第401話 心のかたち、人のかたち
「こんな夜中に、なんか申し訳ないですー」
「あー、いやいや」
うみさんを先に外へ出し、彼女の後ろを歩く形で、再びの屋外へ。
前を歩く形の彼女は、後ろ手を組みながらまるで散歩にでもいくような様子で、夜の光を受けて輝く金髪をふわふわと揺らしながら、階段を下りていく。
その姿を眺めながら、改めてこの後のことを考える。
既に時刻は0時30分を過ぎ、あと8時間後には今日の勤務が始まっている時間であり、誰がどう見ても夜中である。
だから今からの長話は、避けなくてはならない。それが明日というか、今日の仕事に備えるために俺がやるべきことである。
とはいえ、こんな時間に女性を一人で歩かせるわけにはいかないから、話し終わって、彼女を家まで送り届けるのが男としての礼儀だろう。
まぁ元から夜に呼ばれた時点で、時間に関係なく、話し終えたら送っていくつもりだったけど……。
そう思いながら、階段を下り終えた彼女の隣に、一歩半ほどの距離を置いて立ち止まる。
しかし改めて思うけど、本当に綺麗な人なんだよな。
サラサラとした金髪に、縦長でも丸顔過ぎることもない、顔のパーツとベストマッチした輪郭。ハッキリとした二重と大きな瞳。すっと伸びた鼻梁と、バランスのいい小鼻。薄めだけど形の良い唇。
彼女と似ている妹を見慣れているからこそなんとか普通に話を出来てもいるが、妹にはない大人っぽさも備えているのだから、油断すると目を奪われそうになるんだから、本当参るよね……!
「んー? 私の顔に何かついてますかー?」
っと!
立ち止まって、先ほどまでの話を再開と見せかけて、ちょっと長くうみさんの顔を見過ぎてしまったが、小首を傾げて問いかけてくるその姿もまた可愛らしく、不覚にも一瞬反応が遅れてしまった。
「え? あ、いやいや。改めて、妹さんに似てるなぁって思っただけですよ」
そんな反応の遅れと視線の理由を、誤魔化すように軽く笑いながら俺が答えると。
「そら、可愛いですよねー」
返ってきたのは予想外な返事だった。
そら、市原そら。俺が担任するクラスの生徒で、俺が顧問を務める部活の生徒。
その生徒に対し主観を混じえた言葉を使っていいものか。しかも相手は、その姉だ。
しかし、少しばかり彼女の言葉にどう返すか考えたが、どう足掻いても客観的に市原そらが可愛いというのは否定出来ることではない、ので。
「そう、ですね。それはそう思います」
と、俺が同意すると。
「お、正直ですなぁ?」
「いや、そりゃ……本人の前では言わないですけど、客観的に見たら事実、ですし……」
「あははー。素直でよろしいと思いますよー?」
なんて楽しそうというか、嬉しそうに茶化すような言葉が返ってきて——
ん? 嬉しそう?
「つまり、私のことそらに似ているって思ったなら、私のことも可愛いって思ってるってことですよねー?」
自分の中で目に入ったうみさんの様子を疑問に思うや否や、ニコッと笑いながら、空けていたはずの一歩半を詰めて、俺の顔を覗き込んでくるうみさんは、ズルいくらいに可愛かった。
この感覚は、そう。
オフ会の時にゆめを相手にしている時と同じ。
自分を可愛いと分かっている人の振る舞いに対する感覚で、彼女は意図的に、確信を持って俺が動揺することを狙ってやっていると、分かっているのに——
「あ。照れてますなー?」
「や、やめてくださいってっ」
結局可愛いは可愛いのだ。
この可愛さを、意図的なものだから
簡単に詰められた距離から、覗き込んでくる彼女の視線から逃れることが、俺の精一杯なのだから。
「そ、それより、さっきの話の続き! 続き話しますよ! もうこんな時間ですし、うみさんにも明日の予定があるでしょうし!」
「んー?」
そしてこの状況からさらに逃れるべく、俺は話題転換を試みるも、俺を捉えた視線は、楽しそうな色を浮かべたまま、逃してくれなかった。
「倫ちゃん、私のことタイプでしょー?」
「え? い、いや、そんなことは——」
「目に書いてますよー?」
「——ッ!?」
ニコッと微笑んだまま覗き込んでくる彼女の表情から目を離せない。
書いているなら顔じゃないのかよ!? とツッコむことも出来ず、俺はただただ動揺した。
彼女が何を意図してこんなことを言ってくるのか、分からない。
ただ分かるのは、自分の心臓の鼓動がやたらと速くなっていることだけ。
