第377話 受け入れてくれない人・くれる人
だんだんと道を歩く人や街の明かりが増えてきて、住宅街から駅周辺に近づいたことを感じる、あのカステラ屋の近くまでやってきたのは、時刻にして22時37分のことだった。
「次にお会いする時は、敵同士ですね」
そんな時、少し前を歩く二人の方から聞こえてきたのは何とも物騒な響きの言葉。
「ですね。いい試合にしましょうね」
「はい、私も指導頑張ります」
だが、当の本人たちは何の違和感も覚えていないようで、「敵同士」と言った佐竹先生に、だいがニコッと笑って答える。
あぁそうか。10月10日の秋季大会1回戦、佐竹先生んとこの練商と試合だったっけか。今日のことだってのに、もうすっかり忘れてたぜ。
でも、だいの奴ほんとにいい笑顔だな。
俺もソフト部の監督やって6年目で、部活界隈にそれなりに仲いい先生もいたりするけど、なんだろう、この二人みたいな穏やかな笑顔でこんなことを言い合える知り合いなんかは一人もいない。
穏やかな夜風を感じつつ、そんなことを後ろで聞きながら思っていると。
「北条先生」
駅が見えてきた辺りで、不意に横断歩道の手前で立ち止まった佐竹先生が振り返り、俺の方へ向き直った。その動作にだいも少し驚きつつ、合わせて足を止める。
「へ?」
俺と言えば、完全に油断していたので、思わず間の抜けた声を出してしまったわけだが、いや、うん、うちを出てから今の今まで、二人の雰囲気がうちで夕飯食ってた時の雰囲気だったから、俺に話しかけてなんてこないだろうと完全に気を抜いてたよね。
でも、なんだろうか?
そう思って俺は向けられる視線を受けつつ、続く言葉を待つと。
「夜遅いところお仕事の話で申し訳ないのですが、失礼する前に、部活での指導観、聞いてもよろしいですか?」
「指導観?」
「はい。どういう信条で生徒を指導しているのかなと思いまして」
と、急に真面目な質問が来たもんだから、さらに正直予想外。
でも、そういやうちに着く前にも、部活関係のこと俺に聞こうとしてたっけか。
と、なれば……さて。俺も監督やって6年目。佐竹先生相手に考えれば、人生としても教師としても先輩となれば、ここはしっかりと質問に答えてあげるのが筋だろう。
ということで俺は満を辞して、にこやかな表情を佐竹先生に顔を向けて。
「俺が大事にしているのは、楽しむこと、ですね。競技人口も減ってる中、ソフトを選んでくれた子たちに競技を嫌いになってほしくないし、高校3年間の中で部活ってかなりのウェイトを占める思い出になるものだから、嫌な思い出にはさせたくないなって。そういうのを、一番大切にしてますよ」
「……ふむ」
「もちろん勝敗の出る競技ですから、結果が伴わないと楽しくならないですし、そこも疎かにしないように、楽しむために本気でやれって、普段から言ってます。……こんな答えで、よろしいですか?」
この答えに嘘偽りは何もない。
そりゃプロアスリートを育てる、とかってなったら話は違うけど、生憎俺はそんなことは自分の仕事だと思っていない。教師として部活動がどう生徒の人生にプラスになるか、俺の意識はそこにある。
ま、まぁ市原に会ってしまった佐竹先生にはもしかしたら「本当か?」と疑われてるかもしれないが、あいつは……試合してるとこを見ないと、本気度が伝わらないタイプだから、しょうがない。
そんな心配を抱きつつ、俺は少し下を向いて何事か考えている佐竹先生の応答を待った。
そして10秒ほど経って、再度顔を上げた佐竹先生の視線が俺に向く。
つり目がちな眼差しが、まるで俺を射抜かんとするように、真っ直ぐ、真っ直ぐ向けられて——
「大変失礼を言うようで恐縮ですが、LAプレイヤーとしては尊敬しましたけど、私は監督としての北条先生を受け入れられなさそうです」
「……え?」
真っ直ぐに向けられた視線と共に発せられた言葉は、デバフ魔法のように俺の頭を混乱させた。
聞かれて、答えて、否定される。たったこれだけの簡単なことなのに、面と向かって自分を否定されるとね、存外どう答えていいか分からなくなるんだね。
もちろん関係性の悪さなんかがあればまだ分かるかもしれないけど、佐竹先生は今日が初対面みたいなもんだから、そんな心構えも出来ていない。
ギリギリ視界に入る所にいるだいの表情にも、驚きと戸惑いの色が浮かんでいる。
