第362話 確率なんてただの目安

 9月30日水曜日16時36分、新宿区にある私立黒百合学園講義堂。

 さすが私立は設備が綺麗だなぁとか思ったのは、もう何年も前のこと。高体連の総会も私学を含めた大会の抽選会も、毎回ここだからね。幸いにもずっとソフトボール部の顧問を出来てる俺からすれば、もうここに来るのは両手じゃ数えきれない回数なのだ。


 っと、なんだって勤務時間内なのにこんなとこにいるのかってったら、今言った通り、ここが秋季大会の申し込み会場兼抽選会場だからである。

 6限までの授業を終え、キャプテンである市原を伴い、新宿駅でだいと飯田さんと合流し、俺たちは合同チームとして大会に参加するべく、ここにやってきたわけである。

 俺の左隣にはだい、右隣には市原が座ってるわけだが、それ以外にも周囲を見渡せば、毎回抽選会で見る顔や、たまに見ることがある顔があり、この大会が顔なじみになってきた都立の学校だけじゃなく、私立も参加する大会だってことを実感させてくれる。

 でもやっぱ、平日の勤務時間内にだいと会うのは、なんかちょっと不思議な感じだね。


 ちなみに土曜日から今日までの間は、それはもう平和な日々というのが相応しい日々だった。

 合同練習を終えた土曜日はだいとイチャコラした後、ちょっと遅めの夕飯を食べてからだいがギルドの活動に行き、俺はのばらでインして久々にドレミとシドさんと、ドレミ強化のためのストーリー進行を手伝った。

 ドレミはあまり進歩を感じさせはしなかったけど、俺とシドさんがドレミに慣れてきたこともあり、それなりにストーリーは進められたから、なかなかの成果だったと言えるだろう。シドさんともだいぶ打ち解けてきて、色々会話が増えたのも印象的だったね。

 で、ドレミたちと別れた後はギルドの活動を終えた〈Daikon〉と〈Zero〉で合流し、夜遅くからではあったが定例のスキル上げを丑三つ時くらいまで行った。〈Ikasumi〉さんはいなかったけど、〈Honeysoda〉さんと〈Rei〉さんはインしてたから、誘ったら来てくれたのがありがたかったね。

 そして日曜は昼からだいと二人で珍しく買い物デートをしたりしたあと、夕方からと夜とで2回ほどスキル上げ。おかげで俺の銃はスキル346,だいの短剣が342まで育つに至り、俺はもう四捨五入すればカンストって領域までやってきたのである。ちなみにこの日は〈Ikasumi〉さんが2回、〈Honeysoda〉さんと〈Rei〉さんが1回ずつの参加だったぞ。

 で、週明け月曜火曜と平凡に仕事をしたわけだけど、火曜の夜に〈Zero〉で〈Rei〉さんと二人で盾と銃のスキル上げをしてたら、ぴょんから『しっかり反省したか?w』と連絡が来たり、ゆめから『謹慎おつー』ってきたり、ゆきむらから『土曜からいよいよ復帰ですね』とか、温かいメッセージを頂いた。ちなみに大和からは『やっぱ倫いねーと盛り上がりに欠けるわw』なんてメッセージを皮切りに、ツッコミ疲れを感じさせる連絡愚痴が来たりもしたぞ。

 

 そんなこんながあって、今日を迎えたわけなのだが――


「それでは組み合わせ抽選を始めます!」


 16時から始まった大会の申し込み手続きもようやく終わり、出場校が確定したところで、高体連役員の先生たちが大きな声を出して抽選の開始を告げてくる。


「まずは黒百合学園から!」

「はいっ!」

「黒百合学園、5番!」


 そして申し込みの先着順に学校名が呼ばれて行き、会場校でもある黒百合学園のキャプテンが講義堂の前に行き、箱に入ったくじを引き、参加16チームによるトーナメント表に学校名が示された。

