第263話 可愛い子だからといって旅はさせられない

 ん……いま、何時だろ?


 ふと尿意を催して起きてしまったのは、まだ夜も更けていた頃。

 カーテン越しにも外はまだ真っ暗な様子だった。


 とりあえずトイレに向かおうと床で寝てたせいでちょっと痛い身体を起こし、ベッドの方に視線を送れば二つのひとか……げ?

 あれ?


 何か違和感を覚えて立ち上がった俺の視線に入ったのは、ベッドに上にあった一人分の膨らみ。

 夏用毛布をかけて、俺の方を向くように横向きに眠っているのは……うん、だいだな。

 すやすやと可愛らしい寝顔で、うん、好き。


 って……あれ?

 いや、ここはだいの家なんだから、この光景は別に何も……問題は……いやいやいやいや!

 

 ゆきむら! ゆきむらどこいった!?


 そうだよ、ゆきむらがいないんだったらそもそも俺は床で寝てないし、ゆきむらがいたから床にいるんだろ!?

 おいおい、いついなくなった!?

 

スマホの画面をタッチして時刻確認すれば、現在午前2時くらい。

 おいおい、いつ起きたんだあいつ?


 寝起きの頭をフル回転させつつ、ぼんやりとしたスマホの明かりを頼りに室内を見渡しても、ゆきむらは見つからず。


 と、なると……。


 室内とキッチン側を隔てる扉の方に目を向ければ、何やらぼんやりと明かりがついているのが見える。

 その明かりは寝る前にはついていなかったから、探し人が付けたのだろう、その所在が分かりちょっと安堵。

 うん、よかった、いなくなったりはしてないみたいだな。


 ということで、トイレついでに起きたのであろうゆきむらを確認しようと俺は扉を開け、明かりの方へ。

 ぐっすり眠っているだいをね、起こしたりしないようにそーっとね。


 さて、ゆきむらは……。


「え?」


 キッチン側の方へ移動し、点いていた明かりの正体に気づき、俺は思わず唖然とする。

 いや、自分がゆきむらの立場だったらね、気持ちは分からなくないんだけど……。


 明かりがついているところと俺の間には、まだ1枚の隔たりが。

 いや、そこに隔たりがなかったら困るんだけど、静寂の室内に小さな音を響かせながら、おそらくゆきむらがいるであろう場所は暗いキッチン側に光をもたらし、ぼんやりと奥には人影も。


 と、とりあえず無事、なのかな?

 でも……。


 とりあえずゆきむらがちゃんと家の中にいることは分かったし、また寝なおしてもいいんだけど、寝起きのゆきむらが無事なのかどうかは少し気がかり。

 相当酔ってたし、体調とか大丈夫なのだろうか?


 とりあえず用を足し、そのまま部屋側に戻らないまま俺がさてどうするかと考えていると、続いていた音が止まり。


 ガラッ

「あ」

「む?」


 勢いよく扉が開き――。


「ご、ごめんごめんごめんっ!!」


 見てない見てない見てない見てない!

 俺は何も見てません!

 やっぱこいつめちゃくちゃ肌白いなとか、思ってませんよ!?


 一瞬の間を置いて、俺は咄嗟に開いた扉に背を向けて全力で謝罪。

 いやでも、マジでほんと、タイミングね!

 なんかこういうタイミング、デジャヴなんだけど!?


「あの……」

「は、はい! ごめんなさい!」

「タオルって、どちらでしょうか?」

「え」

「すみません、寝起きで身体が気持ち悪かったので、勝手にシャワーを借りてしまったのですけど、タオルを探すのを忘れていました」

「あ、わ、わかった! よ、用意するから、1回扉、閉めてもらっていいですか?」

「あ……はい」


 話しかけられ、思わず声が裏返るほど焦ったけど、今の話し方は、ちゃんとしたゆきむら、だったよな、うん。

 いやちゃんとしたっていう表現もどうかとは思うけど、まだ少しドキドキしている心臓の動きをなんとか抑えようとしつつ、俺は今話した相手との会話を振り返る。


 そして言われた通り、扉がしまった音を確認してからおそるおそる振り返り、扉が閉まっているのを確認してからタオル置き場からタオルを取り出し、そっと浴室への扉の足元へ。


 ……っていうか、すりガラスの向こうのシルエットも、やばいなこれ……!

