第365話 脳内シミュレーションは1分にも満たない

「えっとね、お友達の名前は――」

 

 前回のあらすじ。ネカマバレの危機。


 って、ええい! 決して俺はネカマではないっ! ネカマではないからな!

 と、どうでもいいことに気を回せるほど、今の俺に余裕はない。

 手に汗を握るとは、まさにこのことか。

 だいもうみさんも、いたって普通に市原の返事を待っている。

 だがただ一人、俺だけがその答えにただならぬ緊張感を抱いている。

 市原の答えを聞きたいような、聞きたくないような、そんな永遠とも一瞬とも取れる邂逅を前に俺はどのような心持ちでいればいいのか、そもそもどうしてこんなことになってしまったのか、小一時間くらい問い続けたいような気持ちで――


「のばらちゃんっていう人!」


 ――ってーーーーーいっっっ!!! ってことはやっぱりお前が〈Doremifa〉かいっ!!


 ほんとにもう、ここまで一切否定する要素がなかった想像がかつてこれまであっただろうか?

 最近始めたド新人。

 友達とセットのド新人。

 話を聞けば、あのドヘタなドレミが市原ってのは、正直想像するに難くない。

 あ、ってことは〈Seed〉さんが国見さんってことか。となると、国見さんはけっこうちゃんとLAをやってた子なんだなぁ。

 って、今はそれは些末なこと。


 このままいけば、俺はお互いを認知していなかったとはいえ、堂々と「ちゃん付け」で呼ばれることを受け入れて、女のフリして教え子とゲームしてたってことになるわけですよ。

 いや、これが事実なのはもう変えようがないとしても、何とかこの事実、墓場まで隠し通したい。


 くっ、くそ……!? どうする……!? どうするよ俺……!?


 だが、俺の緊張とは裏腹に、何の躊躇いもなく満面の笑みでそのの名を告げた市原に、両サイドの女性陣はちょっとはてな顔。

 あれ? だいは〈Nkroze〉のこと知ってるはずだけど……そうか!? まさかそんな呼び方してるとは思わなかったか!?


 ……はっ!? ということは、これは上手くやれば誤魔化せる!?

 そうじゃん! 市原しか〈Nkroze〉のことを知らないなら、名前のスペルさえ言わせなければバレないじゃん!

 ふっふっふ……となれば、ここで俺がやるべきは全力の黙秘権ポーカーフェイス……!


よし……! 誤魔化してみせる……!


と、熱い決意をしたのも束の間――


「あれ? 倫ちゃん知ってる人?」

「へっ!?」


 な、なんだと!?

 なんでそう思ったのだ!?

 も、もしや……これが女の第六感!?

 知らなそうな顔を浮かべる二人とは対照的に、覚悟を決めて全力で「分かりません」を表情に表したつもりだったのに。

 なぜだろう、やはりというか何と言うか、隠し切れないものがあったのか。

 俺の顔を覗き込むように尋ねてきた市原に、俺は思わず引きつった声を出してしまう。

 努めて知らぬ存ぜぬな顔をしていたつもりだったのに、あまりに一瞬の瞬殺です。


……ど、どうする、どうする俺!?


 い、いっそ正直に打ち明けるか?

 俺くらいのプレイヤーならさ、セカンドキャラの一人や二人いたって別におかしくはないじゃん?

 だったら別に話しても大丈夫……か?


 よし、一旦シミュレーションしてみよう。


『よく分かったね! 私が〈Nkrozeのばら〉だよ!』

『え、私……?』

『だって〈Nkroze〉は女の子だもの』

『え? でも中身は倫ちゃんおじさんだよね……?』

『ううん、大事なのはそのキャラ自身。中の人なんか関係ないんだよ!』


 って誰がおじさんじゃーい!!

 じゃなくて!!

 いやいやいや無理無理無理!!

 バレたら俺の中での色々が終わってしまう!


 ほんとにもう、これが〈Zero〉で対応していたんだったらどんなによかったことだろう。

 でも〈Doremifa〉のお世話をしたのは、思いっ切り女口調で話していた〈Nkroze〉じゃん?

 ってことは、ああ……。


 まさか【Teachers】の謹慎中にこんなことになるなんて。

 これもあれか? 特別指導的なペナルティなのか?

 くそ、なんて重い謹慎なんだよこの事態……!


 と、もう俺の思考は完全に支離滅裂で、正直どうすればいいのかなど、考えるのは限界だった。


 ほんとね、こんな時あーすみたいに開き直れたら楽なんだろうね。

 でも事実は結局、意図したわけじゃないのに、あの女口調――決してネカマではない――で生徒を相手にしてたわけで……こ、殺してください……!!


 ちなみにここまでの思考に掛かった時間は1秒もなかっただろう。

 だが、その1秒を待つ市原の純真無垢な視線が痛い。

 痛すぎてもう何を言えばいいのか分からない。


 そうか、これが絶望か……。

 なるほど、絶望は死に至る病ってのはほんとだったんだなぁ……。


 と、もはやある種の悟りを開いた俺が完全に固まってしまっていると――


「市原さん、その人って、どんな見た目の人?」


 俺の異変に何かを察したのか、何も言わなくなった俺の代わりに、だいが市原へ質問を投げかけたのだが……そ、その質問は……!!!


「えっと、女の人なんですけれど、いつもかっこいい鎧を着てて……黒髪で……あっ、そういえばなんだか里見先生に似てた気がしますっ!」

「え?」


 グハッッッッ!!!


 まるで見えない剣が俺の身体を貫くような錯覚を覚える。

 もうだいの方も怖くてちょっと見れないです。


「私に、似てる……?」


 だが、きっとだいは俺の方に視線を向けたのだろう。

 市原の方から俺の方へと、声の向きが変わっていくのを感じながら、俺は止まらない冷や汗に空調効果以上の寒さを覚えていた。


「名前のスペルは覚えてる?」

「えっと、たしかN,K……R,O,Z,Eだったと思いますっ」

「えー、それで“のばらちゃん”なの? 面白い読ませ方だねー」

「あっ、私がそう呼んだら、それでいいよって言ってくれたのっ」

「あ、なーる……いやぁ、さすがそらだねー」


 そして俺の様子のせいか、変な沈黙を少し置いた後、市原に対する2つ目の質問をするだいの声は、明らかに1回目の質問の時よりも何か確信を得た声に聞こえた。

 そしてその質問への答えを聞き、まさかそんなスペルだったとはとうみさんは笑うけど、いや、この雰囲気の中で俺は全く笑えません。

 じわじわと、四肢にナイフを刺されていくような、そんな拷問にも似た感覚です。


 マジで、ど、どうする……!?


 と、俺が冷や汗がもはや滝レベルなんじゃないかと錯覚覚えるほどのテンパる中――


 にこっとだいが、笑った気がした。

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