 これにより、初戦で都大会常連どころか全国常連の黒百合とやらざるを得なくなった6番は全校が避けたい番号になったわけである。

 わけなのだが。


「6番引いたらどうしようねっ」


 うちのキャプテンはと言えば、このお気楽さ。

 まぁこれが頼もしさでもあるわけなんだが……と俺が苦笑していると。


「言霊ってあるからね、それを考えるのはやめておきましょう?」


 と、諭すかのように優しく、だいが市原の言葉に反応してくれた。

 でもね、その発言きっと……。


「里見先生、ことだま? って何ですか?」

「え……」


 ですよね。

 普段からこいつを見ている俺からすれば、言霊なんて言葉こいつに分かるはずがないのだ。

 でも、うちよりもだいぶお勉強ができる月見ヶ丘が初任校のだいからすれば、市原についてある程度知っているとはいえ、どの程度の知識量なのかは正確に把握できていなかったのだろう。でもそんなに引いた顔すんなよ、市原が可哀想だろうが。

 と、他校が続々と抽選していく中で、うちのチームはこんな感じでちょっと気の抜けるような会話を繰り広げている内に。


「次は都立星見台・都立月見ヶ丘合同チーム!」

「はーいっ」


 いよいようちのチームの番が来たようで、市原が元気よく返事をして前方へ向かい、抽選箱からくじを引いて、それを司会の先生に渡した。


「都立星見台・都立月見ヶ丘、7番!」


 そして市原が引いた番号は引いて欲しくなかった番号よりギリギリ+1の数字でセーフ! と言いたいところだが、……初戦こそ黒百合学園戦を逃れたものの、2回戦で当たってしまう番号だった。

 都大会に出るには現在抽選している支部予選の2位以上にならなければならないのだが、トーナメントの性質上これで俺らが都大会に出るには、ものすごく大きな山を越えなければならなくなったわけである。

 この結果に、俺もだいも顔にははっきりとは出さなかったが、思わず顔を見合わせて小さく苦笑いをしてしまったほどである。


「8番はどこが引くんだろうねっ」


 だが、よくない番号を引いてしまったのに気付いているのかいないのか、変わらない様子の市原はまだ引かれていない、俺たちの相手校となる8番の学校がどこになるかをキョロキョロしながら探していた。

 そして、残りの番号が6・8・14と3つになった時。


「次は都立練馬商業!」

「はいっ!」


 その学校名を聞いて、俺は思わず声がした、俺たちと反対側の席の方へ視線を向けた。

 それは俺の2年前までの勤務先。現3年生は授業こそもたなかったが、俺が1年間だけ教えたソフトボール部員たちのことは覚えている。とはいえ彼女たちは現高校3年生だから、当然もう引退しているので、今大きな声で返事をした生徒は当然俺が知らない子なんだけどね。それでも、やはり2年前まで勤務していた学校名は、興味を引くものがあった。

 というか、ほら、それ以上に俺は今の顧問に興味があるのだ。


 返事をして前に進む生徒を見守るのは、真面目そうな雰囲気を醸し出す女の先生だった。その真面目な雰囲気はどことなくだいに似てたけど、クールさを感じさせるだいに対して、練馬商業の先生は一生懸命さを感じさせる。

 あの人が、ロキロキの知り合いで、たしか本名が佐竹弥生さんで、【The】の〈Cider〉さん、ってことなんだよな。

 ……後で挨拶くらいしておこうかな。


 そんなことを思いながら、練馬商業の引くくじの番号を見守っていると――


「都立練馬商業、8番!」

「お」


 司会の先生の発した言葉に、俺は思わず声を漏らす。


「練商が相手かっ。って、あれ? 練商って倫ちゃんがいたとこじゃなかったっけ?」

「お、よく覚えてたな」

「だよねっ! ってことは、倫ちゃんの教え子対決っ!?」

「いや、新チームはもう俺と関わりねぇの分かるだろ。お前を1年から教えたの誰だって」

「あ、そういえばそうか」


 そんな俺の反応に気づいた市原が、てへっ、みたいな顔をして笑ってるけど、そもそもこの抽選会でこんなゆるい空気で顧問と話してる部員お前だけだって、気づいてるのかね?