 

「あ、足元、置いたから」

「はい。ありがとうございます」


 今しがた見てしまったシルエットから、先ほど見てしまった白い裸体の姿を思い出し、抑えようのない心音はかなりうるさい。

 あ、いや、見てないんだけどね!?


 それでも頼まれたことに応えないわけにもいかないので、俺が一声かけると、俺の気なんか知らないように、一枚のガラス戸越しの相手はいつも通りのトーンで返事をしてくれた。


 その声に何で俺ばかり慌ててるんだと何とも言えない悔しさというか、恥ずかしさを抱きながら俺が再び扉が開く前に自分の寝床に戻ろうとすると。


「あの」

「は、はいっ?」


 ガラッとガラス戸が開いて、また閉められた音がしたあと、不意に声をかけられ、またしても声が裏返った。

 っていうか、え、まだ何かあるの?


「ええと、その」


 だが、俺を呼び止めた声にも、不思議な戸惑いが。


「き、着替えの場所はさすがに分からないぞ?」

「あ、いえ、そういうわけではなく、その……」

「は、はい?」

「……見ました?」

「へ?」

「すみません、先ほどはタオルのことで頭がいっぱいだったんですけど、その……裸……」

「いやいやいや! 見てない! 見てないよ!? ほんと一瞬だったし、うん、全然見てないからねっ!?」

「でも、ゼロさんちょっと固まってたような……」

「いいえ! 見てませんからっ!?」


 そして聞かれたのは、まさかの質問。

 その質問を受け、俺の身体はまるで石化のデバフを食らったかのように硬直状態。

 い、一刻も早く戻りたいんだけど……!


「ならいいんですけど……すみません、だいさんみたいに見せるほどのものはないので……ごめんなさい」

「いや、何言ってんの君!?」


 やっぱりちゃんとしてない!?

 それ、ボケ!? 本気じゃないよね!?


「いえ。それよりあの、ご迷惑をおかけしたみたいで、申し訳ありません」

「え? あ、いや、ええと、ゆきむらは、どのくらい覚えてるの、かな?」


 だが、困惑する俺をよそに、すりガラスの向こうの子がまだ話しかけてくるので、俺は足を動かせず。

 思ったよりも意識ははっきりしている感じには、一安心ではあるんだけど、今のこの状況がね、全然安心じゃないんだよね!


「新宿で、ゼロさんのお話を聞いていたのは覚えています。ですが、途中からすごく眠くなってきて、気づいたら、その、ゼロさんの背中でした」

「え?」

「ですがその時も頭痛がひどくて、お声をかけることも出来ず……」

「あ、起きて、たの……?」

「はい。ぼんやりと聞いてましたが、だいさん、ゼロさんとお二人だと何だか印象が変わるんですね」

「あ、そ、そ、そ、そうかな!?」


 まじかあああああ!!!

 聞かれてたんかい!!!!!


 や、やばい、完全に油断してた……!

 寝てると思ったから、普通に二人きりのテンションで話してたぞ……!?


 うわ、穴があったら入りたい!!


 そういえば呼び方が戻ってるな、とか、そんなこと思う余裕もなく、俺はただただ顔面赤面。恥ずか死しそうです!

 

「お部屋の電気が消えた辺りでまた眠ってしまったと思うんですけど、先ほど起きたらだいぶ頭痛も収まってましたし、お二方ともお眠りだったので、声をかけるのもはばかられたので、今こうして勝手にシャワーを借りてしまったんですけど」

「そ、そうなんですね」

「むむ、なぜ敬語ですか?」

「あ、いや、何でもない! 何でもないよ!?」

「ふむ……ちなみに、なんですけど」

「は、はい?」


 え、何、まだ何かあるの!?

 何ていうか俺もう、帰りたいんだけど!?