そんな強い衝撃に、俺は彼女の言葉の理由を問いただすことも出来ず——
「あ、まだ受け入れられない、というだけで、もちろん変わるかもしれませんが……すみません、ただの私のエゴなんですけど……でも、はい。ごめんなさい。今度の大会、楽しみにさせていただきます」
じっと俺を見たままそう告げて——
「それでは、もう駅も見えていますし、この辺りで大丈夫ですので、失礼します。今日はお会いできてよかったです。夕飯、ごちそうさまさまでした。里見先生、お料理のこととか、また連絡しますね」
「え? あ、うん、はい。えっと……佐竹先生ももう夜遅いから、えと、帰り道、気をつけてくださいね」
「はい、ありがとうございます。それでは失礼します」
「お、お疲れ様でした。お気をつけて……」
硬直のバステがかかった俺たちをよそに、小さく頭を下げた後、ちょうど青信号に変わった横断歩道を渡り、振り返ることなく佐竹先生が去っていく。
最後にだいに向けていた表情はすごく優しく、柔らかいものだったけど、俺に対しては……無、が一番近かった、だろうか。
う、ううむ……。
「……なんだったんだ? 最後の質問」
「え? あ、うーん……なんだろうね……。私もちょっと、びっくりしちゃった」
信号が赤に変わるとともに、小さくなっていく佐竹先生の背中が、駅の中へと消えていく。
その姿が見えなくなってなお、俺とだいはなかなか足を動かすことが出来なかった。
そうして、目の前の信号が再び青に変化する頃、俺はだいと顔を向き合わせ、思ったままのことを尋ねてみる。
「佐竹先生と部活の話はしてないのか?」
「してないってわけじゃないけど、ほとんどしてないに近いかな。でも、ゼロやんにあんな風に言うなんて……やっぱりびっくり、してるけど」
「うーん……。もしやスパルタ至上主義? って、そんなタイプには見えないよな。……あ、そうだ。今度ロキロキに輝千学園の時の佐竹先生がどんな指導してたのか、聞いてみるか」
「あ、そだね。でも、先生としては受け入れてもらえなくても、LAプレイヤーとしては尊敬してくれててよかったね? お兄様」
「なっ……!? はぁ!?」
「ふふ、冗談だよ。でも佐竹先生は置いておいて、本当、莉々亜もカナちゃんも、ゼロやんのこと好きそうだよね」
「……いや、それを言われて俺はどう反応すればいいんだよ?」
「別に?」
「えー……」
今の今まで一緒に困惑してたと思ったのに、だいときたらあっという間に早変わり。後ろで手を組みながら、ちょっと悪戯っぽい笑みを浮かべて覗き込むように俺を見て、今日の風見さんたちとのやりとりをいじってくる始末。
なんだよ、一緒に佐竹先生の言葉の意味考えてくれないのかよ?
ったく……と、毒付きたい気持ちがありつつも。
「ほら、行こ? ゼロやんがおうち帰るの、遅くなっちゃうよ?」
と、手を繋いでくださいと言わんばかりに自分の右手を差し出すだいは、何か色んなことがどうでも良くなるくらいに可愛かった。
そのせいで、なんか色んなことが、まぁいいか、に変わっていく。
「このまま真っ直ぐ帰れば、俺は23時前には家着くなぁ」
「えっ」
そんな可愛いだいの手を取りつつ、口では夕飯の際に、俺を蚊帳の外にした会話が多かったことへの反撃をしてみたり。
そしたらだいが思いっきりしょんぼりした顔になってしまったので、俺は思わず笑ってしまった。
「嘘だよバーカ。一人で歩かせねーっての」
「もうっ」
ほんと、見た目はクールな美人なのに中身はとても可愛い天然さんなんだよなぁ。
俺の冗談に少しだけ拗ねただいが、空いた左手で俺のことを叩いてくるけど、それもまた可愛いらしい。
ほんと、今が外じゃなかったら抱きしめてたねこれ。
……ま、誰に何言われようと、だいは俺の味方だもんな。
それでいい、それがいい。
空に浮かぶ月には少しだけ雲がかっているが、それがかえって月の明るさを際立たせる。
静かな夜道を歩くには、絶好の状況と言っても差し支えないだろう、そんな気候。
新たな出会いに色々あったけど、こんな時間を積み重ねていけばいいのだ。
隣を歩くだいの笑顔に、俺は改めて大切なことを感じるのだった。
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