 ……いや、はたから見たらこれはあれだな。俺の指導がどうなってんだ、って思われる場面か。


「でもあれだよね、練商ってこの前の公立校大会は……」

「予選のトーナメント2日目で、1回戦敗退してましたよね?」

「そうね。予選リーグも1勝1敗の2位通過だったはず」


 そしてその後のくじ引き抽選を見守る間、ふと市原が切り出した話にだいの隣に座る飯田さんが続き、だいがこの前の大会での練馬商業の戦績について答えてくれた。

 いやぁ、この辺の記憶力はほんと頼もしい。


「ってことは、そんなに強くないのかな?」

「それはどうかしら。さっきくじを引いてたキャプテンの子の雰囲気だと、新チームになってだいぶ部の空気が変わった気がしたけど」


 そんな練商トークが続く中で、だいは真面目な――いつもの――顔つきのまま俺たちとは離れた席に座る練馬商業の顧問とキャプテンであろう子の方を見ながら、油断してそうな市原へ私見を述べる。

 そのだいの答えを聞いて市原も少し神妙な顔つきになり――

 

「あー……たしかに倫ちゃんの匂いを感じませんでしたね……」

「いや、なんだ俺の匂いって」


 相変わらずのアホの子っぷりに、思わず俺は呆れ顔でツッコミを。

 とはいえ、たしかに言われてみれば、俺がいた頃の練商には、星見台ほどではないが、そこまで厳しい部活の空気はなかった。

 俺から引き継いだ先生もそんなに熱い人じゃなかったから、去年の大会や抽選会で見た時も、その空気は変わってなかったと記憶している。

 というか何なら、この前の大会は会場が違ったから見てないけど、春までの俺が教えた奴らが残っていた大会でも、今みたいな空気感を出していたとは思えない。


 と、なると……あの顧問の先生が新チームになったタイミングで指導方針を徹底した、ということなのだろうか?


「倫ちゃんは練商の先生は知り合いなのー?」

「ん? いや、あの先生は今年からの先生だから面識はないけど」

「けど?」

「あ。あー……知り合いの知り合い、って感じなんだよ。一方的だけど」


 で、俺が新生練馬商業とでも言おうか、俺の知らない空気感を出す前任校の部活について思いを馳せている間に抽選会も終わり、飯田さんをはじめ前方に掲示されたトーナメント表の写真を撮りに行ったりする人が多い中、市原が練商の顧問について聞いてきたわけだが、それに対して俺は何とも言えない歯切れの悪い言葉を返した。

 すると。


「あれ、ぜ……北条先生、あの人は会ったことないの?」

「え?」


 俺の市原への答えに何かを思ったのか、だいが一瞬俺のことをゼロやんと言いかけたのを赤面しつつ何とか修正し、聞きなれない北条先生呼びで俺に練商の先生に面識がないのかを聞いてきた。

 とはいえ……。


「里見先生は、佐竹先生会ったことあるの?」


 話には聞いたことがある人だけど、当然俺に面識はない。

 なので俺はだいに逆質問する形で答えたのだが。


「あ、佐竹さんって言うのは初めて知ったけど……ええ。たぶん……お家の方ですれ違ったことある気がする」

「へ? あー……そうか、あの人も水上さんち出入りしたりしてるんだっけか」


 そういえばロキロキから名前を聞いたのは俺だけだったか、と思い返しつつ、歯切れの悪い「お家の方」という言葉からそういえば、と察した俺は、隣人である水上さんちに出入りしているのが風見さんだけではないという話を思い出した。

 たしかにだいは黒髪の女性がうちの隣の部屋から出ていくのを見たって、前に言ってたもんな。あの頃はまだ風見さんのこともよく知らなかった頃だから、水上さんが二股でもしてるもんだと思い込んでたんだっけ、懐かしい。

 と、俺がだいとの会話に色々と記憶を引っ張り出してると。


「えっ!? 誰のおうちですかっ!?」


 どこにセンサーが引っ掛かったのか、俺が世間話的にだいと話している反対側から、ややテンション上がり気味な様子の市原の質問が飛んできた。


「話の流れからして俺んちしかねーだろ」


 そんな謎テンションの市原に対し、最早何かを隠すことすらめんどくさくなった俺は、いっそ開き直ってだいがうちに来るのは当然のことだろ、的に市原へ答えてやったのだが。


「じゃあ、私も倫ちゃんちいきたいっ」

「ちょっと何言ってるのか分かりません」

「えぇ!? 私、あなたの家、行きたい、だよっ!?」

「ええいっ、そういう意味で言ってんじゃねぇ!」


 さらに斜め上な発言をしてくれた市原に結局振り回される形になるのは避けられず。

 天然でアホの子なのは分かってたけど、ほんとこいつ将来大丈夫かよってちょっと心配になるレベルだよね!