「か、からかわないでくださいよ……!」
「からかってるわけじゃないですよー。純粋に、私は嬉しいですけど?」
「いやいやいや……!」
「あ、でも、私と似てるそらに手を出されたら困っちゃいますけど」
「いや!? それは天地神明に誓って絶対に有り得ませんから!」
「ほほー?」
「第一! 俺には彼女がいますから!」
「それは知ってますよー?」
「だ、だったら! 尚更からかうのはやめてくださいって……!」
「はーい」
「だからっ……って、あれ?」
「んー? どうしました?」
「あ、い、いや、何でもないです……」
「おやおや? もしや、口では嫌がって、本当のとこは違いましたか?」
「ち、違いませんから!」
俺を覗き込む姿勢から、あっさりと引き下がった彼女へ、俺は拍子抜けして思わず間の抜けた声を出してしまったが、楽しそうに俺をからかっていたうみさんは、本当にあっさりとそのからかいをやめた。
やめてなおのいじりこそあれ、いつの間にやら元々最初に話していた物理的な距離感にも戻り、俺のことを楽しそうに観察している。
ど、どういうことだ……!?
「彼女がいるなら、大事にしなきゃですからね」
「も、もちろん、はい」
そんな一歩引いた距離が、何だろうか、どこか悲しく……というのは適切ではないが、何だろう、さっきまでは離れて欲しかったはずなのに、急にどこか物足りないような、そんな気持ちが、どこかにいるようないないような……。
そんな自分でもよく分からない感覚が胸中にあるような、そんな気がしたのはなぜだろう。
……いじられ足りない?
いやいや、俺はそんなMじゃない!
ううむ……。
「来るもの拒まずだとしても、距離感はちゃんと守らないと、です」
「え?」
「フィールド全開っ、って守るんですよー。守りたいテリトリーは」
「……はぁ」
「むぅ。分かってますー?」
「いや、ええと……」
戸惑う俺に対し、うみさんが急に少しだけ真面目な顔つきになったと思えば、今度はいきなり両手を前に突き出して、さも「バリアー!」とでも言いそうなジェスチャーと共に、某ネタを引用して何やら主張してきたのだが、その唐突な切り替えに、俺は何が何やら理解し切れず。
そんな俺をよそに、頬を膨らませた後、またしても切り替えた彼女は、理解出来ていない俺に構わず言葉を続けた。
「私は倫ちゃんと直接お会いした時間は短いですけど、こうしてお話してても、一緒にLAやってても、どことなーく、匂うんですよねー」
「へ? に、におう?」
「はいー。あ、この人フィールド弱いなー、って」
「え?」
「普通の人が近寄らせない距離まで、簡単に他人を近づかせちゃう人だなー、って」
そんな彼女の言葉へ、俺は……沈黙。
でも彼女の言葉を否定しないということは、肯定するわけではないが、無意識下で彼女の言葉を否定できないと判断したからなのかも、しれない。
「だから私もホイホイと近付いてしまったわけですがねー。いやぁ気づけてよかった、危ない危ない」
沈黙する俺に対してかは分からないが、そこでうみさんは笑った。
いや、その笑い声は……どこか自嘲するような、そんな風にも聞こえたかもしれない。
「そらにも聞いてますし、倫ちゃんは優しくて、本当に誰にでも優しい人なのは分かってますよー。それがたぶん、倫ちゃんのアイデンティティなんだろうなってのも、こうしてお話してて感じましたし」
だが自嘲気味に笑ったように思えたのはさっきの一瞬だけだったようで、再度うみさんが語りモードとも言うべきか、微笑みモードではない表情に戻って話し出す。
俺と風見さんの話を、俺がするんじゃなかったか? なんて、いまさら言い出せないような、そんな雰囲気が、俺と彼女の間には漂っていた。
いや、むしろ俺は、彼女とこんな話を続けることを、望んでいたんだと思う。
「でも、周りからするとそのフィールドの弱さは、ポカポカさせてもらえちゃうから、ついつい引き寄せられちゃうこともあるんですよー。倫ちゃんといると、ポカポカする、です」
いや、ポカポカて……。
まぁ、〈Rei〉さんならいいか。
「ポカポカは気持ちいいですからね。そんなぬるま湯に浸かってたい気持ちは分かります。たぶんだけど、〈Hideyoshi〉さんもそんな気持ちだったんじゃないですかねー」
でも……俺のそばにいると、ポカポカする?