「ゼロさん私に、こういうことはちゃんとした恋人作ってするんだぞ、って仰ってましたけど、あれは何のことでしょうか?」

「へ?」

「すみません、私が何かしたのか、記憶にないのですが……」

「あ」


 なんだそのことかい? 簡単だよ。君、俺のこと嚙んだんだよ?


 とか、言えないよね!!

 な、なんて言うのが正解なんだこれ!?!?!?


 と、俺がゆきむらの問いにどう答えるか悩んでいると。


ガラッ

「ゆきむらさん!?」


 三度開く、浴室へつながったガラス戸。

 そこが開いたことで電気をつけていないキッチン側がより明るく照らされ、立ち尽くす俺の方にまでゆきむらの影が伸びるのだけど……。


 普通俺いるのに開けないよね!?


「すみません。恥ずかしいのでまだこちらを見ないでください」

「い、いや! 戻る! 俺戻るから!」

「あ、待ってください。すぐ着替えるので」


 はい!?

 それ待つ必要ある!?


「まだ、質問に答えてもらってませんし」

「あ、ええと、あれだよ! お泊り! ほら、男がいるとこに酔いつぶれてお泊りとかさ、よくないじゃん!?」

「むむ、でもここはだいさんのお家では?」

「え」

「それにゼロさんもお家が近いですし、ゼロさんはお帰りになることはできましたよね?」


 く……!

 返す言葉もございません……!


 そうですよね! 女性宅にやって来てるのは俺ですもんね!


「で、でもほら、酔いつぶれるのはさ、これが社会人だったら致命的じゃん?」

「それは、そうですね。明日は月曜日ですし、だいさんお仕事ですもんね。そこは本当に申し訳ないです」

「う、うむ! 気を付けてな!」


 と、とりあえず、誤魔化せた、か?

 そう思って俺は一安心というか、少し油断。


 でもやっぱね、ゆきむらは一分の隙も見逃さない、そんな子だったの忘れてたよね!


「はい。……あ」

「え?」

「これ、どうされたんですか?」

「え?」


 Tシャツの袖を少し引かれたことで、いつのまにやらゆきむらが着替えを終えていたことに気づいた俺なのだが、俺の方に話しかけるゆきむらと視線が、合わない。

 油断しきった俺はその言葉の意味を理解できずにいると、そっとゆきむらの細い指先が、俺の首筋に触れてきて。


「歯形、ですか?」

「えっ!? あ、いやっ!?」

 

 触れられたことでようやく俺の硬直が解け、俺は咄嗟に振り返ってその手を阻止したのだけど。


「むむ?」


 シャワーを浴びた直後でまだ髪が濡れたままのゆきむらが、普段はだいが着ているパジャマ姿で、不思議そうに小首を傾げながら、いつも通りのぽーっとした眼差しでこちらを見ている。

 その姿はなんともまぁ可愛らしく無垢な様子で、思わず抱きしめたくなるような感覚に陥るけど。


「き、気のせい! 気のせいだって!」


 そんなことできるわけもなく、俺は全力の誤魔化し笑いを浮かべながら右手でゆきむらに嚙まれた痕の残る左肩を隠してみせる。

 やばいねこれ! Tシャツちょっとでもズレると見えちゃうのね!


「そう、ですか?」

「そうだって! ってか、ほら、髪! 髪乾かさないと!」

「あ、そうですね。ええと、ドライヤーは」

「あ、それならそこに――っ!?」

「あ」

「あ、ごめっ――」


 何とか話を逸らそうと俺がゆきむらにドライヤーで髪を乾かすように指示し、場所が分からないゆきむらのために代わりにとってあげようと、ゆきむらの背後の方にある棚へ俺が向かおうとした時。

 急ぎすぎて慌てた俺は、ゆきむらと接触。

 そして急な衝突にバランスを崩したゆきむらが足もつれさせて転びそうになり――。


「あ……ありがとうございます」

「い、いや、その、ごめん!」


 背中から倒れて転びそうになったゆきむらに向かって俺は咄嗟に反転し、即座の判断で右腕を回してゆきむらの華奢な身体を掴み、自分の方に抱き寄せることでなんとか転倒を防ぐことに成功。

 ふぅ、間一髪だったな……!


