増したけどね。


 そんな、大会当日の緊張感もないやりとりをしている内に——


「里見先生、北条先生、おはようございます」

「っはよーございまーっすっ」

「おはようございます」×4


 と、月見ヶ丘の子たちがやってきて——


「そら先輩、倫ちゃん、里見先生、みんなおはよー」

「おはよーございまーす」

「ざまーす」


 そのちょっと後に、うちの一年たちもやってくる。

 

 挨拶の仕方とかは、もう今更細かいことは言わないさ。

 あちらはあちら。こちらはこちら。

 まずは全員が時間を守れたから、それでよし。


 そんなこんなで、午前8時57分、星見台&月見ヶ丘のメンバーが全員集合したので、だいに全員を連れて更衣室へ向かってもらう。

 何はともあれ、全員揃ったことでひと段落。


 そう考え、ホッと一息撫で下ろしていた時に——


「おはようございます。今日はよろしくお願いします」

「あ。おはようございます。こちらこそ、いい試合にしましょう」


 動きやすそうなジャージ姿の女性に声をかけられ、俺はその人に軽くお辞儀をしてから返事をする。

 前に会った時はスーツ姿で、真面目そうな雰囲気がスーツとよくマッチしていた記憶が強かったのだが、着慣れた感じのジャージ姿は、彼女がちゃんと運動部顧問であることを伝えてきた。


「練商の子たちは、これから集合ですか?」


 とはいえ、格好がスポーティになったとはいえ、相変わらずの真面目そうな雰囲気は変わらない佐竹先生に俺が質問すると——


「いえ、次に戦う相手のアップから見て、戦う時の対策を考えるように伝えていますので、もう集合していると思います」


 ……あ?

 っと、危ない、顔にでかけた。


「おー。それはそれは」


 うちにあげて、一緒に夕飯を食って、LAやってるとこ見せて。そんでもってだいと仲良しなのも知ってるけれど。

 何とか笑顔を保ったつもりだが、今ばかりはたぶん、俺と佐竹先生の間にバチバチと火花が散っただろう。


「それでは、里見先生にもよろしくお伝えください」

「はい。ではまた試合前の時に」


 俺たちの試合の前の試合は、俺たちの勝った方が次に当たるであろう、黒百合学園の試合だ。

 そこの試合自体は俺も見せるつもりだったが、まさかアップから見ておけと言うとは、いやはや、ねぇ。


 今のやりとりで、完全に眠気も何もが吹き飛んだ。


 見せてやるぜ、俺たちが乗る笹舟が、実は豪華客船だってところをな……!


 よく晴れていた空が少しずつ曇り出す中、上がっていかない気温とは対照的に、俺はこの試合に対する熱い気持ちを高めていくのだった。

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