いや、正直俺からすればその意味は分からないんだけど、何やら確信めいたものを持ってそうなうみさんの瞳と言葉には、不思議な説得力があって、俺は反論の言葉を口に出せなかった。
「何よりですよ? こんな時間に、私がさっきあんな振る舞いをしても、いきなりこんな話をしても、倫ちゃんはちゃんと私の話を聞いてくれてるじゃないですか? 普通真面目になんか聞いてもらえないと思うんですよ、我ながら。ほんと、これは分かっててもホイホイされちゃいますよねー」
だが、真剣な語りモードもここで終わって、またしてもニコッと笑ってから、微笑みモードで俺を見る。
その不意な笑顔の可愛さに思わず俺は目線を逸らしてしまったが、いかん、うみさんは真剣に話をしていたはずなのに、失礼だっただろうか……!
と思ったのだが。
「もー、今更そんな反応しても遅いですー。ずっとちゃんと聞いてくれてたじゃないですかー。……あ、こういうの、哲学対話っていうんでしたっけ?」
なんてことを言って、俺の腕をポスっと叩いてくる。
いや、それこそ可愛くてズルいボディタッチだろと思わずにはいられなかったが、俺を叩いた後、うみさんはまたしても笑っていた。
でも、まさか哲学対話なんて言葉がここで使われるなんて。
その俺馴染みした言葉に、先ほどからじわじわ感じ始めていた彼女への好感度が、上昇していく。
「あ。でも倫ちゃんにフィールドがないわけじゃないのも分かってますよ? なかったら溶けちゃうわけですし」
「いや、人間は溶けないでしょ」
「あははー。溶けたらバターになっちゃいますねー」
「そんな虎じゃあるまいしっ」
そんな気持ちと彼女の笑顔に当てられて、俺は久々に声を出してツッコミをいれたけど、いつの間にか俺も笑っていた。
なんだろう、1時間くらい前は、何だこの人って思ってた時もあったのに、いつの間にかそんな気持ちもなくなっている。
不思議と話しやすい、そんな感覚が、今は芽生えていた。
「ナイスツッコミー」
「いや棒読みじゃないすかっ。ああもう、俺よりもうみさんこそフィールド弱々なんじゃないですか?」
「むむ。私のフィールドは固いですよ? 私は分かったわですから。ずっと守ってくれてるフィールドの意味ですから」
「いやそれもう日本語不自由すぎてママも混乱しますから。そんなフィールド無効ですよ」
「むむ。パターン青……?」
「人を人間の可能性みたいに言わないでくださいっ」
そしてこんな話をして、お互い顔を見合わせて——
「あははー」
「はははっ」
二人して笑った。
もう元々何の話をしてたのかすら思い出せないレベルなのに、既に外で話し始めてだいぶ時間が経ってしまった気がするのに、そんなのも気にせず、俺たちは笑った。
夜分遅くに近所迷惑だったらごめんなさい。
そしてひとしきり笑い合って——
「倫ちゃんのこと、だいぶ分かった気がしますので、そらには勘違いでした、変なこと言ってごめんねって、ちゃんと伝えますね」
「あー、そうでしたね。はい。お願いします」
「あとは、私のスキルカンストまでお付き合いお願いしまーす」
「それは、ログイン率次第かなぁ」
「むぅ。言っておきますが、倫ちゃんたちがいない時も私いること多いですからね?」
「おっと、それは失礼」
「まったくですよー」
さらさらと自分の口から言葉が出てきて、まるで旧知の中のような会話が、自然と行われた。
そんな空気感に、やっぱりこの人こそフィールド弱めなんじゃないかって、正直思う。
「あ、そういえばこの前倫ちゃんと遊ぶようになったことおじーちゃんに言ったら、チャンスあったら誘ってって言ってましたよー」
「え、おじいちゃん? ……って、ああ! せみまるさん?」
「ですです。遊んだことないですか?」
「いや【Vinchitore】の幹部と遊んだこととか——」
