第367話 ご近所ってのは色々リスキー
「あっ、いらっしゃいませー」
扉の音に合わせて俺たち全員の視線が動くと共に、真っ先に反応したのはうみさんだった。
もうすっかりそこらへんのカフェで談笑――いや、全然笑えない内容だったけど――しているような気になってたが、店内の扉が開く音に条件反射の声を出したうみさんの言葉が、そういえば今俺たちはお店にいるんだということを思いださせてくれた。
そしてうみさんがショーケースの前に出てきていた身体を再び本来の立ち位置に戻したので、一応お客である俺たち3人は、商品が並ぶショーケースの前から少し離れ、新たな来訪者のための場所を譲る。
というかあれだよね、俺たちも驚きの連続からずっと喋っていてしまったけど、あまり長居しすぎるのも迷惑だよね。
なんかもう色々疲れた気分でもあるし、うん、そろそろお暇しようそうしよう。
「えっと、並んでますか?」
「あ、いえいえ。お先にどうぞ」
そして、店内に入って来た真面目そうな顔つきに少し困惑気味の色を浮かべ、俺たちを先客かどうか確認してきたのは、だいと同じようなフォーマルな格好をした黒髪ボブの女性で、背中にはビジネスリュックを背負っていた。
一応確認される前に商品を見やすい場所は空けたつもりだったけど、そりゃ先に人がいたら普通先客だと思うもんな。
ということで俺は得意の公務員スマイルでその女性に対し答えたわけだが――
「あ」
「え? ……あ」
「……こんにちは」
「こ、こんにちは」
と、横並びになった俺たちの、俺の右隣に立つだいと目を合わせたその人が、お互いに気づきあった後、なんともたどたどしく挨拶を交わす。
「知り合い?」
そんな挨拶を聞いて、俺は小さくだいに知り合いなのかどうかを尋ねたわけだが、その返事を聞くより早く――
「あれ……?」
と、小さな声を漏らした女性が、今度はなぜか俺の方へ視線を止める。
その表情は何だか少し困ったような、困惑するようなものだったのだが……どうしよう、どっかで見たような気がするようなしないようなしないようなな感じで、俺この人全然分かんないぞ?
「え、ええと……?」
だいを始め市原姉妹がやたら美人だったり美少女だったりで見劣りしてしまいそうな感じにはなるが、今店内に入って来たこの女性もなかなかに整った顔立ちをしていて、ちょっと幼く見えるけれども、真面目そうな印象を受けるつり目からは、なんとも意思の強そうな印象を受ける。
小顔の中に備わるパーツもバランスよく整っているし、フォーマルな黒のパンツスーツに白のブラウス姿が真面目そうな雰囲気にすごく似合っていて、じっと見られると、何だか少し委縮してしまうような、そんな気持ちにさせられた。
でも、やっぱりこの人が誰か分からない。
そんな気持ちで、俺は少し困惑した様子を見せてしまったのだが――
「里見先生と倫ちゃんたち、知り合い?」
この何とも言えない空気を見事に変えてくれたのは、素直に「誰?」といった考えを表情に浮かべる市原(妹)だった。
俺はその言葉にすごく僅かに傾げてみせたのだが――
「
俺が市原の方に顔を向けていると、俺の服を小さくつまんで引っ張っただいから、小さな声がそっと届く。
練商? 俺の前任校の? それが今どうしたってんだ?
だが、その言葉の意図が分からず、俺は変わらず顔にはてなを浮かべていたわけだが。
「もしかして、星見台高校の北条先生、ですか?」
「え!?」
恐る恐る、という感じも出しながら、向かい合う女性からまさかまさかの俺の名を告げられ、俺は驚きを隠せずちょっと大きな声を出してしまったが、疑問形で言われたのならば、当然答える義務がある。なんたって俺は
ということで。
「あ、いえ、そうです、けど……えっと、なんで俺のことを?」
「あ、よかった。人違いじゃなくて安心しました。ええと……北条先生のことは引退した3年生の子たちからお聞きしたり、写真を見せてもらっていたので。大会や抽選会で遠目にお姿を見たりはしていたのですけど、こうして話すのは初めてですね」
「引退した、3年生……? 大会や抽選会……? ……あっ!」
そ、そういうことかっ!!