 と、そんなしょうもないやりとりをしている間に、気が付けば練馬商業の姿はすでに会場から消えていて、うちもうちでトーナメント表の写真を撮りに行った飯田さんが戻ってきていた。


「みなみ、写真ありがとうね。後で私のメールに送っておいて」

「はい、分かりました」

「うし、じゃ帰るか」


 ということで、俺は市原に対して余計な話をしていたせいで挨拶しそこねたじゃん、という思いを飲み込みつつ、飯田さんが戻って来たことでさっきまでの話も有耶無耶な感じになったので、ここは大人らしく切り替えてみんなに「帰ろう」と促し席を立つ。

 いやぁ、しかし素晴らしいね。ちょうど17時じゃん。神運営だな役員の先生たち。


「倫ちゃんは今日はもうお仕事終わり?」

「ん? そらもう定時だからな。そらも気を付けて帰れよ」

「じゃあ一緒に帰ろっ」

「いや、お前んち西武線の方だろ。俺は中央線。電車別。分かるか?」

「バカにすんなしっ。さすがにそれくらい分かりますー」

「じゃあ何だよ一緒に帰ろうって」

「私も中央線に乗って、お姉ちゃんに会いに行こうかと思いまして」

「お姉さん?」


 で、もらった大会要項なんかを鞄にしまって、黒百合学園の講義堂からみんなで外に向かう途中、市原が振って来た話題で俺たちは足を止めた。

 市原から姉についての話なんか今まで聞いたことがなかったので、正直「お姉ちゃん」って言葉は全くピンとこなかった。でもたしかに入学時に提出された生徒カードの家族欄に姉の名前も書いてあったような記憶がないわけじゃないけど……。


「はいー。お姉ちゃんちょっと前に東京に戻って来て、今は高円寺で働いてるみたいなので、会いに行こうかなって思ったのですっ」

「働いてるみたい? で、会いに行く? 東京いるのに一緒に住んでるわけじゃないのか?」

「うん、私が高校入る前に仕事辞めたお姉ちゃんとお父さんが喧嘩して、お姉ちゃんお家出て行っちゃったんだ。それで1年ちょっと、たしか石川県のお友達のところに行ってたんだけど、そのお友達が結婚するとかなんとかで住むところなくなったから、2か月くらい前から今度は東京のお友達と高円寺でルームシェアしてるの」

「はぁ……そりゃ何て言うか、鉄砲玉みたいな人だなぁ」


 予想外な人生を送っている市原の姉なる人物の話に、俺もだいもちょっとびっくりな感じだけど、しかし高円寺とはね。まぁ、だからこそ「一緒に帰ろう」なんて発言が市原から出たんだろうけど。


「市原さんは、お姉さんと仲が良いの?」

「お姉ちゃん私の10個上なんですけど、ずっと面倒見てくれてたので、やっぱりたまに会いたいなって思うくらいには、仲良しですよっ」

「ほう。10個ったら……だ……里見先生より1つ年上か」

「だねっ。倫ちゃんの1個下だよっ」

「そうなのね。あ、でもそういえばお姉さんの働いてるところって、お仕事中に会えるとこなの?」

「はいっ! 前行った時も会えましたし、あんまり大きくないカステラ屋さんなので、行けば会えると思いますっ」

「ほう……ん?」

「じゃあ高円寺なら私も近いし、一緒に行ってみましょうか」

「あっ、里見先生来てくれるんですかっ」


 販売職ならたしかに働いてるところに会えそうだな、と思ったのも束の間。

 だいと市原が話してる間に、俺の脳内で結び付く「高円寺」という単語と「カステラ屋」という単語。

 

 いやー……いやいや。うん、まさかね。

 

 そう思いつつ、改めて市原の顔を見て、自分の記憶と照合する。

 俺が今思い出していた人物も、たしかにすげぇ可愛い人だった……いやしかしだね。


 浮かんだ考えが起こる確率なんて、どんな確率だよ、そう頭の中で思い込もうとしながら、俺は再び歩き出したみんなに続くように、少しだけぎこちなくなりながらも、足を動かすのだった。

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