第406話 背筋が凍る 秋の夜更けよ
「ねぇ、何の話なのかしら?」
まるで吹雪のような寒さを感じさせ、狭い我が家に響く声。
背筋を凍らせるその気配により、冷え切った血液が全身を巡り、まるで身体が凍っていくような、そんな錯覚まで覚えるかのようだった。
〈Reppy〉『つーか、何でレイがリアフレなんだ?元から知り合いだった、ってわけでもねーだろ?』
〈Rei〉『ふふふー。羨ましいですかー?』
〈Reppy〉『いや、別に』
振り返る勇気が出ないために、目の前のモニター上では頭文字Rの会話が続くのが目に入るが、キーボードを打って何か言うことも、うまくできそうにない。
だが、この空気のまま、耐えることもできるわけがない。
「え、えっと、昨日の夜、レイさんから話があるって言われた、じゃないですか? その時、個別メッセで直接話したいって言われて、ちょっとだけ、話を聞くために、会いました……」
意を決して俺は椅子から立ち上がり、そーっと振り返り、だいに恐る恐る昨夜の出来事を伝える。
「ふーん」
その俺の決死の言葉に対し、返ってきた音は、これ以上ない冷たいものだった。
「は、はい……」
だが、弁明を始めた以上、もう逃げることは出来ない。
ありのままの事実と、謝罪を伝えるしか、もう出来ないのだ。
声だけではない、真っ直ぐ向けられた視線の冷たさにも耐えながら、俺はだいの言葉を待つ。
「それで、何でその事実を私は今、パーティチャットの中で知らされてるわけ?」
「いや、あの……」
「いい。どうせ夜遅くでも私に言ったら、私も同席するって言い出しかねないとでも思ったんでしょ」
「ちっ、ちがっ——」
そして冷たく、投げやりに、俺に失望するように告げられた言葉を俺は反射的に否定しかけたのだが——
俺は本当に、その言葉を完全に否定出来るのか?
たしかにあの話はレイさんから、誤爆チャットで誤ってだいに伝わるのを避けるために、直接会って話したいと言われたものだった。そして話された内容はだいの知らない、俺が伝えていない話だったから、あの段階ではレイさんの判断は平和的解決を期するものだったと思う。
でも、俺がだいにレイさんと会って話してくるって、伝えることは十分に出来た。スマホは持ってたんだし、家を出る前でも、合流するまでの間でも、いつでも連絡は出来たんだ。
でも、しなかった。
事後報告の連絡すら、しなかった。
なぜしなかったのか?
それは、平和的に解決したかった、から。
今回のことが伝わると、面倒だと思った、から。
俺は伝えないことが、だいを不安にさせないことになると、そう思ったんだ。
「前に莉々亜が夜に来たって時、言ったよね」
だが、だいの言葉を否定し切れずに、黙る俺に彼女の言葉は冷たく迫る。
「何かあったら言ってって、言ったよね」
そしてこの言葉を言われたのも、当然覚えている。
あの冗談なく本気だった物言いを、俺はたしかに覚えているのだ。
だからこそ、俺は罪の意識に無意識に目を伏せ、弁明も出来ない。
「面倒だよね。重い女でごめんね」
だが、その言葉で俺はまた顔を上げる。
謝るべきは、俺なのに。
でも、冷たい声は悲しみの色を帯び、責めるようだった視線はもう、俺を見ていなかった。
「やっ、だいが謝ることじゃ——」
俯き加減になっただいへ、俺はその言葉を否定しようと口を挟もうとするが——
「明日は試合だし、私、もう寝るね」
「あ、う、うん……その——」
「いいよ、謝らなくて。ゼロやんも早くログアウトしなね」
「え、あ、うん」
遮るように言葉を被せてきてだいは、そのまま何度かキーボードを叩いてから、少し時間を置いて、パタンとノートPCが閉じられる。
その様子を、俺は黙って見ているしか出来なかった。
そして立ち上がっただいが。
「お手洗い借りるね」
と、部屋を出て、電気も付けずにトイレのある玄関側へと行ってしまう。
その姿が見えなくなってようやく、もし外に出て行ってしまったらと考えた脳に身体が追いついて、一歩二歩玄関が見える位置まで身体を動かすことができたけど、その直後にトイレのドアを閉めたであろうバタンという音が聞こえたから、俺の心配が杞憂に終わる。