その言葉にようやくだいの言葉に合点がいった。
「練商の佐竹先生ですかっ!?」
「はい。私のお名前をご存じだったんですね。でもまさか、こんなところで会うなんて思っていませんでしたけど……そうか、北条先生はお住まいがこの辺りですもんね。とりあえず忘れないうちに、亜樹がお世話になってることのお礼と、莉々亜がご迷惑おかけしたことの謝罪を、友達として伝えさせていただきます」
「亜樹? えっと……あー……あっ、そうか。いえいえ、ロ……じゃなくて、亜樹……くんにはむしろこっちが色々教えてもらうことも多いですから。風見さんは……まぁ、もう済んだことってことで、気にしないでください。っていうか、そもそも佐竹先生が謝る話でもないですって」
いやぁ……何という奇遇というか、奇跡というか。
どっかで見たことある気がするようなしないようなは、見たことあるが正解だったらしい。
というかほんの1時間も経たない前に、ちょうど同じ場所にいた人じゃんね!
とはいえすれ違ったことがあるだいとは違って、俺はこうして顔を合わせるのは初めてだから、分からなくてもしょうがないだろう、と主張したいんだけど。
いやぁ、でも本当に……ロキロキや風見さんと知り合いなんだなぁ。
あ、ちなみに最初に「亜樹」って言われた時、誰だってちょっと考えたのは秘密な!
「里見先生も、何度か挨拶はさせていただいてましたけど、こうしてお話するのは初めてですね。練馬商業の佐竹です。改めまして、よろしくお願いします」
「あ、はい……月見ヶ丘の里見、です。よろしくお願いします」
そして俺に挨拶してきた佐竹先生が、今度はだいの方に向き直って丁寧にお辞儀をしてくれたので、だいもそれに合わせて返していた。
その光景に何を思ったか。
「はい! 星見台2年、市原そらですっ! 今度の大会、よろしくお願いしますっ!」
と、挨拶をする大人たちに合わせて、臆することなく制服姿のJKが元気よく佐竹先生に一礼するではありませんか。
いや、もちろんこれは悪いことではない。礼儀とかそういうのはスポーツマンシップとして大事だからね。
「ああ、あなたが市原さんね。去年から何度かあなたの投球を見てるけど、いいピッチャーよね。新人戦、いい試合にしましょうね」
「はいっ! ねぇねぇ倫ちゃん聞いたっ!? 私のこといいピッチャーだってっ!」
「ええい、喜ぶのはいいけど、いちいちくっついてくんなお前はっ」
でも、瞬殺の前言撤回で。
佐竹先生に褒められた市原さん、その喜びを伝えるにあたり俺の腕にくっついてきたのが減点です。というかそもそも、俺に対する礼儀はどこだよお前……ったく。
だが、こんなやりとりを見ても特に佐竹先生に困惑する様子はない。
市原をはじめ、礼儀のないうちの奴らを初めて見た時のだいは、それはもうご立腹だったけど、やはり練商で先生やってるだけあるのかな、だいよりはそういう耐性がありそうだ。
「あ、すみません。お店の中で私的なやり取りをしてしまって」
「あ、ぜーんぜん大丈夫ですよー。その子、私の妹なので、お気になさらずー」
「え?」
だが、さすがにこうした会話を店内でしていることに気が引けたのか、佐竹先生がハッとした後、ショーケースの奥にいるうみさんにぺこっと頭を下げたのだが、それに対するうみさんの返事に、さすがにこれはびっくりしたらしい。
何度かうみさんと市原とを交互に見やり、納得はしたみたいだったけど。
とはいえね。
「でも流石にあんまり長居しすぎるのも営業妨害だろうし、俺たちもそろそろカステラ買って退散するか」
座って話せるお店ならまだしも、イートインをしたりするお店でもないのだから、さすがに延々とお店に居座り続けるわけにはいかないだろう。
本当はうみさん、というか〈Rei〉さんと話したいことも、佐竹先生と話したいこともあるのだが、ここはその気持ちを抑えて、最年長の俺がしっかりしなければなるまいて。
「あ、うん。そうだね」
そんな俺にだいは素直に頷いてくれたが。
「えー、倫ちゃん帰っちゃうのー?」
と、露骨に残念がって見せる制服JKがまたしても俺にくっついてくるので、俺はそれを全力で引きはがし――
「ええいっ、だからくっつくなっての! それにお前もお姉さんとは住んでるとこ違うんだろ? 遅くなる前に帰りなさい」
と、一喝してやった。
ほんとさ、このお店外からも店内見えるんだから、JKにくっつかれてるとことかご近所さんに見られたらどうすんのって感じだからな!
