第379話 夜中の邂逅
突如聞こえた大きな声。
背後から迫る何かに焦る中、突然現れたその声に、俺はもう心臓が止まるかと思うほど声にもならぬ声で驚いた。
そして本能的に足を止め、声が聞こえたと思う方へ視線を送る、と——
「ほうっ!」
さらなる声が続き、俺は聞こえた方向の正しさを実感する。だが、その声の発信源は俺の目的地であり安息地である我が家へ至る階段上部から聞こえており——
「じょうっ!!」
嬉々とした更なる大声と共に、その発信源が物凄い勢いでこちらに向かって来て——
「さぁぁぁあああぁぁぁんっ!!?」
最後の階段なんか、四段くらい飛ばしたように見えたソレの動きは勢いがあり過ぎて明らかにバランスを崩し、自身の陥った体勢の危うさから声にも焦りが含まれていて——
「へぅっ!!」
ズザッ、と俺の靴が少し道路と擦れるくらいの衝撃を受けながら、俺は受け止めた衝撃で変な声を出すソレを抱き止めた。
そして安全の確保が出来たところでパッと手を離し、半歩後退しつつ、ハッとしたように振り返って自分の進んできた道を確認する。
「いやぁ〜助かったっす! あざすっ」
誰もいないことを確認し、再度顔の向きを正面に戻すと、たった今転倒の危機から救ってあげた人物がものすごくキラキラした、子どものような笑顔を浮かべて俺に感謝を告げて来る。
街灯に照らされるその笑顔には、いつもの茶髪や相変わらず印象的な八重歯が今日も健在。格好はグレーのスウェット上下にクロックスと、最近じゃ某ペンギンがマスコットの店でもそんな格好の奴見なくなったぞ? と言いたくなる格好だ。
この時間、こんな格好で外に出るってことは……目的地はあそこだろうな。
「とりあえず、転びそうな人いたら助けるのは当たり前——」
「ってかてかてか! 今日のボス狩りマジ感謝っすお兄様っ!」
「っておい!?」
再度やって来た重みと温もりに俺は反射的に抗議の声を上げるが、ふわっと香ったシャンプーのいい匂いが分かるくらいの位置に頭を持って来たそいつは、俺の両腕に外側から予想外に力強い圧力を与えてきて、俺の両腕は自由を失った。
もうお分かりだろうが、そう深夜の大声を上げ、たった今俺に助けられた人物は我が家の隣人の知人にして、先日だいの知人から友達にランクアップしたと思われる風見さん。
会うのはこの前の連休中に奇跡的な確率で訪れてしまったバー以来、なんだけど、久々な感じがしないのは、ついさっきまである意味で一緒にいたせいだろう。
そんな人物が今全力笑顔モードで俺に抱きついているわけなのだが……これまで生意気そうな笑みを見せることばかりだった風見さんが見せた、本当に純粋な笑顔は、正直かなり可愛かった。
たぶん今すっぴんだろうけど、だいの卒アルで見た時から分かってたことだが、何だかんだこの子も元がいいからな……!
LAに対して真面目だし、何だかんだ素直なタイプだったんだなこの子……あれ? 何か前よりいい子に見える?
いやいや……って、違う!
そうだ!!
「あ、あのさ?」
「はいっ!?」
俺に抱きついたまま顔を上げ、ニコニコ笑顔で問い返してくる風見さんは、何か素直な後輩キャラみたいでちょっと可愛い……いやいや! 違う、そうじゃない!