では、次に何をするか。俺はだいに言われた言葉を思い出して、身体を反転させ、自身のPCの方へ向き直る。
画面上では急に黙り込んだ俺とだいに何事かと言っている二人のログがいくつか並んでいたが、その会話に参加する気には、全くなれず。
先程だいが送った『おやすみなさい』に合わせるように、俺も『ごめん、落ちる』とだけログを残して、二人に何の説明もせずにログアウト処理を進行する。
勘のいいレッピーのことだ、この一連の流れから何かしらの真実に行き着くかもしれないけど、今はそんなことはどうでもいい。
「あー……」
自分の至らなさにイライラして、俺は髪をぐしゃぐしゃと掻きむしる。
当然このまま今日を終えることは出来ない。
ちゃんと謝って、
言い訳も何もなく、許されるかも分からないけど、悪いのは俺なんだから、謝らなけらばならないのだ。
そんな気持ちで俺は、PCデスクの椅子に座ったまま、暗がりへ視線を向け、だいが戻ってくるのを待つ。
待ち時間が、すごく長く感じた。
どのくらい待ったのだろう。
その時間が、まるでだいが闇の世界に行ってしまったのではないかという思いを育み、どんどんどんどん不安が募る。
実際には待ったのは数分なのだろうが、そんなに長い時間でもなかったはずなのに、すごくすごく、長かった。
そしてようやく、暗がりの奥から俯き加減にだいが戻ってきたと戻ったら——
ピッ、と聞こえた音とともに、訪れた暗闇。
部屋の電気を消された、それは分かる。
だがその暗さに俺は視界の全てを奪われ、戻ってきただいの姿を見失った。
辛うじて視界が効かない部屋の中で、ボフッと音が聞こえてきたことで、だいがベッドに横になったのは理解出来た。
そんな状況に、俺はただただ立ち尽くし、目が暗順応するのを待つが——
「こっちに来なさい」
と、少し強い語気の言葉が聞こえ、俺は逆らうことも、何かを聞き返すことも出来なかった。
そしてただただ黙って勝手知ったる我が家を、テーブルにぶつからないようそろそろと進み、ベッド脇に立つと——
「おわっ!?」
近づくまで、気付かなかった。
暗い部屋の中、ベッドに横にならず、だいは座り込んでいたのだ。
そして座ったままのだいに左手首を掴まれ、そのまま思い切り引っ張られる。
その予想外の展開に俺は為す術なく体勢を崩されるが、だいを視界から見失いたくない一心で何とかうつ伏せになるのを避け、背中側からベッドに倒れる形になった。
その直後、倒れた俺の上に——
「あ、あの……だいさん?」
腹部辺りに感じる重みから、現在の状況が伝わってくる。
いや、この時にはもう目もだいぶ効いてきたので、俺にまたがるだいの表情も、暗がりの中視認出来た。
その表情は……冷たく、なかった。
「え、えっと……」
見上げる先の美しい顔は、まるで彫刻か絵画のように、美しく微笑んでいた。
だが、楽しそう、というわけではない。
そこにあるのは、今まで見たことがないだいの表情だった。
「ご、ごめん! 本当にごめん! やましいことは何もないんだけど、時間が時間だったし、仕事もあるんだから、早く寝てもらわなきゃって、結局だいに伝えないままになってて——」
「いいよ、もう」
「え?」
見上げた先の表情が怖くて、俺の口から出たのは謝罪と言い訳。
そんな自分の情けない言葉が、自分の心にもグサグサと刺さる中、告げられた、短い言葉。
そして仰向けに倒れる俺の方に、覆い被さるようにだいが顔を近づけてきて、顔と顔がぶつかる少し手前で、その顔が少し左に逸れた。
そして——
「言うことを聞かない子は、お仕置きです」
耳元で囁かれたその言葉に、背中がゾクッとして、金縛りにあったかのように、身体が動かなくなる。
「え、だ、だいさん?」
何の冗談かと、俺は震えた声で聞き返すが——
「悪い子には、お仕置きです」
「ひうっ!?」
繰り返された言葉と共に、耳を噛まれ、思わず変な声が出る。
「いい子にするんだよ?」
上半身を起こして再度見上げる形となったその顔は、どこか悲しくもあり、だがそれ以上に、何だかとてもとても、楽しそうに見えるのだった。
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