「そら怒られてるー、どんまーい。あ、佐竹先生は何買われますかー?」
そんな妹に対してケラケラ笑ったうみさんが、俺たちの会話の空気に少し戸惑っていた佐竹先生へ、本来の目的を確認すると。
「あ、ええと、じゃあこの詰め合わせをください」
「はいはーい。1000円でーす」
ってな感じで、慣れた手つきでお会計を済ませ商品を手渡し、佐竹先生の買い物が終了。
「あ、じゃあ俺も同じの買って帰ります」
「はーい。まいどでーす」
で、それに合わせて俺も同じのを買ったところで――
「倫ちゃんも里見先生も、私たぶん今日の夜もログインするので、よかったら声かけてくださいねー。そらも気を付けて帰るんだよー」
「うんっ、お姉ちゃんお仕事頑張ってねっ」
「えっと、長居してすみませんでした。それじゃあ、また夜に」
「失礼します」
と、いつのまにやら妹と同じく「倫ちゃん」呼びを定着させたフランクなうみさんに笑顔で手を振られ、俺たちは「ログイン」という言葉にちょっと反応していた佐竹先生共々店外へ。
冷房の効いた店内の涼しさから一転、9月はまだまだ残暑の暑さを感じさせてくれたけど、だんだんと落ちていく太陽が、まもなくの夜の訪れを予感させていた。
「じゃ、気を付けて帰れよ」
「はーいっ。倫ちゃんまた明日っ! 里見先生、倫ちゃんのことよろしくお願いしますねっ。私が上手くなったら、LAで一緒に遊びましょーっ! 佐竹先生も、大会楽しみにしてますねっ」
「うん、気を付けてね」
「え、LA……? あ、さようなら」
そして、またしても佐竹先生の気になる単語を言い残し、俺の家とは反対方向の駅に向かう市原を3人で見送ったところで……。
「あの子も、LAをやってるんですか?」
「あー、なんか始めたみたいなんですよね。で、さっきの店員の、あいつのお姉さんもLAプレーヤーなんですよ。しかもみんな同じサーバーっていう」
「なんと……世の中は狭いですね……」
と、色々とモヤモヤしてそうだったことを聞いてきた佐竹先生だったわけだが、うん、その感覚が共有できてちょっと嬉しいです。
「あ、それよりも、あの……たぶん向かう先は同じになると思うのですが、私がいても気まずくないでしょうか?」
そんな俺が親近感のようなものを感じていると、ふと思い出したように少しバツの悪そうな、何とも気まずそうな表情に変化した佐竹先生がそう聞いてきたのだが。
「え? あ、いやいや、大丈夫、だよな?」
「ええ。佐竹先生、水上さんのお家に行くんですよね? それでしたら、一緒に帰りましょう」
ここまで一緒にいたならば、もう気にすることはないだろう。
どうせ向かう所は同じ、それならば仕方あるまいと俺がだいに確認を取れば、予想通りだいの返事も同じだった。
それにやっぱり、色々聞きたいこともあるからね。
「あ、はい……。でも、莉々亜や亜樹に聞いてはいましたけれど、本当にお付き合いされてるんですね。なんというか……いえ、なんでもないです」
そして、だいの返事を受けた佐竹先生は一瞬何かを言いかけたけど、その中身の想像は何となくつく。
そうして、来た時とは違った三人組になりながら、俺たちは日が暮れていく高円寺の街並みを、俺の家の方に向かって歩き出すのだった。
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