 って、あれ……?


「あ、あの……」

「うおおおおお!?」


 え、待って!?

 なんで!?

 なんでつけてないの!?!?!?

 また寝るつもりだったから!?


 世界中に、これほど柔らかいものがあろうか、いや、ない。

 思わず反語的に表現してその柔らかさを強調したくなるような感触を、ゆきむらの身体を支えるべく回した俺の右手は、たしかに感じていた。

 そりゃね、大きさとか弾力とかはだいと比べるまでもないんだけど。


 っていやいやいや!

 いかんいかんいかん!


「ごめんなさいごめんなさい!」

「い、いえ……や、さすがに恥ずかしかったですけど……」

「いや、ほんともう! 申し訳ない!」

「あ、いえ、私も不注意でしたし」

「いや、ほんと、き、気を付けてね!?」


 って、俺のせいなんだけどね!

 だがもうこれ以上この話題を続けたくないので、ゆきむらをちゃんと立たせ、ゆきむらに注意するという申し訳ない形で俺は今の事故を有耶無耶に。


「は、はい、これっ! ちゃんと乾かすんだぞ!?」

「あ、はい」

「よし、じゃあ俺もっかい寝るから、髪乾かしたらちゃんと寝るんだぞ?」


 とりあえずこれ以上ね、ゆきむらと関わってるとまた何が起きるか分からないし。

 戦略的撤退、そう決め込んだ俺だったのに。


「あの」

「はい?」


 ま、まだ何か!?


「ええと、コンビニに連れていっていただきたいのですけれど……」

「へ?」

「その、歯磨きもしたいですし、ええと、下着も変えたいというか……」

「あ」


 いやそのくらい我慢せい! と言いたいのだけれど、そういう理由があってもしかしたら先ほど下着をつけていなかったのかもしれない。

 え、まさか下も……!?

 いや、こんなこと聞けないけど!


「さすがにご迷惑ですよね。大丈夫です、何とか一人で行ってきます」


 俺がまさか下も履いてないの? ということを考えているなど思いもしないであろうゆきむらは、俺が何か考え込んでいる様子に「そんなの一人で行けよ」と思っていると勘違いしたか、少しだけ寂しそうに一人で行ってくると言い出すではありませんか。


 なるほど、うん、一人で行けるならね、それがいい。


 って、さすがにその大丈夫は信じられないよね!

 地元ならまだしも、この近辺はゆきむらにとって慣れない土地だし、あの迷子スキルカンストのゆきむら、さらにはこの深夜帯。

 うん、一人で外歩きさせるわけには、いかないよね!


「お、俺が買ってこようか?」

「え、あ、あの……さすがに下着を買ってきてもらうのは、恥ずかしいのですけど……」

「あああ! そ、そうですよね!」


 うん、結局そうなるんだよね!!



 ということで。


「パッと行って、パッと戻ってこような」

「はい、ご迷惑おかけします」


 ゆきむらのドライヤーが終わるのを待つ間にこそこそと部屋の方からゆきむらが元々着ていた服と自分の財布を持ってきて、パジャマのままでいい、というゆきむらを全力で説得し、トイレの中でなんとか着替えさせ、準備完了。


 しかしまぁこれだけごたごたしてたのに、だいってばずっと熟睡なんだよね。

 今ばかりはありがたいけど。


「はぁ……」


 うん、ほんと早く行って戻ってこよう。


 まさかトイレに起きたことによりこんなことになるなんて思いもしなかった展開に心の中でため息をつきながら、俺は深夜2時半過ぎ、そーっとだいの家を出て、ゆきむらと共に深夜の杉並区の街並みへと繰り出すのだった。







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以下作者の声です。

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 さぁ深夜の二人旅へ!


(宣伝)

本作スピンオフシリーズである『オフ会から始まるワンダフルデイズ~Side Stories~』。3作目となる〈Yuuki〉が掲載されております。

 こちらも近々始動予定。

 本編の回顧によろしければ~。

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