危うく再度脱線しかけた思考を全力で修正して、俺は抱きしめてくることへの抗議も後回しにし、見上げてくる彼女へ真っ直ぐに視線を返しながらなるべく小さな声で——
「俺が今ここに帰ってくる時、俺の後ろの方に誰か人って、いた?」
先程まで俺に得体の知れない恐怖を与えて来た何かについて確認する。
「北条さ……あ、じゃない、お兄様の後ろっすか? んー、お兄様見えたから走り出したんすけど、こんな時間ですし、お兄様以外いなかったと思うっすよ?」
「そ、そうか……」
抱きしめられた体勢のままの近い距離で、顔を見合わせながら返ってきた言葉に俺は安堵の気持ちと警戒の気持ちが半々だった。
俺に迫る何かは確実にいた、と思う。でもそれを風見さんが見てないというのなら、彼女の存在に気がついてどこかへ消えたのだろうか? いや消えたって言うとなんか心霊現象みたいだけど、たぶんあれは普通の人間だろう。
果たしていつから尾けられていたのか、少なくともだいの家を出た直後にはそんな気配はなかったし、となればだいの家からうちに向かう途中? ……でもそんなところから、なぜ? ……ううむ。この辺りに不審者情報なんてあったっけか? というか成人男性を尾け回す不審者とかいるのか……って、これは偏見すぎるか。
なんて、風見さんの答えから、一人頭の中をフル回転させていたところ——
「っ!?」
突然の感触に俺は強引に後退りして、ようやく風見さんの抱擁から我が身を逃す。
だが今の唇に残る感触は——
「えへっ。わたしのこと無視し過ぎっすよっ」
意味ありげな様子で唇に両手の指先を当てながら、俺の抗議の視線を受ける相手は、俺の感情とは対照的にニコニコというか、ニヤニヤした様子で「私は悪くない。悪いのはお前だ」を訴えてくる。
そんな彼女に対し、なぜか顔が熱い俺はそのまま無言で睨んで抗議を続けるが――
「あれ? なんか照れてます?」
「いや、そんなわけねーだろっ」
「えー、お兄様可愛いっ」
「やかましい!」
『〈Hideyoshi〉に効果なし』なんてログが見えそうな感じで、もういっそ肩の力が抜けてきた。
でも何だろうか、さっきまでの緊張感もそれと同時に溶けていった、ような気がする。
「つーかなんでリアルでもお兄様なんだよ?」
「え、いまさら!?」
「いやずっと思ってたけど!」
「えー、いいじゃないすかー」
「やめいっ」
「やめませーん」
「ええい、つーかそれよりもだ。だいと仲良くしたいなら今みたいなのは絶対やめろ」
「えー、わたしは菜月よりお兄様と仲良くしたいんすけどっ」
「だとしたら尚更だっ」
そして色んな焦りから解放された俺は、いつもの感じで風見さんに釘を刺す。
そんな俺の変化に気づいているのかいないのかは知らないが、相変わらず悪びれない彼女の底抜けの明るさとか、この幼さが本来の彼女なのだろう。いつぞや見た闇の部分というか、ネガティブな部分は今の彼女からは感じられず、これが素の風見莉々亜、そんな感じが伝わってくるような気がした。
「で、こんな時間にそんな格好で、コンビニか?」
そんな彼女の姿に毒気を抜かれたのもあり、これ以上小言を言ってもしょうがないと判断し、一度ため息をついてから話題を変える。
すると。
「そっす! 夕飯カステラじゃお腹空いちゃって」
「え……いや、カステラって……」
だいがいたら「信じられない」って言ったに違いないその言葉に、正直俺も絶句する。
しかもこのタイミングでカステラったら、きっと佐竹先生が――
「あ、もちろんさっちゃんのお土産っすよ? あのカステラ美味しいっすよねー」
ですよねー。って!
「いやいやいや!? あれはご飯じゃない、お菓子だ。夕飯になり得るものじゃないだろっ」
「えー、同じ食べ物じゃないっすかー」
「何が同じなんだよっ!?」
「それにほら、卵とか小麦粉とかお米とか、なんかそこらへんの材料使われてるし、栄養ありそうじゃないすか?」
「その理論だとケーキもご飯になるじゃねえか……」
「え、私的にはそうなんすけど?」
「……マジかよ」
ああ、こいつはダメだ。そこらへん完全にずぼら女なんだ。
「……コンビニで何買う気だ?」
「え、そっすねー。だいたいいつものカップ麺か、チョコレート系のパンとか?」
「まともな飯食ってねぇじゃねぇかっ」
「えー、お腹にたまれば一緒じゃないすか?」
「もうちょっと栄養とか、そういうの気にしないのかよ……」
「じゃあお兄様なんか食べさせてくださいよー」
「なんでだよっ。そこまでの義理はないだろうがっ」
「じゃあ食べた方がいいもの選んでくださいっすっ」
「まぁそのくらいなら……あ」
「言ったっすねっ!?」
「い、いや、さすがに今日はもう時間的に……」
「じゃあ明日ならいいってことっすよね?」
「え、いや、それは……ああもう、分かった! 今選んでやるから、もうちょっと野菜を食えっ」
「え、でもコンビニに野菜あります?」
「15分くらい歩けば24時間のスーパーあるから、そこまで行くぞっ」
「お、深夜のお散歩デートってことっすね!?」
「デートじゃねぇ、指導だっ!」
……はあ。なんでこうなってしまったのか。
さっきまで何かの接近に焦っていたと思っていたというのにな。
だが、悪びれないというか、無邪気なニコニコ顔の風見さんの表情に毒気を抜かれたのもあるし、今聞いた食生活を聞けば、本当に大丈夫かと心配になったのは事実。
とりあえず、だいを心配させるのも悪いから、『帰宅したよ』と連絡をしておき、俺はせっかく日が変わる前に帰宅できそうだったチャンスを棒に振り、我が家より少し北の方にあるスーパーへ、風見さんを共だって歩くのだった。
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