ない、と勢いで言いかけて、俺はハッと言葉を止める。
だって普通に、あるじゃんな。
01サーバーの【Vinchitore】の幹部ったら、それはもう廃神軍団なわけだが、その頂点であるギルドリーダーのルチアーノさんやその妹とは一緒にプレイしたことがある上リアルに知り合いで、くもんさんや、やまちゃんもリアルの知り合いで、元幹部のジャックはギルドまで同じなのだから、せみまるさんは別として、幹部と遊んだことがないなんてのは大嘘だ。
いつぞや【Vinchitore】のギルドハウスに呼ばれた時に他の幹部メンバーとも言葉を交わしたわけだし、繋がりがないわけではない。
「遊んだこととかー?」
と、一人考えふけって止まった俺に、うみさんが不思議そうな顔を浮かべて続きの言葉を尋ねてくる。
その無垢な雰囲気は、やはり彼女の妹を彷彿とさせた。
「遊んだことはありました。でも、せみまるさんは話したことある程度で、遊んだことはないっすね」
「おー。さすが倫ちゃん。じゃあ、今度私がガンナーやるので、倫ちゃん盾で、大剣のおじいちゃんと一緒にスキル上げしましょー」
「大剣!?」
「おじいちゃんのくせに振り回してるのは圧巻ですよー」
「たしかにそれは見てみたい」
「じゃあ、約束ですー」
「了解」
そして勢いのまま、せみまるさんの予定も組み込んで約束を結ぶ。
俺の返事にうみさんも嬉しそうで、俺も何だか少し温かい気持ちになる。
警戒したり、見惚れたり、短時間の間に彼女に対して持った感情は本当色々あったのだが、気づけば残っていたのは、話しやすい人だなって好意的な気持ちのみ。
フィールドうんたら言い出した時は何事かと思ったけど、その元ネタは、
でも俺のフィールドが弱いっていうなら、たぶん彼女も同じなのだ。
彼女は人を惹きつける。近寄らせる距離は、彼女だって近いだろう。
そして、妹の人懐っこさはきっと姉譲りなのだろう。
そんな人物評価が、俺の中で完成した。
「じゃあ、そろそろ帰りますねー」
完成した、そう思ったタイミングで言い出された、帰ります宣言。
何というタイミングか、と思ってスマホの時計を確認すれば、AM1時30分の表示で、そのキリの良さにも驚いたが。
「こんな時間ですし、送ってきますよ」
話していて楽しかったとはいえ、名残惜しさはさすがにない。
でも、夜道を歩かせるには、遅すぎるから。
送っていきます、この言葉がごく自然に俺の口から出ていった。
「いやいや悪いですよー」
そんな俺の提案に、彼女は口でこそそう言ってきたが……その表情は明らかに謙遜とか、提案を断ろうとしている様子には見えなくて。
「思ってないでしょ?」
って俺がツッコむと。
「バレましたか」
と、可愛らしくてへぺろな表情を見せてきたせいで、俺は思わず笑ってしまった。
たぶんこれが彼女の素、なんだろうなぁ。
「では、あと数分どうぞよろしくー」
「はいはい」
「あ、送ってもらった後の倫ちゃんが一人で可哀想だから、私が送ってあげましょうか?」
「いや送った意味!」
「今ならこそこそ見守るサービス付き」
「よくそれ自分からネタに出来ましたね!?」
「う?」
「え、天然!?」
とまぁ、歩き出してからの道中も最後まで彼女はこんな調子のまま、無事に俺に送り届けられてくれた。
ちなみにうみさんが住んでいるという場所は、彼女が言っていた通り本当にうちから近くて、うちからだいの家までの半分の距離にも満たない近距離だったのには驚いたが、そのおかげで俺が家に戻ってくるまでにそんなに時間がかからなかったのは、不幸中の幸いか。
こうして、俺はこのトラブルに見舞われた夜の
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